主治医への手紙「強い人間になりたい」

2020/11/21

仕事が繁忙期に入り、忙しくなり週に1時間ほど残業することがある状況。
10月いっぱいで退職した契約社員の仕事を任され
業務量が増えたのは嬉しい。
新型コロナのことがあって在宅勤務に切り替えてもらえたので、
この会社で引き続き長く働き続けられるようにがんばりたいと思っている。

感染者が増えて人と会い会食することが戸惑われるような状況になった。
といってももともと友達がいないので会うとしたら父か元彼くらいだ。
でもこの感染者の増え方を見ていると
それすらできなくなりそうだと思っている。

しかし、今現在Twitterで同じように
メンタルの病気を抱えている人たちとつながっていて、
買い物しに行きますとか、何かを買いましたとか、何気ないつぶやきに
「いいね」をやコメントをつけてくれる人がいることがとてもありがたい。

それは日々の何気ない写真、これから食べるお菓子や、作った料理や、
風景の写真なども例外ではなく、
Twitterにアップしていくと記録になるとともに
人とのつながりを感じることができて、
今ではTwitterがなければ生きていけなくなっている。

元々私は病気があって、人との付き合いがうまくできないから
インターネットとの強い親和性を10代の頃から感じていた。
今34歳でコロナ禍という状況下で、
インターネットがあって本当に良かったと思っている。

また、出社しなくて良くなったことで大幅なストレスがゼロになった。
もう会社内で私がうまく立ち回れないだとか、
相手に無意識に視線を向けてしまうだとか、
障害者だとかいうことでバイアスをかけられて気持ち悪がられることがない。

健全かつ健康な環境に産まれ生きている人々との隔たりや疎外感に
打ちひしがれることもない。
インターネットを介すだけで仕事をこなせるこの環境で、
私は今まで以上に私らしく生きることができている。

でも、逆に言えばそうでなければ、
新型コロナが流行るようなことがなければ、
私はずっとあの会社で孤独なままだったんだろうな。

それが「精神障害者」という国からのお墨付きがあろうがなかろうが、
私のようなハネモノが社会に参加するということの実情。

私は母の業を背負って生きている。
私は母の生み出した罪である。
私の代で連なった螺旋を断ち切る。
それは私が私のためだけに生きていくということ。

女性が、女性の体を持って生まれたことだとか、
それにより妻だとか、母だとか、
女性であるがゆえに科される役割に振り回されることがない、
そういうジェンダーレスな生き方を私は望んでいる。

それは、母が女性性に振り回され続け、
私を無計画な妊娠により身ごもり、
21歳の頃から「母」であらねばならなかった、
その運命に振り回されるしかなかった、
その弱さ、愚かしさ、母という一人の女の無念に対して相反する、生き方。

当たり前ではあるが私の人生はあくまで私の人生。
結果として私はそのような母の業を背負わざるを得なかったので、
私の人生はそのような人生として運命付けられた。

でも仕方ない。人生は思うように行かない。
私の運命はこういう運命だった。私の人生はこういう人生だった。


薬の力を借りなければ私は生きていけないし幸せを感じることすらできない。

でもトラゾドンによって私の人生は大きく変わった。
例えるならば、モノクロだった景色がカラーになったというくらい。

生きていて幸せを感じることができているのならば、
薬の処方と服用を許され、この心身がうまく動かせる限りは
これから自分の人生を少しずつだとしても取り戻していけるはずだ。

人生というのはこうも理不尽なものなのだと、
なんだかとても泣きそうな気分になる。
本当は私も、普通に愛されて結婚して
子供を授かることを幸せと思える女になりたかった。
でも仕方がないですね。
私は理不尽に屈することがない強い人間になりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?