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正欲

#正欲

#朝井リョウ

あってはならない感情なんて、この世にない。
それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。

息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づいた女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。

しかしその繋がりは、"多様性を尊重する時代"にとって、
ひどく不都合なものだった――。

「自分が想像できる"多様性"だけ礼賛して、秩序整えた気になって、
そりゃ気持ちいいよな」

これは共感を呼ぶ傑作か?
目を背けたくなる問題作か?

ーーmemoーーーーーーーーーーー

幸せの形にはもっともっと種類がある。そして、その人が決めた幸せには誰も口出しすることはできない。


マジョリティ側に生まれ落ちたゆえ自分自身と向き合う機会は少なく、ただ自分がマジョリティであるということが唯一のアイデンティティとなる。そう考えると、特に信念がない人ほど”自分が正しいと思う形に他人を正そうとする行為”に行き着くというのは、むしろ自然の摂理なのかもしれない。


その呼吸とはすなわち、自分が想像し得なかった世界を否定せず、干渉せず、隣同士、ただ共に在るということだった。自分に正直に生きるために声を上げるまでもなく、ありのままの自分を誰かにわかってもらおうとする必要のないまま、生きていられることだった。これが、のちに”多様性”という言葉があてはめられる概念に出会った、大也にとって初めての瞬間だった。


まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちら側にいると思っている人はどうして、対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか。多数の人間がいる岸にいるということ自体が、その人にとっての最大の、そして唯一のアイデンティティだからだろうか。だけど誰もが、昨日から見た対岸で目覚める可能性がある。まとも側にいた昨日の自分が禁じた項目に、今日の自分が苦しめられる可能性がある。自分とは違う人が生きやすくなる世界とはつまり、明日の自分が生きやすくなる世界でもあるのに。


みんな、不安だったのだ。

不安だから、周囲の社員を巻き込んでまで噂を流すのだ。あいつを異物だと思っているのは自分だけじゃないと確かめたかったから。異物だと感じるものが周囲と一致するという事実をもって、自分が多数派、すなわちまとも側の人間だということを確認したかったから。

まとも側の岸にいたいのならば、多数決で勝ち続けなければならない。そうじゃないと、お前はまともじゃないのかと覗き込まれ、排除されてしまう。

みんな本当は気づいているのではないだろうか。自分はまともである、正解であると思える唯一の拠り所が”多数派でいる”ということの矛盾に。3分の2を2回続けて選ぶ確率は9分の4であるように”多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派であることに。


「あってはならない感情なんて、この世にないんだから」

それはつまり、いてはいけない人なんて、この世にいないということだ。

ーー感想ーーーーーーーーーーー

想像を越えてきた。

多様性。考えたこともなかったけど、LGBTや小児性愛者の話も聞いたことあったり、なんとなく分かっているつもりでいた。でも、まさに自分は理解できていなかったと思い知らされた。人は自分の想像の範囲内でしか考えられない。生欲に出会ってなかったら知らなかっただろうな。

誰も理解してくれないと思って生きるのは苦しいと思う。

ましてや自分の意志ではなく、人とは違う生まれたときから持っているマイノリティーを隠しながら生きるのはもっと苦しいと思う。

大也が言うように「理解してほしいなんて思ってない。迷惑なんだよ。ほっといて」という姿勢になっても仕方ないというのか、自分もそうなる気がする。相手が理解されたいと思ってないのであれば、自分が理解したいと思うのは自分のエゴだよな。自分ならどうするかと考えたけど、それまでの距離感を保ちながら普段通り接するかな。相手が話してくれるまで待つかな。生まれもったことに対して、他人が良し悪しを判断するものではないし、あなたはそうなんだねと受け入れ、共に生きることができるといいな。

マジョリティという視点も考えさせられた。自分がマジョリティという安全地帯にいることが価値になっている人は、自分の枠の”普通”から外れた人に対して、排除するような思想を持つということ。他の誰にも人の生き方を狭める権利なんてないのに。自分で自分の価値をはかれる人だと、【自分は自分、相手は相手】と線引き出来て多数派にいるという安心感は違うもので埋められるのではないかな。自分で自分の価値をはかれるようになるには自己理解だと思う。

また、マイノリティー以外にも子どものyoutubeのことや繋がりでも考えさせられた。いやー、久々に自分の概念をがらりと変えられる小説に出会ったな。タイトルの正欲という意味は、出てこなかったけど、私なりの解釈は”個々が感じる欲に間違いはない”ということ。それを"受けとめる"という言い方も違う気がするけど、相手の気持ちに寄り添うことで生きやすくなるのではないかな。みんなが生きやすい世の中になるといいなと思う小説でした。

#読書記録 #萌本棚

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