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ふぞろいの胡瓜たち


ちょっと前、働き方改革の研修で、ある大学の名誉教授が仰っていた。「戦後、日本が急成長していく原動力となった製造業で、必要とされた人材とは?まずは、そこそこの学力があること。マニュアルが読みこなせないといけませんから。あと、言われたことを忠実に再現できる人。そうでないと、不良品の山になっちゃう。つまり、そういう人材をたくさん送り出すのが、戦後教育の目的だった。」

マニュアルどおり行動して、マニュアルどおりの製品が作れる人材。オリジナリティなんて要らない。個性?何だそれ。そんなの、捨ててこい!それが戦後教育だった。

だけどこれからは、誰も思いつかないような、びっくりする商品を開発しないと、売れない時代になる。9時から5時まで働いて、言われたことだけやっていればいい。そんな環境でイノベーションは生まれないよね?働き方改革の本当の目的はそれです!福利厚生でも何でもない!生き残りのための、窮余の策です!名誉教授は、熱く語られました。

ああしなさい、こうしなさい。私が受けてきた戦後教育とやらは、微に入り細に入り、事細かかった!窮屈だな。面倒だな。当時は反発したけれど、でも楽でもあったんです。自分で考えなくていいから。

専門学校の非常勤講師になって、生徒さんを教える立場になって。今までの常識が全然役に立たない。所詮、先生なんて「先に生まれただけの私」なんだけど、先に生まれたことが、何のアドバンテージにもならない。お手本にもなれない。そんな無力感に、今苛まれています。

今日スーパーで、 ふぞろいの胡瓜を買いました。(少し安いんです。(^-^;)胡瓜は真っすぐがいいなんて、それは大人の勝手な事情だよね。見栄えがいい。管理が楽。思えば私世代は、工場労働に合うように矯正されて育った。答えが一つじゃないこれからの世代に、一体何を伝えていけるんだろう?

胡瓜はとても美味しかった。そう感じちゃうのは、真っすぐ育て!マニュアルどおり育て!と教育された私の、ひがみなのかしら。規則があったからこそ、反発できた。今の若者たちは、かえって不自由だったりしないんでしょうか?

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