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4.コルカタ~波乱の幕開け~

私は上海から飛行機に乗り、スリランカの空港での乗り換えを経て、無事にインドの東のコルカタへ着いた。飛行機のなかではシャールック・カーンという俳優の出ているインド映画を観ていて、隣の席のインド人のお兄さんが話しかけてきたので、自分の知っているインド映画の知識を披露して感心されたりした。けれども、上海で知らされた(実際には勘違いだった)インドへは3か月しかいられないという事実は私を打ちのめしていた。まさにどん底からのスタートであった。

空港のATMで現地のお金を下ろすことにも一苦労した後、ビリーヤ二を食べて少し元気を取り戻す。ようやくバスに乗って、コルカタの街へと向かった。ここから、インドの旅が始まる。もちろん、自分でが望んでいたことだが、不安でいっぱいだった。バスをエスプラネードという場所で降りると、目の前にはすでにインドな風景が広がっていた。さて、歩き出そう。バス乗り場から離れるとすぐに、物乞いの女性に囲まれる。これがインドの洗礼か。私は彼女たちを無視して歩き出した。

とりあえず、安宿の集中しているサダルストリートへ行こうと、ガイドブックを片手に歩いてみたが、どうにもつかない。まだこの時点では人に聞くのにも躊躇いがあり、徒歩10分もかからないはずの目的地に着いたのは、なんと3時間後のことであった。

サダルストリートに着いて、前から決めていた宿に入ろうとしたとき、客引きのような人物に声を掛けられた。「ここはいま満室だ。それより、良い宿紹介するぜ。」重い荷物を背負って疲労が限界に達していた私は彼の言葉にのってしまった。そして、すぐ近くの宿へ。そこは確かに安かった。しかし、だいぶ汚い。とりあえず一泊することにして、客引きの男に礼を言う。男は立ち去り際に「明日は観光と旅行会社に連れて行ってやるから、9時頃入口で会おう。」私は曖昧に頷きながらも、もう逃げることを考えていた。部屋に入って、水のシャワーを浴び、疲れ切った私はすぐに寝入った。

次の日は、6時に起きて、7時には宿を出た。宿の人とあの男がグルであったらどうしようかと思っていたのだが、すんなりチェックアウト出来たので、そういう訳でもなかったようだ。これで男からは逃げることができた。

私が逃げたのには理由がある。もちろん、胡散臭かったし、観光のガイドをして金を要求してくることも目に見えていた。ただ、私は「旅行会社」という言葉に一番強く拒否感を持った。何故なら、一度経験があるからだ。あれはこの旅よりもさらに5年前、私が大学生の時である。私は春の長期休みにインドとネパールへ計2週間旅行に行った。初めての海外旅行で浮かれていた私は、インドのデリーに着くとすぐ、旅行会社の客引きに捕まった。そして、口車にのせられてものの1時間足らずで、私の一人旅はツアー旅行に変わってしまったのだ。結局、旅行自体は楽しかったが、あとには口惜しさと不完全燃焼が残った。だから、その旅を繰り返さないために、旅行会社に連れていかれることは絶対に避けたかったのだ。

昼になるまで重い荷物を背負ったまま私はコルカタの街をさ迷った。コルカタは生活臭が上海とは比べものにならないほど凄かった。そして、昼頃にチェックインしたゲストハウスに荷物を置いて観光へ。

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ヴィクトリア記念堂は混んでいたので庭園だけ入ってみた。たくさんの草花が植えられた庭園は静かで、ベンチに座って鳥を眺めたりした。入口のフェンスの外からも物乞いの人が手を差し入れていたのには驚いた。

その後、早くもこの街を出ようと決めている自分がいた。朝、街を歩いているときにもたくさんの怪しいインド人から英語や日本語で声を掛けられ、私は疲れ果てていたのだ。

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とりあえず、違う街に行きたいと切実に思っていた。少し距離があったが、長距離バスの発着場のある河岸まで歩いて行って、明日の夜に出発するブッタガヤ行きのチケットを買った。屋台でカレーを食べ、ゲストハウスに戻る。ゲストハウスでは、廊下で欧米人の女性が嘔吐していて、恋人らしい男性が介抱していた。インドの水にあたったのかもしれない。

次の日の朝食は、しつこいインド人に根負けして、彼がおいしいという屋台でカレーを食べた。200円もしないくらいだし、確かにおいしい。だが、その後に観光しようという誘いはお断りした。それから、ニューマーケットという市場をみていると、また日本語で話しかけられた。2人組の青年は本当にしつこかった。そのまま流れで、彼らの知り合いの店で民族衣装を買い(だいぶ高い)、インド映画を観に映画館へ行った。

映画を観終わった後、カフェでビールを飲みながら話していると、「長距離バスは物騒だからやめた方がいい」と忠告された。インドのことに詳しいわけでもない私は、それに従いバスのキャンセルをした。列車のチケットを、また彼の知り合いの旅行会社で買い、列車でブッタガヤまで行くことにした。別れ際に、「ブッタガヤに知り合いの宿があるから紹介する」と青年は電話を掛け、私はそこに泊まることになった。あとでブッタガヤの宿のオーナーに聞いたところによると、その青年とはコルカタで一度会っただけで知り合いというほどでもないらしい。インドはどうなっているのか。

ただ、このダメダメな旅のスタートにも、ひとつだけ幸運があった。それはブッタガヤの宿のことである。その宿に泊まっていなければ、恐らく私の旅はもっと早く終わっていただろう。

ブッタガヤには10日程いたので、前編と後編に分けて書きたいと思う。


5.ブッタガヤ(前編)~憩いの地~2020年1月3日(金)投稿予定です。

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