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高杉晋作「面白き事なき世を面白く」


高杉晋作は幕末(定説では1853年のペリー来航から1868年の明治政府樹立まで)に倒幕の原動力の一人として働き、明治政府樹立前の1867年5月17日に歿した人物です。

今回は高杉晋作の辞世の句として知られている「面白き事なき世を面白く」について私なりに考えてみたいと思います。

と、本題の前に、少しだけ語らせて下さい。
私は20代半ばの頃、強烈に高杉晋作に憧れを抱いていました。一つには高杉晋作が満27歳まで全力で世間を駆け抜けて死んだ人であるということ。(その頃の私は早く死にたいと思っていたところがあります)

また、高杉晋作が江戸幕府という大きな組織を倒す原動力となった革命家であったということ。そして、どちらかというと群れずに行動する人であったというところです。もう一つ付け加えるなら、女性にモテたらしいところです(笑)私が20代にインド旅行の前に山口県(高杉晋作の故郷、長州藩)、上海(高杉晋作が唯一行った外国)へ行ったのは高杉晋作の影響であるのは間違えありません。

いま現在の私は30歳を超えて、インド旅行も経験したことで「なんか楽しい事もあるしまだ死ななくてもいいや」といった心境であり、また寂しい気もしますが「革命家のような偉大な人間にならなくともいいか」といった悟りを開いたので、自分の中で高杉晋作の存在はさほど大きくありません。あの頃は若かったのかな・・・・・。

さて、そろそろ本題に入ります。 
最初に断っておくと、私の高杉晋作に対する知識は10冊程の歴史小説によるものが大きいため、史実とは異なるかもしれません。また、その小説もここ2年ほどは読んでいないので記憶違いもあるかと思います。

まず、高杉晋作のすごく簡単なプロフィールを書くと、1839年に長州藩の萩(現在の山口県萩市)に生まれ、青年期に吉田松陰の松下村塾(伊藤博文や山県有朋、井上馨と同じ塾)に属し、長州藩(木戸孝允や前原一誠も同じ藩)の倒幕派の中心的存在として幕末を奔走。明治政府樹立前に結核で亡くなる。没後に、日本の初代総理大臣である伊藤博文から「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と称された。私見を付け加えると『ロマンティックリアリスト(私の造語)』、『行動家』な人物です。ちなみに、高杉晋作は梅の花が好きだったそうです。

そんな高杉晋作が結核で下関の地で床に伏しているときに書かれたとされるのが、

面白き事なき世を面白く

であるとされています。

「私はこの一句を知ったとき」と書きたいところですが、その時の私は『カッコいいな』くらいにしか思っていなかった気がします。早世の革命家に憧れを抱いていたので、その高杉晋作が発した言葉であるというだけで価値があったのでした。

いま、高杉晋作を『客観的に』眺めてから考えてみると、少し斜に構えた発想であるようにも思えてきます。そして、思い通りには行かない世の中にうんざりしていたのだろうかといった同情のような気持ちにもなります。

師匠である吉田松陰を1858年に処刑され、吉田松陰の倒幕の意志を色濃く継いだ一人として生きながら、海外列強に侵略されようとする江戸幕府や幕府になかなか逆らえない長州藩の重鎮たちに嫌気がさしていた。当時、長州藩のなかでも保守派(幕府寄り)と急進派(倒幕派寄り)の対立があり、一筋縄ではない。やるせない想いを抱えつつも、この国の行く末のため、自分の信念のために行動する。

時には長州藩の中にいては倒幕を成し遂げられないのではと悩み脱藩(江戸時代では重罪)してみる。保守派の勢力が強くなると指名手配されて命を狙われる。そういったごたごたに嫌気がさすのは当然だと思います。もともとが長州藩の上級武士の息子なので、自らも良くも悪くもそういった振る舞いをしなければならない。お家大事といったでしょうか。その空気のなかで育って、吉田松陰に出会い、幕府の方針に疑問を持つ。黙っていれば長州藩の幹部になれる可能性があるが、大人しくはしてられない。

高杉晋作は長州藩奇兵隊を創設した人であるとされています。「士農工商の身分を問わない」奇兵隊を創った人ですが、高杉晋作自身の上級武士としてのプライドは常にあったようで、目的のためには手段を選ばない的な考えだったとしても、なかなか複雑な状況であったと思います。

長州藩での「クーデター」で倒幕の機運を掴んだと同時に結核で動けなくなりましたが、高杉晋作が目指した倒幕の先にあるのもまた「政治的な」政府であることを確信していたからこそ「面白くないなあ」と呟いたのだと私は想像します。

面白くなき世をの後の「面白く」は精一杯生きた高杉晋作の強がりだったのか、はたまた皮肉なのか。それともそれなりに面白かったのか。またまた違った感情なのか。正直、私にはまだ理解できません。これから生きてみて理解出来るかも分かりません。それでも、この解釈に幅のある一句を詠んだのが、高杉晋作らしさなのかなと感想を述べるに留めます。

長々と書きましたが、ご静聴有難うございました。

付け足しとして、高杉晋作に縁のあった野村望東という方が、

面白き事なき世を面白く

の上の句にたいして

すみなすものは 心なりけり

と下の句を作ったと言われています。

これも一つの解釈でしょう。


まあ、面白く生きられたらいいよねと思う今日この頃。

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