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令和書籍はもはや歴史の教科書ではない ~令和書籍教科書の「慰安婦」記述を批判する~

1,あり得ない令和書籍教科書の文科省検定通過

 来年度使用予定の教科書検定が終了しました。
 教育指導要領が変わらなかった今年は、前回採択の4年前と大きな変化はないように思われていましたが、竹田恒泰が執筆者兼社長の令和書籍の歴史教科書が文科省の検定に合格するという、とんでもない事件が起こりました。竹田恒泰の説明はいまさら必要でしょうか? 明治天皇の玄孫であることをウリにして、皇国史観に基づいた国家主義をメディアで繰り広げているネトウヨです。
 育鵬社、自由社に続き、社会科ではこれで3つめの右翼教科書、歴史修正主義の教科書が誕生したことになります。

 これまでは「新しい歴史教科書をつくる会」が採択を伸ばすか原則的な方針にこだわるかで内部分裂し、国家主義を軸にしながらも採択されるために表現を和らげた八木秀次らの育鵬社教科書と、右翼的な表記を検定通過する程度に残した藤岡信勝ら自由舎の教科書という構図でした。私たちにしてみればいずれも天皇中心の国家観であって、両方とも許容できるものではありません。
 安倍政権の下、強引な政治主導によって育鵬社は6%程度にまで採択率を伸ばしていましたが、2020年度の採択では市民の強い反対があり、採択率を激減させました。兵庫県では育鵬社、自由社の採択はありません。関西圏では大阪府泉佐野市が育鵬社教科書を採択しています。

 しかし今年の中学校教科書採択の状況は、令和書籍の検定通過によって、4年前とは劇的に変化しました。露骨に右翼的な令和書籍が登場したことにより、育鵬社がこれまで以上に「よりまし」な教科書に見えてしまいます。縦書き記述や資料の配置、子どもたちの負担を省みない分厚さなど、技術的に見ても教科書の体をなしていない令和書籍が、普通の公立学校で採択されるとは思えません。うがった見方なのかもしれませんが、育鵬社の採択をアシストするために文科省が令和書籍を検定通過させたのではないかという疑惑を拭えません。
 また右翼性を前面に出さないことで支持を集めている参政党は、教科書では露骨に自由社推しを表明しており、予断を許しません。
 私たちは、歴史研究の成果と民主主義に則った平和的な教科書を子どもたちに与えるべきであると訴えます。育鵬社、自由社、令和書籍の教科書を、子どもたちに手渡してはなりません。

2,令和書籍の「慰安婦」記述は歴史の教科書たりえるか

 先述したように、私たちは令和書籍を批判することで、育鵬社教科書が「よりまし」に見えてしまうことに警戒します。育鵬社教科書の主体となっている八木秀次ら教育再生機構は、安倍政権の下で教育再生首長会議を組織するなど、自民党を中心に政治に深くコミットしており、右翼教科書の本命本丸であることには変わりありません。
 それでも今日は令和書籍を批判したいと思います。なぜなら文科省検定を通過した令和書籍の教科書には、日本軍「慰安婦」問題に関するコラムが掲載され、その内容が歴史の教科書としての評価に堪えられないほどのウソにまみれているからです。
 そのコラムのタイトルは「蒸し返された韓国の請求権」。竹田恒泰が自慢げにX(旧ツイッター)に掲載しているので、ご存じの方も多いかもしれません。とにかくウソがたくさん含まれていて、多すぎるから何から説明していいのかわからないほどです。
 とにかく今日は、一つひとつ、批判を重ねていきたいと思います。

・韓国政府が補償を求めている?

 最初に割と些細な問題を批判します。
 日韓請求権協定によって「国と民間の法人・個人が持つ対日請求権を放棄することが約束された」にもかかわらず、「韓国政府は慰安婦へ補償するよう日本政府に求めるようになった」とありますが、これはウソです。補償を求めたのは日本軍「慰安婦」被害者当人たちであって、韓国政府ではありません。韓国の司法が「請求権は消滅していない」という被害者の訴えを認めましたが、それも司法の判断であって、政府の判断ではありません。韓国も日本と同じように三権分立があって、政府は司法の判断を尊重しなければならないのは当然です。それでも韓国政府は日本政府に対して、私たちが歯がゆく思うほどに、なにも要求してはいません。右翼が「反日」と批判したがる文在寅政権においても、至極控えめでした。「これはあなたたちの問題なのだから真摯に向き合って欲しい」、悔しいけれどその程度です。
 被害国の政府にここまで優しくされて、それでも「補償を求められている」というのでしょうか。被害妄想としかいうほかありません。
 もちろん被害当事者は賠償を求め続けています。私たち日本軍「慰安婦」被害者と共に在りたいと思う者も、日本政府に対して賠償を求めます。今も、この瞬間も。
 この教科書をつくった竹田恒泰は、きっと韓国という国家と被害当事者の区別はつかないのです。国家主義者にとって、個人という存在はありません。自分自身を国家とを同一視し、自分と意見が相いれない人物、日本政府に物申す人物は「反日」でしかない。
 そういう人間観に通底された教科書を子どもたちに与えていいのでしょうか。

・日本軍が強制連行した事実はない?

 「日本軍が朝鮮の女性を強制連行した事実はなく、また彼女らは報酬をもらって働いていた」という記述があります。ここではウソというよりも、巧妙な詐術を働いています。「慰安婦」は朝鮮人だけではないからです。
 中国には中国人の「慰安婦」が、フィリピンにはフィリピン人の「慰安婦」が、インドネシアにはインドネシア人の「慰安婦」がいました。日本軍は慰安所を作って朝鮮半島や台湾から女性たちを連れてきただけでなく、占領地に暮らしていた女性たちも「慰安婦」にしました。占領地に暮らしていた彼女たちは、ある日日本軍がやってきて、道を歩いていたり農作業をしていたときに、無理やり拉致されて慰安所に入れられた人が多かったのです。
 フィリピン・レイテ島に暮らしていたレメディアス・フリアスさんは、逃げ遅れてゲリラ掃討中の日本軍につかまり、その場でレイプされました。そのあと日本軍の駐屯地に縄をかけられてひっぱられ、昼は洗濯、夜は強かんされる日々が続きました。これは強制連行ではないのでしょうか。
 「慰安婦」の強制連行がなかったかのように主張するのは、詐欺行為です。

・報酬をもらって働いていた?

  朝鮮人の女性たちの多くは「いい仕事がある」などと騙されて、戦地の慰安所につれてこられました。慰安所についた時には、移動費や食費や洋服代などの名目で、自身も知らない間に多額の借金を負わされていました。
 女性たちは借金を返すという形で性売買に従事させられていたのです。これは債務奴隷という、奴隷制度の一種です。
 これが「報酬をもらって働いていた」という表現に値するものなのでしょうか?
 「慰安婦」の中には借金を返済して自由になった人もいるかも知れません。けれどもそれは容易なことでないし、現実には敗戦を迎えるまでほとんどの女性が「慰安婦」を続けざるを得なかったし、病気になって捨てられたり、自ら死を選んだ女性たちもいました。
 「チップをもらった」と証言する女性はいても、「報酬をもらっていた」と証言する女性はいません。
 そして仮に報酬をもらっていたとしても、慰安所での仕組みが奴隷制度であったという事実は微塵もゆるぎません。性奴隷制という犯罪行為は「個人を性的に支配するか性的自律性を個人から奪うことによって、所有権に伴う権能の一部または全部を、その個人に対して行使すること」です(女性国際戦犯法廷の判決文より)。「報酬をもらっていた」と主張することで、その犯罪性を否定することはできません。

・「従軍」させ、戦場を連れ回した事実はない?

 在日朝鮮人として唯一名乗り出られ裁判闘争を闘った宋神道さんは、最初大都市の武昌・漢口の慰安所に入れられました。その後「部隊づき」として、部隊に付き従って戦場を転々とすることになります。岳州、長安、咸寧、応山……等々。宋神道さんはそのころのことをこう証言しています。
「一個中隊なら一個中隊、部隊付きでくっついて歩って、兵隊さんと一緒に戦争しているのと同じだよ。家も何もないから、防空壕みたいに人間一人寝られるぐらいの穴掘って、毛布でも敷いて、そこでやるんだ。だって、明日死ぬかわからないんだもの。兵隊さんたち、はめて死ねば本望だって頭でいるから」
 朝鮮民主主義人民共和国の被害者、朴永心さんは、南京の慰安所に入れられたあと、ビルマと中国との国境地帯であり激戦地だった拉孟の慰安所に入れられます。拉孟の日本軍は全滅し、朴永心さんらは命からがら中国軍に保護されました。その時ほぼ臨月だった朴永心さんは、他の女性たちと一緒にお腹を抱えた姿で写真や動画に残っています。その時の心境を朴永心さんはこのように語っています。
「このまま故郷に帰ることもできずに死んでしまうのかと、みんなで泣きました。それまで何度も死にたいと思ってきたけれど、こんなところで無残に死にたくない。生きることも死ぬこともできない、それは地獄のような恐怖でした」
 そのような例は数多くあります。最前線まで女性たちを連れまわしておいて、「従軍」ではない?
 いったい何をもって「戦場を連れ回した事実はない」などと書いているのでしょうか。

・吉田清治証言は日本軍「慰安婦」研究に一切影響を与えていない

 令和書籍の記述では、「事実に反することが世界に喧伝され、韓国から謝罪と賠償を請求されるようになった」原因は、吉田清治証言にあるとしています。時系列で説明すると、このような具合です。
  1977年 吉田清治証言
  1983年 朝日新聞が吉田清治証言を記事に
  1991年 金学順さんが裁判を提訴
  1993年 河野談話
  1995年 吉田清治が証言を創作だと認める
  2011年 最初の少女像が建てられる
  2014年 朝日新聞が吉田証言の記事を取り消す
 あたかも吉田清治証言に元凶があるような書きぶりですが、歴史学の見地から言えば吉田清治証言は研究に一切影響を与えていませんし、社会運動的にもほぼ関係ありません。
 エポックメイキングとなったのは、1991年に「17歳の私を返してくれ」と金学順さんが名乗り出たことと、1992年に吉見義明さんが日本軍の関与を示す文書を発見したことです。被害当事者の証言と証拠となる文書によって、それまで業者のせいにしていた日本政府はいい逃れができないようになり、1993年の河野談話の発表につながったのです。
 その後、世界中からたくさんの被害者が名乗り出て裁判などを闘ったことは、みなさんもご存じのとおりです。そして様々な当時の文書の発見も進み、日本軍、外務省や内務省、総督府などが関わり、国家ぐるみで日本軍「慰安婦」制度を支えていたことも明らかになってきました。
 吉田清治証言がもてはやされた時代、つまり金学順さんたちが名乗り出られる前は、それこそ安倍首相のいうような家に押し入って女性を無理やり引っ張っていくようなイメージがあったかもしれません。しかしたくさんの被害証言によって、朝鮮半島から連れて行かれた女性の多くは騙しの手口で連れて行かれたことがわかってきました。そして日本が占領した地域で、日本軍の手によって多くの女性たちが、強制連行の手口で慰安所に拉致監禁されたこともわかってきました。
 私たちは吉田清治証言のことなど忘れていました。当事者である金学順さんが名乗り出られる14年も前の証言など、誰が気にするでしょうか。吉田証言があろうがなかろうが、ましてや朝日新聞の存在など全く関係がなく、金学順さんたちの勇気ある行動によって多くの人たちがこの問題に関心を寄せ、日本政府のひどい対応に憤り、世界中に広がっていったのです。

・本当に請求権は「蒸し返され」ているのか?

 請求しているのは国ではなく、被害者個人です。そして被害者が加害国に対して補償を求めるのは当然のことです。
 実際、1990年代までの日本政府も同じ立場でした。
 1956年の日ソ共同宣言で日本が旧ソ連に対する請求権を放棄したため、シベリア抑留期間中の強制労働の賃金未払い分を日本政府が支払うべきであるとして、シベリア抑留者が日本政府に対して裁判を起こしました。この時、日本の裁判所は「我が国が放棄した請求権は、我が国自身の有していた請求権及び外交的保護権であり、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない」と、シベリア抑留者たちの訴えを却下しています(最高裁判決は1997年)。もちろん日本政府もこの立場を踏襲し、同趣旨の国会答弁をくりかえしています。
 つまり日本政府は、国内の被害者に対しては「あなたの賠償請求権は消滅していないから加害国に請求しなさい」と言いながら、自分が加害国として訴えられる番になると「二国間条約で解決済み」と二枚舌を使うようになったのです。
 被害者は、問題を蒸し返しているのではなく、加害国が加害の事実を認めようとしないから、向き合おうとしないから、怒っているのです。日本軍「慰安婦」問題に対して、日本政府は「強制連行はなかった」「性奴隷ではない」「被害者は20万人ではない」と主張して加害の事実を認めようとせず、令和書籍のような教科書を認めるから、赦すことができないのです。
 1993年の河野談話にはこのような文言があります。
「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」
 この約束は見事に反故にされています。
 蒸し返しているのは韓国ではありません。日本政府の側から繰り返し繰り返し反省を反故にし、問題を蒸し返しているのです。

3,ウソの教科書を許した文部科学省の責任は免れない

 吉田清治証言がすべての始まりであるかのように誇張し、朝日新聞が記事を取り消したことで日本軍「慰安婦」問題の「ウソ」が確定したかのような論調そのものが、歴史を否定しようとするたくらみです。金学順さんたちのカミングアウトと裁判闘争、日本軍の関与を示す文書の発見、河野談話、2000年の女性国際戦犯法廷、平和の少女像の建設。その一連の流れの中に吉田清治証言は関わりようがないのに、それが元凶であるかのようにうそぶくなんて許されません。
 問題なのは、これが『正論』や『WILL』、『HANADA』などの右翼雑誌ではなく、文科省の検定を合格した歴史教科書であるということです。
 歴史の教科書は、学問的成果に根差した正しい歴史を記述するべきでしょう。子どもたちは教科書に間違ったことが載っているとは思いません。まるで戦前の子どもたちが日本のことを、特別な「万世一系の神の国」と信じていたように。
 万が一この教科書が採択する学校があれば、そこの子どもたちは歴史学とは全く関係のないウソを教えられるということになります。

 今日は大きく取り上げませんでしたが、育鵬社の公民教科書にも「慰安婦」に関する記述が載っています。メディアリテラシーとの関連で、朝日新聞社長らが謝罪する写真の説明として、吉田清治記事を取り下げたことが載っています。しかし直接日本軍「慰安婦」問題に言及する内容ではなく、子どもたちは注意深く読まなければ、なんのことか理解できないでしょう。
 育鵬社にしても自由社にしても、本当は令和書籍のような記述がしたかったのです。けれど検定を通すために、右翼的な表現を自主規制せざるを得ませんでした。私たちは育鵬社、自由社教科書の国家主義的で反人権的な歴史観に警鐘を鳴らしてきました。令和書籍の検定合格を、どうして許すことができるでしょうか。

 ウソの教科書を許したという意味において、文部科学省の責任はとてつもなく大きいといわざるを得ません。
 私たちはこれから、文部科学省の責任を問うていきたいと思います。

[2024年5月22日 第184回神戸水曜デモアピール原稿]


令和書籍教科書の「慰安婦」記述 竹田恒泰のXより

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