旅立つ者は孤独にあらず『Shenmue the Animation』第5話「匹儔」

『Shenmue the Animation』第五話「匹儔」の感想を書く。
第四話の感想はこちら。

今回はいよいよ涼の旅立ちの回。
涼の故郷からの旅立ちはゲームとアニメでいかに変わったのか。

あらすじ
マッドエンジェルスは原﨑を人質に取り、涼を港へおびき出す。彼らのボスであるテリーは原﨑を解放する条件として、涼に貴章を倒すよう持ちかける。マッドエンジェルスが見守る中、やむを得ず貴章と拳を交える涼。激化する戦いの中、お互いに「燕旋降脚」を放つと二人はその場に倒れ込む。その姿を確認したテリーは横須賀を手中に収めたと気勢を上げるのだった。

活躍する横須賀の人々

今回は涼と貴章が戦っているシーンから始まり、前話で涼が案じた一計が時を遡って展開される。
涼はマッドエンジェルスの目を盗み、ゴローにメッセージを残していた。メッセージに気づいたゴローは17番倉庫に捕らえられた原﨑を発見し、麻衣やマークと力を合わせ、原﨑の救出に奮闘する。一方涼は戦いの中で、これが罠であることを貴章に伝える。事態を察した貴章は、涼と同時に技を放って力尽きた振りをし、油断したマッドエンジェルスたちに反転攻勢を掛ける。
ゲームでは涼と貴章だけでマッドエンジェルスを倒し、涼自身の手で原﨑を救出していた。また、この戦いは涼と貴章の二人のみに信頼関係が築かれる場面として機能していた。対してアニメでは横須賀の人々の助けを借りて原﨑が救出され、より広汎な人間関係を描いている。また涼と貴章のシリアスなシーンの間に賑やかなゴローたちの活躍が入るのは観ていて単純に楽しく、一服の清涼剤となっていた。ただそれにしても麻衣はゴローを引っ叩きすぎである。

故郷との別れ

これまでの記事でも触れてきたように、アニメ版は涼と登場人物たちとの関係をゲーム版よりも細かく描いてきた。そして今回涼が横須賀を離れ旅立つ場面に、その違いが如実に現れる。
ゲーム版シェンムーの涼の旅立ちは、周囲の人間にとっては必ずしも望ましいものではない。それゆえ見送る人々からは悲愴感が漂い、また涼の孤独と決意の固さが際立っている。対してアニメでは涼の孤独を感じる部分は薄まり、彼を見送る人々にはどこか前向きさが感じられる。これはゲームでは街に、アニメでは人に比重を置いて描いてきたことで生じた変化だ。
街を自由に行動でき、長時間過ごすことになるゲームでは街や景色に対してプレイヤーにも自ずと郷愁が生まれる。アニメはゲームに比べると、街を見せられる時間が限られ、探索が出来るわけではないため、視聴者が街自体に郷愁を感じるのは難しい。その分、人々の細やかな感情の描写はアニメの方に分があり、涼と登場人物の関係性に新たな一面が浮かび上がる。
ゲーム版では横須賀を去る朝、言葉少なに生家と家族に別れを告げ、街を歩く涼の姿を写す長いシーンがある。その間は誰とも出会わず、何も言わず、ただ淡々と流れる街の風景が涼を見守る。故郷へはもう帰れないという、涼の覚悟を感じさせる描き方だ。
対してアニメ版の涼は「必ず戻ってくる」と家族に伝える。稲さんは涼の手を握って無事を祈り、福さんも「涼さんならやれる」といった応答をするなど、ゲームとは涼との距離感が大きく異なる。ゲームでは回想シーンになっていた原崎がお守りをくれる場面も、旅立つ当日に入れ替えられている。なにより、ゲーム版でマッドエンジェルスとの騒ぎを理由にクビにされたアルバイトを、最後まで勤めたうえで自分から辞めることができた。マークも涼の前途を祈る言葉を掛けてくれる。これは彼の孤独を取り除く要因として大きいことではないだろうか。
私はゲーム版シェンムーの説明をせずに涼の淋しさを感じさせる演出がとても好きだし、彼が横須賀を去るシーンはゲーム史に残る優れたものだと思っている。
とはいえ、アニメ版の旅立ちの場面も良かったと思う。ゲームとは真逆と言っていいほど雰囲気が異なるが、今まで涼と人々の繋がりを詳細に描いてきたことを考えれば十分に納得できるものであり、これから新天地に向かう涼の旅路に期待を持たせる心躍るものになったと感じた。

旅立つ者と残る者

港に着いた涼は、香港行きの船を用意した陳大人と貴章に礼を言う。貴章も涼の旅に着いていくことを申し出るが、鏡を狙うチャイの妨害を受け、貴章は脚に大怪我を負ってしまう。これまでに培ってきた技を用いてチャイを撃退する涼だったが、貴章は旅の供をすることができなくなってしまう。
ここまでの流れは、技の伝承などの省略こそあれほぼゲームとアニメで相違ない。ただしゲームでは、なし崩し的に貴章が旅についていけなくなったのに対し、アニメでは無理を推して旅についていこうとし、それを涼が断るというやりとりに変わっている。ここで涼は「お前は親父さんと一緒に居た方が良いと思う」と発言するのだが、これはいままで『Shenmue the Animation』を観てきた中で、私の抱く芭月涼のイメージが最も大きく更新される瞬間だった。
ゲーム版、特に一章の涼は基本的に相手の気持ちや立場に立って行動する余裕がないため、このような台詞はまず出てこない。父を失った涼は追い詰められ、仇を追い求めることがアイデンティティとなっている。それがゲーム版の涼に漂う孤独感に繋がっているのだ。
しかしアニメ版では、相手の話を聞き、受け止めるだけの余裕が涼にある。これは横須賀の人々が主体的に涼を支えてくれていること、そして彼が追い求める対象が仇ではなく父親になっていることが大きな理由だろう。先ほども述べた涼と人々の繋がりが、この台詞に結実している。
組織の長と部下として振舞ってきた陳大人と貴章は、涼の乗った船を遠くに見ながら親子として言葉を交わす。貴章はこれまでにも親離れしようとしているように描かれてきたが、このシーンで陳大人もまた貴章の親離れの機会を探っていたことが伺える。彼らの姿を見て、改めて本作のテーマが親子であることを確信した。


これまでの回でもゲーム版にあったイベントが再構成され、時系列を入れ替えて使われていることがあったが、今回は特にそれが多く感じた。
その入れ替え方が巧く、かつ原作を尊重しているので、もともとの関係性以上に物語上で効果を発揮していると思う。ゲーム版からイメージが異なってきた涼が、今後どのような面を見せ、他の人物たちに影響を与えていくのかがこれからも楽しみだ。

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