見出し画像

20240108学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第24章-2 第2インタナショナルの諸勢力

20240108
『三つのインタナショナルの歴史』

[第2インタナショナルの諸勢力]

第一次世界大戦の前夜に、第2インタナショナルは、22ヵ国の27社会党・労働党を加盟させ、全部で約1200万の選挙民を掴んでいた。ローウィンによれば、主な内訳は次の通りである。
・ドイツ社会民主党
 党員108万5000人 425万票(1912年)
・オーストリア社会党
 党員14万5000人 104万1000票(1907年)
・チェコスロヴァキア社会党
 党員14万4000人
・ハンガリア
 党員61000人
・フランス社会党
 党員80,300人 140万票(1914年)
・イタリア社会党
 党員50000人 96万票(1913年)
・アメリカ合衆国社会党
 党員12万5500人 90万1000票(1912年)
・イギリス労働党
 加盟者数161万2000人
この他、ベルギー、スウェーデン、アルゼンチンの社会党、オーストラリアとニュージーランドの労働党にも多数の票が投じられた。
また、レーニンによれば、1913年の国会(ドゥーマ)でメンシェヴィキ(日和見主義的社会民主主義者)の当選者を出したロシアの7つの地区には21万4000人の労働者がいたが、ボリシェヴィキ6人の当選者を出した地区には合計で100万8000人の労働者がいたという。

1914年の主要な社会民主主義諸党が議会に送り込んでいた人数は以下のとおりである。
・ドイツ 110人
・フランス 103人
・フィンランド 90人
・オーストリア=ハンガリア 82人
・ベルギー 39人
・デンマーク 32人
・ノルウェー 23人
・ロシア 13人
・オランダ 16人
オーストラリア労働党は連邦議会を支配していた。ドイツやロシアなどでは投票に階級制度があったため、これがなければもっと高い数値であっただろうという。

労働組合員も、社会民主主義諸党の指導のもとに置かれた。1912年には国際労働組合書記局(本部はベルリン。書記長はカール・レギエン)には労働組合中央組織19が加盟。組合員数は739万4461人であった。このうち主要な国の内訳は以下のとおりである。
・ドイツ 255万3162人
・アメリカ 205万4526人
・イギリス 87万4281人
・フランス 38万7000人

ヨーロッパの労働者協同組合運動も、社会民主主義諸党の指導下にあった。1914年には約3万の配給協同組合がヨーロッパにあり、組合員数は900万人に達していた。主要な内訳は次の通りである。
・イギリス 約300万
・ドイツ 約200万
・ロシア 約150万
・フランス 約88万1000
ヨーロッパ全体では34の卸売協同組合があった。そのうちの5つの組合では、年間4000万ドル以上の取引が行われた。これらには、建築、信用、農業、生産協同組合は含まれていない。協同組合は社会民主党にとって大きな財源となっていた。

婦人と青年については、特別な活動と組織を作ることが推し進められた。
国際婦人委員会は比較的緩い組織であり、クララ・ツェトキンが、20年にわたり会長を務めた。1907年にはシュトゥットガルトで第1回目の国際会議を開いた。
この時、国際的な青年のグループも設立された。これは一種の情報事務局である国際的なものであった。1914年にはヨーロッパ各国に約10万の加盟員を持つようになり、婦人・青年両グループともに、コペンハーゲン大会でも会議を行なった。

こうした労働組合、協同組合、婦人・青年の運動について、社会民主主義諸党は、初めの頃はこれに協力せず無視していた。特に婦人や青年の自由な行動を、社会民主党の幹部らは認めようとしなかった。労働組合はひどく過小評価され、それどころか労働組合に妬みを抱く者もいた。その理由は、ラッサール時代から続く「労働組合が優勢になりはしないだろうか」という懸念があった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?