ナゾの邪馬台国!?とっても奥が深い日本史最大のミステリー
少し遅くなりましたが、
先日ニュースで、吉野ヶ里遺跡から
約1800年前のものと思われる石棺が発見されました。
時代はちょうどあの邪馬台国があった時代。
もしかすると、この石棺を開けると、
邪馬台国の謎、そして女王卑弥呼の謎が
解き明かされるかもしれないと話題になっています。
邪馬台国の謎としては、
特に有名なのは、日本に過去存在した大規模な国だったにも関わらず、
どこに存在したかが未だ分かっていないという謎です。
中国の歴史書、『三国志』における「魏志倭人伝」には、
邪馬台国への行き方が記載されているのですが、
韓国から日本へ船で渡ってきたのち、
方角と距離が示されているのですが、
その行き方が間違った表現となっており、
その通りに移動したら、はるか太平洋の上に出てしまう。
そのため、方角、もしくは距離のどちらかが間違っている、
あるいは当時の計算方法と現代の計算方法では違う、
などが考えられており、
現在は、「畿内(関西)説」と「九州説」の2つが有力とされています。
そのうちの1つ、九州にある吉野ケ里遺跡から発掘調査をしたら、
もし九州説なら新たに手がかりが見つかるかもしれない、という事です。
ちなみに、どうやら江戸時代までは、
邪馬台国は畿内説が有力だったそう。
ヤマタイコク→ヤマトコク→大和国となり、ヤマト政権へと繋がったのではないかという説です。
そこに一石を投じたのは、当時の朱子学者、
歴史の授業でも出てきた新井白石です。
彼は当初は大和国説を説いたのだが、のちになって築後(福岡県)説を解きました。
それ以降、江戸時代では、畿内説と九州説に大きく分かれたとの事です。
・畿内が当時日本列島で最大勢力であったはず
・卑弥呼が遣使を送った際に受け取った三角縁神獣鏡が近畿を中心に出土する
・初期の巨大な前方後円墳が卑弥呼没後あたりに作られ始めた
・のちの時代の歴史書『随書』では、
当時のヤマト政権を魏志に書いてある邪馬台国と同一視している
などが挙げられます。
逆に、九州説となるのは、
・移動距離は12000里とあり、この通りに移動すると海へ出てしまうのだが、
旅の工程をトータル12000里としたら丁度九州の中に位置する
・他に記載のある日本の国は全て位置があっており、
それぞれの地名から邪馬台国の方角の記載を読むと九州になる
・3世紀から邪馬台国が畿内にあり、それを引き継いだのなら、
大和政権は6世紀に成立した、という記述そのものがおかしくなるのではないか?
・畿内まで行ったとしたら、途中に欠かすことのできない吉備国や出雲国といった、
当時の大規模な国の記載を省いて畿内まで行くのはおかしいのではないか?
といった形でどちらにも言い分はあります。
他にも、お互い様々な根拠はあるのですが、一部抜粋としました。
結局、どちらが正解なのでしょうか?
そして、邪馬台国の読み方も、
判明はしてませんが、当時の中国の読み方でヤマタイとは読まなかったそうです。
台という字にイという発音はなかったそうな…
→それこそ、邪馬台と書いてヤマトと読んでたかもしれませんね!
そしてこの漢字、中国語に訳される時に、
無理やり当てた単なる当て字にはなるのですが、
実際はもっと別の呼び方として呼ばれていたのかもしれません。
(そもそも、台という字は壱という字だった説もあります)
本当にいろんな説があって、
簡単にまとめることもできないので、
一度気になる方は情報をまとめてみてみてください!
今回の発掘調査で、なにか手がかりが分かれば、
面白い結果になるかもしれませんね!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?