赤い公園全曲考察135「EDEN」(THE LAST LIVE 「THE PARK」津野米咲 demo collection)

この全曲考察は旧体制最後の曲「勇敢なこども」(赤い公園全曲考察102)で終わってるのですが、一応新体制のものも下書きとして書き続けてはいて、でも仕事で書いちゃってるものも多いし、あんまり人様にお見せできるようなものでもないものも多いので(「THE PARK」に否定的だから)公開はしてません。…なのだけど、「EDEN」やばくないですか?「こんなすごい曲未完成のままでいいのかよ!」って思っちゃいました。なので、このすごい曲を久しぶりにきちんと考察してみようと思います。(レッパー的数え方だとこの曲のナンバリングは135なんですけど、合ってるかな?)

「EDEN」は過去にライブで披露された「オーベイベー!」「さらけ出す」と異なり、「THE LAST LIVE 「THE PARK」」の情報が出るまで、全く情報がない曲でした(ちなみに「MUSK」も。「オーベイベー!」「さらけ出す」について詳しく知りたい方は未発表曲の記事をぜひ購入してください…)。未発表曲が世に出ることは嬉しいけど、正直「オレンジ / pray」があまりにも良すぎたから、もうこれ以上赤い公園の曲は出さなくていいんじゃない?って気持ちもありました。(好きだったhideが亡くなった後に未発表曲がいくつかリリースされて、その音源が酷かったという経験もあり…亡くなった人でお金儲けすんのどうなの?みたいな気持ちも正直ありました)

でも結果的に「津野米咲 demo collection」はリリースされてよかったと思います。個人的には「オーベイベー!」「さらけ出す」が音源化されたことよりも、この津野米咲ワールド全開な「EDEN」が最後にあったことが嬉しかった。これだよこれこれ、こういうのだよ!だって、すごくかっこいいでしょ、なのにすごく変。つのさんの良さってそういうとこですよね(「変じゃないよ」って思う方、それも正解)。

まず、曲。この曲の構成ってたぶん、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ1、変な間奏、Aメロ、Bメロ、サビ2、サビ3、アウトロって感じだと思います。で、転調がめっちゃ多い。AからBに移る瞬間、サビの途中、サビからAに戻る時、2度目のAからBに移る瞬間、サビ2の途中、サビ2からサビ3に移る瞬間、サビ3の途中、と何回転調するんだよって感じです(合ってますか?)。この転調が目まぐるしいのにスルッと聞けるところに、超津野米咲を感じます。転調って、(音楽に詳しくない人にはなんのこっちゃなことかもしれないけど)たぶん一瞬で景色がパッと変わるような効果があると思います。例えばモノクロの世界から一気にカラフルな世界に行ったり、地上のイメージが天上の世界に上ったり、その逆だったり。そういう効果がある転調を盛り上げるために仰々しく使うアーティストもいる中で、嫌らしくなくスルッとやるところ、超津野米咲。BRUTUS特別編集 増補改訂版 クラシック音楽をはじめよう。」でつのさんが語ってたように、そういうところはクラシックの影響なんだよー変わってないよーと言われればそうなんだろうけど、あなたのその変わってないよーというところ、変わってると思います(もちろんいい意味で)。

で、この曲のいいところがその最初に転調するAメロ→Bメロのところで、転調にともなって曲調もかっこいい系から優しい系に変わるところ。ここで歌詞の内容もリンクするように変わっていて、強い系の言葉から優しい過去の記憶に変わってる。そこが超いい。Bメロのその後のコードも優しくて切なくて、さすが泣きのコードマニアの津野米咲だけあるなと思います。そしてそこからのサビはまたかっこいい系に戻る。ツンデレかよ!サビは途中でも転調していて、この曲は簡単に言ってしまえば、「かっこいい系→優しい系→かっこいい系→(転調して)さらにネオかっこいい系」って感じに変化していくように感じます。ツンデレツンツン。

それから最初のサビ終わりの変な間奏。最初に聴いた時は間奏でリズムが変わるから、みんな誰しも「うわっここ何拍子だよ」って思うだろうけど、これまで津野米咲をさんざん研究してきたらすぐに答えは分かります。「これ変な拍子だけど実は普通の4拍子だな?」。数えにくいけどそれまでと同じように数えれば絶対4拍子なはずです。「ほらーこの人やっぱり変な人ー(そこが好き)」って思うと同時に、変な数になりそうできちんと辻褄を合わせるところは、つのさんがお釣りがきれいになるように支払いをするゲームのアプリにハマってたことなんかも思い出しました(ここ参照)。(同時にここでこっそり転調を戻してもいる。たぶんもう一度転調の良さを出すため)

とまあ曲のことも書いたけど、そんなことより自分は歌詞の話をしたい!この歌詞すごくないですか?最初に読んだ時この歌詞驚きました。自分がミュージシャンや作詞家、詩人だったら嫉妬して辞めてると思います。

まずつのさんの歌詞って何種類かに分別されると思います。ひとつは昔多かった「訳分からない系」。このnoteもその訳の分からなさと知ろうとして始めた訳だけど、最近なんとなく、ああいう歌詞は夢日記だったんじゃないかなーと思うようになってきました。つのさんに直接聞いたことはないけど相当変な夢をたくさん見る人で、あれってそういうのが元じゃないと書けないんじゃないかなっていう考えからです。自分の中で「訳分からない系」の分類は今日から「夢日記系」と改めようと思います。

もうひとつの歌詞の分類としては、「過去の記憶系」があります。夢日記系と混じってる時もあるけど、年表を作っていても過去の記憶が結構歌詞に関連していることが分かります。代表的なのはもちろん「くい」とか「何を言う」とかですよね。

あとは「教訓系」とか「物語系」とかもあると思います(つのさんは自分のした体験とか、見聞きしたことを元にしか歌詞が書けないって言ってたけど、3人体制以降は自分の中での完全な創作もできるようになったんじゃないかな?と思います。で、理子さんに向けた物語を歌詞にしてたんじゃないかなあ。全部想像です)。で、昔は「夢日記」「過去の記憶」が多かったけど、どんどん「教訓」や「物語」の方に歌詞が移行していくように感じます。「夢日記」「過去の記憶」はもちろん自分のことで、「教訓」「物語」は他人に聴かせたい読ませたいものであるはずで、歌詞を聴かせたい対象が自分から他人に移っていったんじゃないかなと思っています。

で、この「EDEN」には「夢日記」の要素と「過去の記憶」が両方出て来る。そういう歌詞はすごく久しぶりだったので、なんかすごく大事な曲のように感じました。

この曲の主人公(=つのさん)はいつも何かに追われていて、戦っていて、疲れた時はいっつもそういう夢を見る。そういう時は昔の愛に溢れていた頃のことを思い出すんだけど、いつまでもそれにすがってばかりでもいられない。だから私は次のステージに行くんだ。そういう歌詞に聴こえます。よっぽど「ごはんの匂い」の印象が強かったんだろうなあ。土曜日の小学校終わりのそぼろご飯のことかなあ。

そんな良かった時代のことなのか、その時自分を取り巻いてた現実のことかは分からないけど、この人はそれをエデンと表現していて、そのエデンに別れを告げます。じゃあなんでそんなエデンにばいばいしてどこかに行っちゃうのか。それは、庭で育てた広葉樹に成って落ちた木の実を食べたら、自分の運命まで酸っぱいことに気付いたから。この表現も、超津野米咲だなって思います。この人、何を一生懸命庭で育ててたんだろう。つのさんが育てていたもの、実を結んだものといえば、やっぱり思い当たるのはどうしても「音楽」のことかなって思ってしまいます。音楽をいくら作っても結局は酸っぱいもので、そこから自分の運命すら酸っぱいものに感じてしまう。つらいな。そりゃくたびれるだろうし、いつまで経っても不安は迫ってくるし、悪夢だって見るだろうな。でも主人公の運命は酸っぱくっても、何かに追われて、そこに壁があっても(ということを「追いかけっこ」「鬼ごっこ」「通せんぼ」と、過去の記憶とリンクさせて子供の頃の遊びに喩えてるのも秀逸。今も過去と地続きというか、昔のままなんだね)、「ぼくらの明日だけ」は誰にも奪えやしないっていうのがまた、ネガティブ野郎にしか描けない希望を表現していてすごく好きだしすごく切なくなります。と思ってると2番の歌詞にも「弱いから強くなれる」ってあって、ほら、自分で自分を一番よく分かってるなって思います。

2番の、不思議をどれだけ解決しても新たな不思議が心に夢を描くというところは「絶対的な関係」の世界観にも通じているし、ずっとさなぎでいるというのは「journey」の「死ぬまでヤング」という考え方にも通じるなと思います。ここまでのメッセージ性を描いていながら1番Aメロと「夢」「弱い」というパーツが共通しているのもすごい。

1番のサビでは、エデンにばいばいする理由を描いていたわけだけど、2番のサビでも「偶然を大歓迎してみたくなった」からとその理由を言っています。でも、好きな歌が鳴ってても振り返らないよというところには、1番よりもポジティブみというか強い決心を感じるし、「オレンジ」に通じるところも感じる(…けど、「オレンジ」は送り出す人に「振り返らないで」と言っているように聴こえるのに対して、「EDEN」は去る人が「振り返んないよ」と言っているように聴こえる。もしかして対になってるのかも)。

とにかく「EDEN」の歌詞は読めば読むほどすごい歌詞だし、曲も聴けば聴くほどすごい曲だし、どっちも超津野米咲を感じるすっごい曲だと思います。と同時に、赤い公園と津野米咲の集大成っぽさも感じます。いろんな友達から聞かれたけど、このデモはどこまでが打ち込みでどこからどこまでが誰の演奏なのかな。いつどうやって作られたのかな。もうそれは誰も分かりません(もしメンバー4人全員の音が鳴ってないんだとしたら、4人全員のが聴きたかったな)。不思議はまだまだ残るけど、そういう未解決の不思議を解決しながら、またそれでも残る不思議たちが心に夢を放つんだと思います(この「夢を放つ」って表現がまたいいんだよな~、普通だったら「夢を描く」でしょ?)。

あーもう自分でこれを読み返してて泣きそう。もし自分が庭でりんごでもオレンジでも育てていたとしても、それが酸っぱいからって自分の運命まで酸っぱいだなんて思わないし、そんなこと誰かに思いついてほしくないし、思ったからこそこの曲はいい曲なわけだし。

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