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【短編】 高級ステーキを前にして

1 田中秀三の叫び

 食べれない。ああ、食べれない。
 仕方ないと言えば仕方ない。……どう足掻こうと、これが現実。それもやむなしとしか言えないのだが。

 どうしてこんな時に、こんな状態なんだ。”あのようなもの”を一口も食べる事が出来ない、この無情はなんという仕打ちなんだ。
 これが実の父に行うことか? 尋常ではない!
 それともなにかの腹いせか!? 畜生、ド畜生!!
 食事に文句を言い続けた罰かぁ!

 昔から苦手な野菜が多く、ピーマン、にんじん、なす、セロリ。子供達が食べようとしない野菜は全然食べようとしなかった。
 十代後半でようやく鼻をつまんで食べれるようになり、二十歳で飲み込む時は鼻から吸う息を止めて飲み込んだ。

 それでも食べてるぞ! 嫌々だがな!

 肉は大好き。当たり前だ。むしろ嫌いと言う奴を見てみたい。いたとして、それは人ではないと言っても過言ではない! 肉こそこの世で最高峰に位置する食材の王族なんだぞ!

 牛肉は焼肉最高!
 豚はカツ系万歳!
 鶏は焼き鶏一番!
 この法則ならどの肉であれ臓器ものもペロリ!

 お菓子類などを出した日にはもう止まらない。エンドレスで食い続けることができるぞ。休日は”食べる日”なんだぞ。
 腹に蓄えたのはお菓子か脂肪か。そう言っても過言ではない。
 つまり、私はちゃんと食べてるに値するんだ!


 …………やめよう。何を言っているか分からない。

 焼き菓子、菓子パン、洋菓子和菓子。アイスクリームはどれであろうと神が与えた奇跡でしかない。


 …………やっぱり何を言っているか分からない。自分で言うのもアレだが救いようがない。
 もうそんなくだらない戯言はどうでもいい。そんなことより、この状況のほうがかなり重要だ。

 目の前にある“モノ”それは、そう、ステーキ肉! しかもA4!

 平々凡々な生活を送っていた、いち庶民である私がこのような御馳走にありつけるなど夢のまた夢。
 必死で働き、一回の給料ではどうにか買う事は出来る。確かに出来る! しかし、妻や子供達に給料の殆どを使われ、自身の使用可能な金額は雀の涙。
 体系は見事なぽっちゃり体系。健康診断は必ず引っかかり、妻には何度も痩せるよう指摘されたが、当然のことながらそれは出来ない。

 無理なのだ。もう一度、しっかり断言する。無理なのだ!

 デブ野郎が運動をして痩せる? そんな大義を容易に成すことが出来るなら、この世の中にデブ野郎は存在しない。
 なぜ出来ないか? そんな質問は愚問中の愚問。
 人が呼吸をする時に吸う気体は? という質問をするほど意味がない。時間の無駄、他に話すことは無いのかと、言い切っても過言ではない程度の、底辺の質問だ。

 その愚問に敢えて私は答えよう。答えた所で何を貰えるでもなく、眼前の見事な焼き目に表面の油が食欲をそそる艶を醸し出しているステーキを貰えもしないが、答えてやろう。

 疲れるからだ!!

 そう、何も難しく考えることなどない。走れば呼吸を乱し、疲れる。
 筋力トレーニングなど拷問でしかなく、筋肉を鍛えている全てのマゾヒストなど、もう思考回路がイカれているとしか思えない。
 子供の運動会の父兄マラソンはやる意味が分からない。
 痩せろ? 馬鹿を言え、哺乳類はそもそも太る生き物なのだ。
 冬は冬眠して過ごす為、秋にはいろんなものを食べて太る。春にはどんどん食べて夏を乗り切る。

 夏は食べなければやってられない。しかも冷たいモノメインで。
 冬は食べなければ体温が上がらない。ここは熱いモノメインで。

 こうも食べる事だけを生業として、種族的成り立ちを形成している哺乳類。人間に対し、痩せろ、脂肪を燃やせなど、種への冒涜でしかない!

 …………止めよう。どう足掻いた所で眼前のステーキは食べる事が出来ないのだから。

 ――煩悩を捨てろ。
 そう先代達は言った。そうしなければ次へは進めない・・・・・・・
 まさに地獄の様な事を、何度も何度も経験し、何かしらの悟りを開かねばならないのだと。

 …………ああ。ほんと、どうして……。

2 田中さと子の愚痴

 A4。
 まるで鉛筆の芯のような響き。いや、用紙のサイズかしら? まあ、どうでもいいわ。
 もう最近の言葉の変化はついて行けない。

 スマホにLINEにTwitter、ブログ。ウォレット、キャッシュレス。
 ペイなんて言葉を言い出した時点、何を言っているのか、もうついて行くことすら放棄した。
 そんな横文字ばかりの言葉が次から次へと、ひっきりなしに。

 言葉を出すのはいいけど、その言葉の説明をしてから出して頂きたいわね。どこかで出したかもしれないけど、そんな事を私は知らないわよ。NHKで説明番組を作って放送してほしい所ね。

 そうそうテレビ、テレビよ。もう、最近のテレビ番組にもついて行けないわ。

 昔は体当たりネタが多かったお笑い番組も、倫理違反、子供に悪影響、いじめ問題が影響と。苦情を言う側の気持ちも分からなくはないが、それを守ってばかりになり、殆どの番組が似たり寄ったりの報道とバラエティを混ぜたような番組、頭を使う番組、ご長寿ドラマ、地域密着型の番組。
 特に一般人の素の一面が面白いらしく、変わった所に住んでいる人たちを映したり、規制無視の本音を言うものばかり。

 見ていて面白いモノが少しだけどあるわよ、それは認めるわ。けど芸能人は一体何のために芸能人を目指したの?
 一般人の素の一面を見て笑って感想を言うためになったのか? 違うでしょ。

 誰か偉大なコメディアンを目指したのだろうけど、その偉大なコメディアンの武勇伝を語ろうと、所詮過去は過去。当時だからウケたものの、現代で有名な大御所たちが若い時のまま現代を生きたら、自分達とほぼほぼ同じだろうさ。

 ああ、もう、言い出したらキリがない。

 田舎を良いと思っている連中は何を言っているの? そこにずっと住んでいる人たちが衝動で田舎へ行って、暗中模索で右往左往した者達が田舎暮らしが出来たのを見て、意見を聞いて羨ましがる。

 本当に自分達が出来るかを考えればどうかしら?
 私の実家は田舎だったから分かる。

 畑は猪被害で頭を抱え、所変われば熊も出る。
 秋の夜長に鈴虫が鳴く声は心地よいが、時期、天候が変われば蛙、特に牛蛙の声を聞いたことがあるのだろうか。
 窓を開けて涼もうものなら、ドラマのように開けて風を感じて翌朝、素敵な朝日を浴びておはよう。

 あるか! 馬鹿野郎!!

 夏にあんな事したら、虫が凄いんだってぇの! 翌朝は体中噛まれて大変な目に遭い、部屋は虫屋敷で朝日拝む前に恐怖と対面だわよ!

 あと暑いものは暑い!!

 …………話が脱線したわね。ステーキの話に戻そう。

 そう、ステーキよ。少々時間が経ってしまって湯気は出ていないけど、あの艶やかな表面。見るだけで分かる。あれは口の中に入れるだけで、ひと噛みするだけで恐ろしいぐらい、まるで出汁巻き卵を食べるが如く、柔らかくって、肉が崩れ、溶け出すと同じように舌に、いえ、口全体に肉汁が広がる。そういった代物よ。
 一口一口の噛む回数に限りのある肉を、すごくすごく食べたい。

 一体なんの嫌がらせかしら。
 あの子が義男よしおの妻になってからというもの、イライラが止まらなかったわ。

 細かい所まで行き届いてない掃除、洗濯は大雑把、洋食系の多い晩御飯、外食も多いわね。ふた月に一度なんて、なんていう贅沢! 秀三さんとそんな贅沢をしたら我が家の家計は火の車が行き過ぎて大火事よ。
 時代って怖いわねぇ。本来、旦那のお腹を満足させるのは主婦の仕事よ。それを外食に店屋物、インスタントにレトルト。

 『涼君りょうくん』にはこんな生活を続けてほしくないわね。味が濃いものばかり食べて舌が変になったり、何でもかんでも外で買う習性が身についてほしくない。馬鹿な大人になってしまいそうだわ。

 …………いや、そんなことより、あの肉よね。涼君も食べたのよね。だって、あんなに嬉しそうな顔で……ああ……。

 ――煩悩は捨てよ。

 確かそう言われ、次へ行くにはそうするしかない。そうするしかないが、なぜこんな時に、あんなステーキが…………。

 やっぱり嫌がらせでしか――、ああ、涼君。

3 田中より子の悟り

 長かった……。
 あの上質な焼肉を見ても、とうとう何も思わなくなれた。
 きっとあの肉は、口に入れ、舌で押さえつけるだけでも崩れる。そういった類のモノなのでしょう。

 思い返せば幼少期は終戦後で、まともな食事にありつけるまでどれくらいかかったか。
 どうにか高度経済成長期には、今と比べれば雲泥の差がある食事だったけど、まあ、現代におけるあの焼肉に匹敵するほど差はある食生活だったけど、良くなった。

 現代の食生活は裕福この上ない事。
 どこでも何かを買って食べれる。当時に比べれば天国ね。

 はぁ。昔を思い出すと色々思い出してきた。

 遅くに子供を産んで、年子としご続きで一姫二太郎、加えて男児の三兄弟。次男の秀三の世話になったけど、今思っても、さと子さんは嫌な人だったと言える。いつまでも昭和の仕来りを続けようとする人だったから気が悪いったらありゃしない。

 でも、だらしない食い意地張りの馬鹿息子には丁度良かったのかもしれない。けど、最後の最後まで私に突っかかってきて、孫の義男の妻にも嫌味な態度をあからさまにするなんて。

 こんな状態だから分かるけど、周囲の人からいい顔はされても裏では悪口を言われる。
 もう慣れたしどうでも良くなったけど、こんな状態になった当初はそんな人が我が家の墓に入るなんて嫌だと思ってた。しかし、こんな状態が慣れると、もうどうでもよくなった。

 慣れって本当に凄いし怖いわね。

 次男夫婦も、孫の義男夫婦も若いうちに子を産んで、さと子さんも一応は孫の顔を拝めた。その数年でこの有り様だ。
 年齢的にまだまだ若すぎるのに、足腰も動けるのに、不憫だと同情してしまう。

 そこまで心にゆとりをもてるようになった。そして大変だと思う。秀三は食欲、さと子さんは自意識の高さ、それ等が高すぎるあまり、煩悩を捨てるのに苦労すると思う。

 私も似たような所があったからどれだけ大変か、とても分かる。

 今でもハイカラな焼肉を前にあの状態。頑張れとしか言いようがないわ。
 でもごめんなさい。これからも精進していかなければならないあなた達には申し訳ないけど、先に逝ってしまったあの人の所へようやく私も逝けそうだわ。

 まさか死後、煩悩をある程度消すまであの世に逝けないなんて知らなかった。
 そしてあの人の物欲の無さは、生前は寂しい人だと思ったけど、今じゃあ羨ましいかぎりだった。こんな苦労もなく、あの世へと逝けたのだから。

 せめてこの姿でも、もうしばらく一緒に居たかったけど、私達がこうして衝撃的事実を聞かされて驚き苦しんでいるのと同じく、あの人もまさかそんな展開が待ち構えていようとは思ってないでしょうね。

 自身の物欲の無さで、呆気なくあの世へと旅立った。
 驚愕のトントン拍子じゃない。

 まあいいわ。もう身体も殆ど消えかかってるんだから、次の世界はどんなところか、楽しみといたしましょ。

4 いただきます

 その日、田中家では豪勢なステーキが食卓に並んだ。

 一家の主・田中義男は、近所の福引で高級ステーキ肉五百グラム券を引き当てた。

 義男と妻と三歳の息子の三人で、ステーキを分け、妻の腹にいるもう一人の家族の為に妻はグラム数が多い。
 少し少な目だが、仏壇に見栄えも良いステーキが備えられた。

「パパー。なんですてーき?」

 息子・涼斗は、お供えのステーキを指差した。どうやら、なぜ美味しいステーキがここへ置かれているのか気になるらしい。

「駄目だぞ涼斗。これは、おじいちゃんやおばあちゃんや、ご先祖様の分」「じーじとばーば?」

 義男の両親は、もうすでにこの世にいない。
 父・秀三は涼斗が生まれる前、不摂生な食生活が祟り他界した。孫の顔を見る前ではあるが、この世に大した未練もない形である。なんでも、食べれるものが大体同じに思えたらしく、特に珍しい物を食べれる訳でもないと愚痴を零しつつも、何か食べなければならない性分であった。

 あれだけこの世に文句ばかり言っていたのだ。今頃はあの世で別の何かを食べているに違いないと思われる。

 義男の母・さと子は、涼斗が一歳になる前に他界した。原因は事故死。
 友人と旅行へ行ったのだが、友人の運転する車がスリップし、崖から転落。二人揃って死亡してしまった。
 旦那に対しての愛情が完全に消え、先に他界した後、何かから解放されたかのように、さと子自身楽しい日々を送っていた。しかし義男の妻への指摘が厳しく、涼斗を甘やかしすぎることで、義男夫婦からはあまり良い印象ではなかった。
 解放されて二年後の事故死。義男夫婦は悲しいのやら嬉しいのやら、訳が分からない状態であった。

「ほら涼斗、手を合わせて」
 仏壇への祈りの動作であるはずが、ステーキを前に、手を合わせる行為が、涼斗にあの言葉を言わせた。
「いたーきます」

 いただきます。その言葉に、義男は良くできました。と返した。

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