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「白人男性受難の時代」の巻

 2010年5月にインディアナ州で、ダライ・ラマ14世猊下に拝謁したことは既に書いた。行くことに決まった時、筆者はすぐに、インディアナポリスに住むアレクにメールを送った。
 アレクサンダー・シーザック、白人男性。はっきりとした年齢は知らないが、再会した当時、40歳ちょっと過ぎだったのではないかと思う。アレクは、筆者がアメリカに来た時に入学した、英語学校の先生だ。
 ロサンゼルス・ダウンタウンに近いウィルシャー地区にあるその学校は韓国人の経営で、アメリカに合法的に滞在する為の正規の学生ビザを、比較的安い費用で提供していたが、授業のことなど余りちゃんと考えているようではなかった。上級クラスのアレクの授業は、基本的にはフリー・カンバセーションだった。毎回アレクがテーマを決めて、それについて学生が自由に話をする。いきなり初日に、上級クラスの彼の教室に放り込まれて、最初は全くついていけなかった。学生の会話もそうだが、アレク自身が話す英語のスピードが、全く手加減なしの、普通にアメリカ人が話すスピードだったからだ。レベルが高いと言えば高いが、いい加減と言えばいい加減だった。人数が少ないときは、「スクラブル」という、ボキャブラリーを競うゲームをするだけの日もあったが、もうひとりのアメリカ人講師の授業も、よく似たようなものだった。
 インディアナ大学で英語学を修めたアレクは、当時、映画監督を目指して、ロサンゼルスで不遇の日々を送る青年だった。糊口をしのぐために、英会話講師をしていた。長く髭を伸ばして、いつも黒装束、そして黒眼鏡がトレードマークだった。
 そんなに親しくなった訳ではないのだが、教材研究が専門の私にとって、アレックの教材は印象的だった。トピックやボキャブラリーがユニークで、私はデータを貰って今もそれを全部保存している。"Catch-22" 、"Holy cow!"、"Revisionist" など、普通の英語学校では習わないであろう、ある意味で実践的な単語を彼から多く学んだ。
 私は間もなく永住権を得られたので、学校に通って学生ビザを保持する理由がなくなった。それで、一年足らずで学校を去ることにした。アレクとはその後も、一緒に野球を観に行ったり、クリスマス・カードを送ったり(その返事はいつもメールだったが)して、細々と交流は続けていた。2年程して、彼もその学校を辞めて、日本にいた当時の私のように、公立高校の教師になったと聞いた。アレクはメールで、「学生のしつけがなっていない。先生に対する尊敬がまったくない。君が言っていたことが良くわかったよ」と、授業中に私が、教育の難しさを、拙い英語で話したことを、思い出したという。
 さてインディアナポリスで数年ぶりで会ったアレクは、ヒッピーのようになっていた(写真をご覧いただきたい)。黒装束は相変わらずで、一度きれいにそり落としていた髭を、また伸ばしていた。母校に戻って修士課程で学んでいるという。予定では、その後大学で教えるために、博士課程に行きたいらしいが、いい年をして、まだ親のすねをかじっていることを、いささか自嘲気味に語った。
 「それで、親父と一緒に奨学金を探したんだけど、白人向けのものはないんだよ。親父が『おい、おまえ、これは大問題だよ。貧乏な白人に奨学金がないっていうのは、どういうことだ!』って言うんだよ。レッド(筆者の愛称)もそう思わないか。」
 確かにそうだ。黒人向け、ヒスパニック向け、アジア人向け、女性向けなど、さまざまな奨学金が大学ごとにあるが、白人男性という「強者」を対象にするものはない。今やサバイバルに最も不利なのは、白人男性なのだ。これは明らかに、80年代に始まるアファーマティヴ・アクション(積極的差別是正策)の影響だ。
 アレックお勧めのドイツ料理店で、軽い昼食を一緒に摂った。私がご馳走すると言うと、彼は恥ずかしそうに謝意を示した。空港まで送ってくれたあと、やはり恥ずかしそうにハグをして、そっけなく別れた。今度はいつ会えるだろうか。
 ところでその頃、アリゾナ州で、不法移民を取り締まる法律が強化されたことは日本でも報じられたと思う。カリフォルニア州でも、不法移民は非常に大きな問題だ。勿論、犯罪に関わらない、善良な人も多い。不法移民の中には、強制送還を恐れて、雇用主から不当な仕打ちを受けても、警察に届け出られないというケースが多いらしい。
 先日、翻訳の仕事をしていて、ある文書が目に留まった。 
 不法移民が配偶者から暴力を受けても、不法就労と同様、強制送還を恐れて泣き寝入りすることが多いということが問題視され、それを防止するための法改正があった。被害者が訴え出れば、何と不法入国は不問に付し、なし崩しに居住権を認める制度ができたというのだ。例えば、加害者とされる夫が、妻が不法入国であるとか、不法就労であるとか、或いは、居住権目的で、夫に暴力を振るわれていると虚偽の申告をしているとかの事実を申し立てても、「被害者」に不利な情報は一切無視されるのだという。
 勿論、アメリカでは、永住外国人に選挙権を与えるような、国民国家の原則を崩壊させるような愚行などしない。しかし、不法移民に対する税金を使った厚遇や、こんななし崩しの「合法化」を見れば、失業したり、生活に窮したりしている市民や、かつての筆者のような「合法移民」には、逆差別にしか見えない。怒りしか覚えない。
 アレクの写真を見ながら、この国の「平等」も、日本同様、今やかなり怪しいものになりつつあるような気がした。

『歴史と教育』2010年10月号掲載の「シビリアン・アンダー・コントロール~モントレーの砦から」に加筆修正した。

【カバー写真】
 アレク(モノクロ写真の男)と見に行ったサンディエゴ・チャージャーズの試合で撮った1枚。当時住んでいたLAには、意外なことに、プロフットボールチームはなく、アレクの提案で、遠足のような感じでサンディエゴまででかけて観戦した。
 アレクは、若い頃はフットボール選手を目指していたらしい。その後は映画監督やミュージシャン…夢破れて、当時40代の大学院生。筆者だって、40過ぎてからアメリカに来て、好きなことをしていたのだから、まぁ、人目を気にせずに、一生夢を追いかけられるという点では、この国は良い国なのかも知れない。ちなみにアレクは今、某州立大学の教授になっている。
 合法移民に対する逆差別は、バイデンが大統領になって真っ先に強化を打ち出している。アメリカは日本よりも疎かになりつつあるようだ。アレクはどう思っているだろうか。(撮影:筆者)



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