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Stay Foolish??

前のブログをあげた時に、「ユナイテッドやサッカー界のことだけじゃなく、自分のこと書いてみれば?」と言われた。本来noteってそういう場なんだろうけど、なんかちょっと気恥しさがあったし、評論家ぶってカッコつけたいみたいなクソみたいなプライドが邪魔して書いてこなかった。てことでまあシーズン終わったし、いい機会だし初めて書いてみようかなと。


浪人という自分を客観視する戦い


まーたお前浪人の話かよ、と思われそうだが、やはり1年間シャバの世界から離れる経験が、自分の人格や考え方に大きな影響を与えないわけは無い。
浪人とはとにかく自分を客観視するいい機会である。というか嫌でもそれをさせられる。ほぼ月一ペースでの模試によって"偏差値"という客観的数値と睨めっこする。
自分の感覚ベースでどんなにやったと思っていても、そこの数字に直結しなければ意味が無い。逆に短い時間でも点数に直結する努力ならばそれでいいのだ。

そして受験というのは全ての範囲を網羅することは不可能なのであり、その中で最高点数を出さなければならない。模試の分野別の点数などを比較してどこの科目、もしくは分野で点を稼いで、苦手分野の失点をどう抑えるのかということを考えていかなければならない。

これを統括して受験の王道と言われる戦略は、自分が出来ると思う題問から手を付ける。そしてなんとしてもその題問を解ききる。苦手な単元の題問は行けるとこまでやって、最小限の点数をもぎ取る。

つまり「自分を客観視」→「損切り」という手順を踏んでることになる。自分の能力を把握すること。出来ることは全力ですること。無理なら無理ですぐ諦めて時間かけずに次に行くこと。いわばそれは能力を"伸ばす"事ではなく、能力を最大限"活用"して高い点数を取ることに特化することである。


悔しさと客観視

11月15日。詳細は諸事情により言えないのだが、自分たちのカテゴリーにとって1年で最も重要と言っても過言ではないゲームがあった。そこで私はペナルティアークとセンターサークルの中間点くらいからの、超ロング弾を食らってしまう。もちろん相手のシュートもスーパーではあったと思うが防げるシュートであり、見方によってはGKのミスであるシュートであった。

おそらく高校時代の自分だったら、すぐシュンとなりそのゲームの残り時間は喋る量も少なくなり、もしかしたら次のゲームまで引き摺っていたことも全然ありうる。
しかし、この時は点取られた直後からチームを盛り上げようと切り替えられていたし、この次のゲームは個人的に今季のベストゲームを演じることが出来た。

この切り替えの速さは「悔しさの度合い」に関連している。

高校時代の自分は全てのシュートを止められると思っていた。自分にとってどのプレーができて、どのプレーができないのかをしっかりと線引き出来ていなかったからだ。客観視??ナニソレオイシイノ状態だ。だからこそシュートを決められればその後に、叩き込まれた瞬間の自分のポジションや指示の声などに考えを巡らせ、その結果なかなか切り替えることが出来なかった。とにかく切り替えられないほど悔しかった。

しかし今は違う。自分がどんなシュチュエーションが嫌いでどんなシュチュエーションが得意なのか分かっている。だからもちろんやられた瞬間は悔しいがまあ別に出来ねえことは出来ねえやと思って切り替えることが出来た。今回のケースもロングシュートへの対応は苦手だし、前へ出た時のバックステップが遅いことも分かっていた。だから早く切り替えることができた。

でもこれって果たして高校時代より成長したと言えるのか??


選手としての総合値と伸び代


多分選手としての総合値は今の方が高いと思うんだ。GKなんてもんは失点は食らう。それにいちいち落ち込んで次のゲームまで引き摺ってたら最悪。ミスって食らった1失点が引き摺ることで2にも3にもなってしまう。受験と同じだ。苦手な題問(プレー)に時間をかけすぎて、メンタルもぐちゃぐちゃになりその後にある、簡単な問題すら落とす、というのが典型的な負けパターンだ。こんなん無理無理と損切りして次の得意な題問(プレー)に向かう、そっちの方がはるかに高得点をたたき出せるのだ。

一方でこのやり方はどうなんだろうとも思う。この臭いものには蓋をしておこう的なやり方は本質的な成長にはなってない。アプローチがミス自体を無くす事ではなく、ミスから生まれる二次災害を減らしマイナスを最小限にするというものだからだ。
ミス自体をしないようにする、という視点に立った時、悔しさは大きければ大きい方がいいだろう。何となくイメージはつくであろうが、高校時代の監督の言葉を使うならば、悔しければ悔しいほど「身につまされる」感覚がある。人は悔しいから練習するし、悔しさが練習に対する真摯さや熱心さをもたらす。この理論でいえば悔しければ悔しいほど成長曲線の角度は急になっていく。今やっている「諦めて悔しさを小さくする」という自分のアプローチは成長曲線を緩やかにするやり方なのではないか??

悔しさはすぐに忘れて切り替えなければならない。しかし上達の為のガソリンは悔しさなのである。この二律背反のようなものの壁にぶち当たった。

来季に向けて

マジでムズいなあ。苦手なプレーをこのやり方でそんなに練習せずお茶を濁せるほど強烈に得意なプレーを持ってるわけじゃねえし。多分一流になるやつって、ここの塩梅が上手いんだろうな。

まあもうこればっかりは悔しさを忘れず練習せえとしか言えない。忘れないように書き留めること、書き留めた上でそれを練習すること。大学になってプレイヤーとしての技術が見違えるほど成長することはレアケースだと思うけど、誰に頼まれたわけでもねえ、自分で選んだ道だ。まあやるしかないわな。
凡庸すぎる中学生みたいなオチだ。クソほどおもんねえ。あっぱらぱっぱっぱ〜〜あっぱらぱっぱっぱ〜(CV.パ〇ティーみ〇う)

まあすげえ楽しかったし、過去一哲学したシーズンだったとは思うよ。ありがと!

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