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6.ブッタガヤ(後編)~村の生活 ~

 ブッダガヤのセーナ村のゲストハウスで、アルーンさんに出会った。アルーンさんは見るからに真面目で穏やかな人だった。私はアルーンさんに誘ってもらい、彼の村へ行くことにした。

 朝、アルーンさんのバイクの後ろに乗り、村を目指す。ガソリンスタンドでガソリンを入れた。そこからは、2、3時間の長い道のりだった。私はいままで生きてきて、こんなに長時間バイクの後ろに乗ったことはなかった。だから、とても尻が痛くなり、「マイヒップ イズ タイーオド」(お尻が疲れた)という変な英語でそのことを伝えて休憩してもらいながらの道中だった。バイクに乗っているとき、アルーンさんのリクエストで歌を歌うことになった。確か、うろ覚えの『カントリーロード』や少し暗めの井上陽水『ゼンマイじかけのカブトムシ』なんかを歌ったような気がする。

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 村に着いた。アルーンさんは結婚していて、最初に奥さんの実家のある村に一泊して、それからアルーンさんの実家の村に三泊した。奥さんの村では牛や山羊を飼っていたこと、村の地酒を飲んだことくらいしか覚えがない。村の地酒は体に合わなかったらしく、嘔吐してしまいアルーンさんに迷惑をかけた。でも、アルーンさんは怒ってはいなかった。それどころか、心配してくれた。

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 さて、アルーンさんの実家の村へ。実家ではアルーンさんのお父さんが一人で暮らしている家にお世話になった。アルーンさんが実家に戻っていないときにはひとり暮らしのお父さんの家はそこまで大きくはない。その隣にはアルーンさんの兄弟の一家が住んでいた。家は土で出来ていて、電気が来ていないので、テレビも電灯もなく、料理もかまど。初めての体験だった。そして、トイレもなし。お父さんといっても、もう70を越えていて、私は一緒に生活しながら、2年前に亡くなった自分の祖父を思い出していた。私の祖父も祖母に早く先立たれてから、一人で料理も洗濯もやってたなあと。アルーンさんのお父さんも料理が上手かった。ちなみに、お父さんを手伝うアルーンさんも上手かった。チャパティ(ナンの簡易版?)と野菜のカレーなどをパッと作ってくれた。朝もチャイをこさえてくれて、美味しく飲んだ。

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 アルーンさんと朝の村を散歩したなあ。焚き火をしていた二人のおじさんから椰子の実だかの地酒を貰って少し飲んだ。前の失敗から、アルーンさんが少しだけにしなと言ったから少しだけ。味は覚えていない。昼には村の子供たちとアルーンさんと、私で村の散歩をした。村の子供はアルーンさんの兄弟の息子さんもいた。まだ小6くらいだと思うけど、なかなかイケメンだった。子供たちが木に登っているのを眺めたり、一緒に立ちションしたりと楽しかった。あとは、村で唯一テレビがある家に寄って少しテレビを観ていた。

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 村の農業は牛を使っていた。アルーンさんの兄弟が牛を操って畑を耕している姿はなんか格好良かった。日本も昔はああやっていたのだろう。村は当たり前のように井戸を使っていて、井戸の水で体を洗ったりもした。外で。もっと寒くなっても外で体を洗うのだろうか。そこはわからない。

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 一番印象に残っているのは、チキンカレーだ。近くの店(?)で鶏を生きたまんま買ってきて、アルーンさんの兄弟がその鶏を締めて、おろすところを間近に見ていた。鎌や包丁で肉となっていく鶏。内臓は畑に投げ、犬が寄っていった。寒い時期だったので、アルーンさんの兄弟の娘さんが私のために小さな焚き火を作ってくれた。その焚き火で手を暖めながらの調理風景はとても印象に残っている。そして、もちろんチキンカレーは最高だった。いままで食べた中で一番だった。ちなみに、この村では女性と子供は肉を食べないようで、アルーンさんとアルーンさんのお父さん、兄弟、私がチキンカレーを食べた。

 村からの帰り道は奥さんの村へ寄らなかったからか、意外と早く帰れた。貴重な体験をさせてくれたアルーンさんにはとても感謝している。それから数日、ゲストハウスでヨガやら屋上での昼寝やらでのんびりしてから、私はインドで最も有名なガンジス河の街、バラナシへと列車で向かった。ゲストハウスのオーナーに、日本語で「バラナシは欺す人いっぱいだから、気を付けないとダメだよ」と諭されてから。ブッダガヤでの10日間ほどの滞在は私にとっては休息と、インドでの旅行の初歩を身に付ける大事な日々だった。そういう訳で、ブッダガヤのゲストハウスは忘れられない場所である。

→次回は7.バラナシ~賑やかな聖地です。

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