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東京暮らし(中学生編)

前回の投稿では、はじめて沖縄に行ったときの話を書きました。
今回は沖縄からは話題がそれますが、どこかで関係していそうな話を書いてみます。

その頃に住んでいたのは東京都渋谷区。都会も都会です。
札幌もそれなりの都会ですが、東京は何もかもが違いました。

東京に着いたときの驚き

引っ越したのは中学2年の6月のことでした。

羽田に降り立ち最初に感じた「むわぁ~っ」とした空気。
授業で聞いた「関東平野」は、どこまでも平地なのかと想像していたのに、滑り止め舗装が必要なほどに急な、坂、坂、坂・・・!

引越荷物が届くまでに泊まった宿舎で出迎えたのは、そう、黒くてすばしっこいアイツ。電気をつけたら、壁、床、天井に・・・!
この時初めて、本当に怖い時は声が出ないって知りました・・・。

ああぁ、これが東京かと、もう、初日から辟易としていました。
すぐにでも札幌に帰りたかったなぁ・・・笑

中学校でのできごと

転入先は渋谷区立の中学校です。
校内はドラえもんで見たとおりの緑の床。給食では瓶の牛乳が出てくる。
グラウンドは狭く小さく、サッカーや野球どこでやるの?ってぐらい。
他にも色々あったと思うけど、札幌市立とは全く異なっていました。

クラス内での学力差も激しく、すごく出来る子が何人もいました。
もちろん東京と札幌の差も大きく、全教科が1ずつ下がるほどでした。
唯一、僕が苦手な体育だけが1上がり、「東京の子は運動しないのか?」と思ったっけ笑

屋上にプールがあって、夏休み明けに水泳大会があるのにも驚きました。
当然泳げなかったのですが、大会で恥をかきたくないと、夏休みに毎日通って水泳部の横でクロールと平泳ぎをひたすら練習しました。
それぞれ25mは泳げるようになったのは嬉しかったな。
(今じゃもう泳げないけどね。)

そんな驚きが多い中学生活でしたが、友達もそれなりに出来て楽しい日々を過ごしました。
合唱コンクールではソロパートを担当することになり、面倒くさがってた不良っぽい子も上手く巻き込んで、確か学年2位になったんだったかな。
どんな相手でも、一生懸命やれば伝わるんだなって思えたのは、良い経験でした。

刺激の多かった東京

学校生活以外でも、本当に多くの刺激を受けました。

家から歩いて行ける渋谷では、何でも売ってる東急ハンズで上から下までずっと見て回るのが好きでした。小田急で一本の新宿は、紀伊國屋書店、ヨドバシにさくらやあたりを、よく覗いていたっけ。今とはかなり様子の違う秋葉原電気街も、何か買うわけではなくても楽しめました。
いつも混んでいる雑多な街中を自由に歩いているだけで、都会に住んでるって感じがして楽しかったな~。

また、代々木公園に新宿御苑など、緑のある大きな公園があちこちにあるのも、住む前の想像とは大きく異なりました。
夏休みに行った東京タワーが階段で上れると知ったことや(キツかった!笑)、正月の国会議事堂の前は人っ子一人居ない空間だと知ったことも、とても良い思い出です。

そんな中、予定が早まり中3の秋に、元の札幌の中学校に戻ることになりました。来るときはイヤだったのに、帰るとなったらもうちょっと居たかったなと寂しく思いました。

東京暮らしで得られたこと

このときの暮らしが、大人になったら東京に住みたいと思うきっかけになったのは、間違いありません。

多感な中学生の時期に過ごした刺激の強い東京暮らしが、今でも衰えることのない好奇心を大きく育てたと思います。
まだ見ぬ世界が想像通りかそうではないか、気になったことは全て自分の目で確かめたいと思うようになりました。

多様な人がいる環境にも慣れたことで、「都会は怖い」なんて思うことはその先一度もなかったかな。
ずっと先になってからですが、思い立ったら一人で海外に行けちゃう度胸が付いたのも、この東京暮らしがあったからこそなのかも知れません。

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何のつながりもないように思えて、ちゃんと今の自分を構成する、大事な要素になっていたんですね。
そんなお話が、もう少し続きそうです。

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