見出し画像

人間とは、あっけなく崩れるものだ 適応障害


この病を罹患して、つくづくそう思う。
意気揚々、自信満々だった僕が、一瞬にして感情の渦に飲み込まれ、息ができなくなった。
気がつけば、身体が悲鳴を挙げていた。
心臓が飛び出してくるのではと感じるくらいの激しい動悸。嗚咽。息の仕方がよくわからない。苦しい。
僕は、このまま、死ぬのか?
そう思った。
翌日から会社に行けなくなった。

なんでここまで自分が追い込まれるのかわからなかった・・

たかだか異動しただけなのに・・

誰しもあることじゃないか?

最初はわからないのは当然。徐々に慣れるに決まっている。

そう自分に言い聞かせ、毎日出社した。

はっきり言って、異動する前は、自己肯定感にあふれていた。なんでもやれる気がしていた。たいていの課題は、自分の経験とスキルで乗り越えられると信じて疑わなかった。どんどん前に進める。そう思っていた、いや、信じて疑わなかった。おごり高ぶり、調子に乗っていただけだった。自分のいごごちの良い得意分野の中の池で蛙の大将に奉られていただけっだのに・・・

異動後も、この根拠のない自身でなんとかなると思っていた。大したことはない。なんとかなると思っていた。
ところが初日から、見るもの聞くもの会う人すべてが初めてで困惑した。緊張もした。周りとの考え方の違和感も感じていた。「なんでそうなるかなぁ?」、「俺の考え方がおかしいのか?」自問自答する日々が続いた。そんなことが多かった。そんなの環境が変化すれば当たり前のこと。世の中の働いている多くの人は、今、この体験をして不安に耐えながらもなんとかやり過ごしている。社会に生きているのだから・・組織に属しているのだから、こんな機会は定期的に訪れるのだ。僕だけ起こった悲劇ではない。というか悲劇でも何でもない。ちょっと、めんどくさい仕事と対峙しなくてはならなくなったけのこと。

これくらいのどこにでもあるどーってことない出来事だったのに・・・
渦中の僕は、感情の波に一気にさらわれて、溺れてしまった。

毎日、自分で自分の首を絞めているようだ。頭は回らない。いや、頭は回りすぎている。ブレーキの利かなくなった車のように暴走している。どんどん、過去未来のネガティブを総動員して現在の僕にぶつけてくる。そのたびに深く落ち込み、悲しみ、不安に襲われて、時には涙しと心はいっこうに落ち着かない。「悲観の底なし沼」に勝手に落ちてしまった。そして、自らを自作自演の悲劇の主人公に仕立て上げ、自己を正当化しようとしたのた。

これ僕が解決しなければならないの?




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?