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再訪『Ghostwire: Tokyo』

アクションアドベンチャーゲーム『Ghostwire: Tokyo』のアップデート「蜘蛛の糸」が4月12日に配信された。

今回のアップデートを機に、一度本編をクリアした『Ghostwire:Tokyo』を改めてプレイし、街を探索した。そして、このゲームは非日常となった街を題材としつつ、どこにでもある日常の痕跡を感じさせてくれるゲームということを再発見した。本作は東京という街の姿を大掴みに描いていて、どこかで見たようなビル群、住宅街や団地が切れ目なく続く。本来であれば人々が行き交う姿があって然るべき場所だが、そこには誰もない。その代わりに、霊体や怨霊といったかつて人間だった者たちがぽつぽつと点在している。

非日常的な光景だが、その一方で彼らが口にする呻きはどこかで聞いたような身近で、日常的なものだ。「健康診断の数値が悪かった」「もう働きたくない」「上の階の住人がうるさい」……死後もなお、せせこましい日常に縛られる彼らの姿はおかしくもあり哀れでもある。こうしたどこにでもある生活上の悩みは、彼らのような名も無き幽霊たちだけが抱えるものではない。主人公の暁人とKKが本編ストーリーのなかで苦しんだこと、またプレイヤーにも通ずるものではないか。

本作はホラー要素の強いゲームだが、恐怖以上に物悲しさや儚さを強く感じられる作品でもある。その理由にUIのテキストや演出、街のビジュアルの端々にギャグのような軽いノリの描写が挟まれているからだと私は考える。前述した街中の幽霊のテキストもそのひとつだ。そうした軽薄さは一見すると、本編のシリアスなストーリーや人影の無い街の静けさと不和を起こすように見える。しかし軽薄だからこそ、人間の営みは儚く愛すべきものとなり、その写し身である街は物悲しく映るのだろう。

ゲームを通して日常を見ることは、自分たちが生きている日常の異様さに気付くきっかけになる。『Ghostwire: Tokyo』は非日常に反転した街を用いて整然とした死を示し、そこに残る雑多な日常の痕跡から生を浮かび上がらせている。

『Ghostwire: Tokyo』公式サイト


Game*Sparkでプレイレポートを執筆しました。
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