見出し画像

なにわの企業奮戦記⑥ ハウス食品株式会社

 日本人が大好きな料理のひとつはカレーです。カレーが家庭料理に登場するのは大正時代のこと。今日に至るまで、いくつものメーカーが「即席カレー」を販売していますが、そのパイオニア的存在のひとつが、ハウス食品株式会社です。
 同社は大正2(1913)年、松屋町筋に生まれた浦上商店がルーツです。創業者の浦上靖介は、明治25(1892)年、徳島県に生まれ、大阪で丁稚奉公をして商売の基礎を学び、21歳の時に独立しました。
 最初に取り扱った商品は、和漢薬や工業薬品でした。洋食が次第に普及し始めた当時、漢方原料の丁字(クローブ)や桂皮(シナモン)などのスパイスやハーブに、ソースの原料として需要が高まると、靖介はこれを積極的に扱うようになりました。また、カレー粉に含まれるスパイスが、漢方薬と共通していることを知った靖介は、日本人好みの味と香りを引き出すために、試行錯誤を重ねました。
 浦上商店はすでに大正10年頃から、得意先に下請けを依頼されたことをきっかけにカレー粉を販売していましたが、大正15年、旧知の食品製造会社から、工場、「ホームカレー」の商標、営業権を譲り受け、本格的に即席カレーの製造販売に乗り出しました。もちろんここで靖介の研究の成果が生かされたのは言うまでもありません。
 平成23年まであった近鉄小阪駅前の工場は、その時以来のものでした。今訪れるとすっかり住宅地の中にとけ込んでいますが、当時は伝統の河内木綿の産地らしく、見渡す限りの綿花畑でした。
 昭和3(1928)年、浦上商店は、ブランドを「ハウスカレー」に一新しました。その後、長年消費者に親しまれる家のマークに「IN EVERY HOUSE」と書かれた図案も商標登録されました。
 この新生・ハウスカレー誕生と共に、浦上商店 は実演販売に乗り出しました。

画像1

 「調理法が簡単でしかも美味しい」ということを知ってもらうには、実際に食べてもらうのが一番だと、女性の実演宣伝員を養成して小売店に派遣し、店頭でデモンストレーションを行わせたのでした。今ではスーパーなどでよくお目にかかる光景ですが、この業界初の試みは評判を呼び、売上は急上昇となりました。
 戦中の原材料統制の中で、昭和16年にハウスカレーは製造中止に追い込まれましたが、昭和24年に再開。それを機に社名も「株式会社ハウスカレー浦上商店」とし、国民生活の安定と共に業績を伸ばしました。昭和27年からは、カレーのパッケージをかたどったユニークなボディの宣伝カーを走らせ、その知名度は全国的なものとなっていきました。

画像2

 またラジオやテレビでも、インパクトのあるCMを流し、消費者の心を巧みに捉えました。
 創業50周年であった昭和38年には、ロングセラーとなる「バーモントカレー」を販売。子供も一緒に食べられる、マイルドで健康志向のカレー、というコンセプトは、当時他社には見られないものでした。
 まさにそれはハウス=家庭のカレー。「円満な家庭の味をより多くの人へ」という、ハウス創業以来のスピリットは、その後も同社が生み出す商品に受け継がれています。

※写真はいずれもハウス食品株式会社提供。『大阪新聞』掲載時、旧サイトアップロード時に同社より使用許可を得ています。
第108回/平成12年7月5日掲載


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?