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「心地良い憧れとその消費期限」改訂版

※こちらは、2020年7月のオンライン個展内で発表したファンタジー私小説に修正を加えたものです。


心地良い憧れとその消費期限


「だからね、こういう体型の人は現実にはいないんだって」

男が何かを話すたび、わたしはいらついた。


二人は小さな部屋の中。
男の視線の先には、小さなキャンバスがあった。
それは、わたしが描いた絵。
顔面がドレープカーテンで覆われた女の絵だ。

男は絵にあれこれと難癖をつけた。
わたしもむきになって反論する。

そんなことをしているうちに、部屋の扉を外側からノックする音が。
男は声をかけられると立ち上がり、すぐ戻るから、などと言いながら一瞬だけこちらを見た。
瞳がキラリと光る。


綺麗。
左目も盗っておけば良かったな。


一人だけ取り残されてしまった部屋。
しかし、寧ろ好都合だった。

わたしは、あろうことか急いで荷物をまとめはじめる。
あの絵だけを残して。

そして、重たいバッグを肩にかけ、立ち上がる。


「元気でいて。もう行くから。
でも『必ず戻る』から。
それまで待っていて」


絵に手を振ると、壁に立てかけられた絵の中の女は、顔のドレープだけをゆらゆらと揺らしてみせた。


静かに部屋の扉を閉める。
暫くの間、いやもしかするともう二度とこの部屋に来ることは無いかもしれない、と思いながら。


***


わたしは忘れっぽい。
ものを覚えるのも苦手だったし、忘れ物をすることも多かった。

外出先での忘れ物は「入れ物ごと」。
小学校・中学校時代はランドセルや指定のリュックサックごと教科書を学校に置き忘れた。
大人になってからも旅行に出かけるとキャリーバッグごと全ての荷物をどこかに忘れてきてしまうことがよくある。

そんなわたしが、わざと「忘れ物」をした日。


やりたいことがたくさんあった。
作りたいものも描きたいものも数え切れないほど。


***


外に出てみると、思いの外暗かった。
紺色がかった黒い空には何も浮かんでいなかった。

わたしは重たいバッグから絵具を取り出すと、空を塗り潰して絵を描いた。

描いても描いても浸食してくる暗い空。
鬱陶しくて騒音だらけで終わりが見えない。
油断すると足元をすくわれてしまいそうな、底の見えないダークブルー。
それでも負けずに延々と手を動かした。


しばらく経った頃、汗をかきながら一心不乱に描く手を止めたのは、心の中で何かが弾けたからだった。

まさか、と思い、急いで記憶の宝石箱を開ける。


ペンダントを取り出すと、琥珀は割れて粉々になっていた。

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