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「期待しない」「期待されない」の効用

なぜ「怒り」が湧くのか。
結論は、「自分が期待していたことと違うから」。

例えば、私はスマホを見ながら歩いている人をみると腹が立つ。先日もスマホ見ながらノロノロと階段を登っている人がいて、イライラしたことがあった。その時に、ふと考えてみた。
「なぜ自分は今、イライラしているのだろう」

スマホ見ながら歩くと周りが見えなくなる→ぶつかりそうになったりする→歩くときは周りに配慮すべき
という「・・・べき」を私は持っていたことに気づいた。
自分だけではなく、他人にも「周りに配慮すべき」を「期待」したから、そうじゃない行動を取る人を見て腹が立ったわけだ。
そのことを他人に「期待」しなければ、怒りが湧くこともない。自分が正しいと思っていることを、相手に求めなければイライラすることはない。

もっと踏み込むと、私自身が、相手の「期待に応える」ことがいいことだという根深い価値観を持ってきた。目標設定などに「お客様の期待に応える」「会社の期待に応える」などとよく書いたものだ。

上司が部下に「期待しているよ」と声をかけるのは、ポジティブな印象がある。
「期待されない」ことは、自分を否定されたような印象を受ける。

果たしてそうなのだろうか、と今なら思える。

相手の期待に応えたとして、それを最終的に評価するのは相手である。自分の行動を完全に相手に委ねることに他ならない。相手の期待通りに行動したとしても、相手がどう思うかを私はコントロールできない。
「期待に応える」ことを目的にしてしまうと、相手の目をいつも気にして生きていかなければならなくなる。

ずっと私は「期待に応える」ことを中心に置いて生きてきた。だから、人の目が気になってきた。

「期待しない」「期待されない」
イライラもしなくて良いし、人の目を気にしなくてもいい。
そう考えると、楽だわー。

これからは、まず自分が好きなこと、ワクワクすることをやって、結果相手が喜んでくれるならそれでOK、という人生を生きていきたい。


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