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飽きたのか、冷めたのか、諦めたのか

こんばんは、赤ギツネです。

先週の宣言通り、一週間後に記事を公開しております。
うんうん、偉いぞ自分。
今日はプリンをご褒美に買おうじゃないか。
ささ、早く書き上げないと洋菓子屋さんが閉まってしまいますよ。
なんたってもう日曜日の17時17分なのですから。
悠長にしている時間などありません。
よし、書こう。


なんて意気込んでおりますが、書くことが全く決まっておりません。
先週はあれやこれや書きたいものがあるわ~っと、豪語しておりましたが、いざパソコンを前にすると、そこまでだな….と文字を打つ手が止まりました。

ああ、なんてダメなんだ。
先週は本当にいろいろ書きたいな~と思っていたのですよ。
しかし!今!
文字打つのが全然楽しくないのです!!!!

いや、楽しくはあるのかな?
現に今打ってるし、、、、。
先週に比べて楽しくないみたいですね。

はい、そうです。
今回の記事のタイトル通り、
飽きたか、冷めたか、諦めたか、それともまた別の原因か、
こいつらどれかによって楽しくないのだろうなと考えています。

まあ、主に冷めているのと、諦めてるのでしょう。
流石に飽きるのは早すぎると思いますので。
(飽きていたらもう今の自分から一生変われない気がする)

学生時代に一時期すごい熱を持った過去があって、
先週急に再熱した。
ならば冷めたのでしょう。
飽きるのと同じくらい早すぎるとは思いますが。

そして、諦めている。
こいつのせいでもあると思うのは、
昨日お酒の勢いで買った、
エッセイ本を読んだからです。
わあ、潔いほどの他責精神。
まあまあ。それは今は置いておきましょう。
これについて書いていたら夜が明けてしまいます。

そのエッセイ本というのは、
F  (2020年9月19日). 20代で得た知見

というめちゃくちゃ売れてる本です。
あなたもご存じの本でしたでしょうか。
本屋のおすすめ本第1位!!!!と書いてありました。
まあ買っちゃいますよ。
タイトル気になるし、おすすめされてるし、すごい売れてるし。

今日はそれを読んでました。
まだ途中なのですが、途中まで読んだ感想は、
端的に申し上げますと、

表現が素敵。

うん、もうね、一体何を食べたらこんな表現ができるのだろう、
と不思議に思いながら読んでいます。

それと同時に自分の語彙力と文章力の無さに絶望しています。
今、実際にあなたもこの文章をお読みになってて思うでしょう。

「こいつはなんて薄い感想しか述べないのだ」

いやはや、仰る通りです。
こんな薄い感想しか出てこないのは、
自分の人生が薄いからでしょうか。
薄いという自覚があるのです。
平凡な家庭に生まれ、平凡な人生を二十何年歩んできました。
ただただ、時の流れに身を任せて歩いてきました。
いや、歩いているという表現は正しいのか。
動く歩道に乗ってただぼーっとしていただけではないだろうか。
そしたらいつの間にか動く歩道は終わってました。

しかし、その先にはいくつもの道がちゃんと続いています。
だけど、周りは霧が濃くてどこを歩いていいかわかりません。
「こっちだ」っと思って進んでも、
やっぱり目線の先がどうなっているかわからなくて、
怖くて、動けなくなる。
しばらく止まって、それから別の道をふらふらしながら探しています。
今もまだ、探しています。

ふむふむ、なんともありきたりな表現。
二番どころか、何番煎じかもわからない表現。
言葉の表現も、一種のクリエイト。
それを生み出す才能を今日読んだ本の著者、Fさんは持っていました。
読んだ本の主張に共感できたとき、著者である彼らと同じような何かを持っているのではないかと思ってしまいます。

しかし、自分は彼らではないので、違って当然。
彼らが持つ何かを、自分は持っていない。

ならば、彼らが持っていない何かを、自分は持っていないだろうか?
持っていたとして、それをどうやって探せばいいのか。
目の前はやっぱり霧が濃くて何も見えない。怖い。
動けば何が起こるかわからない。
だけど、動かないと探せない。
何を探すかも、
どうやって探すかもわかってない。
ただ、動くしかない。

変わりたいんだから、そうするしかないんですよね。
さて、明日もお仕事です。

何をすれば、自分が持っている何かを探すことになるのでしょうね。
知らないコミュニティに飛び込んでみるとかですかね。
手始めになにかの体験講座でも、申し込んでみようかな。

あ、ちなみに見出しの使い方は理解しておりません。
特に今は使う必要がないかなと思いまして。
それでは、今日はここまでです。
おやすみなさい。


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