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あの空を、見せてやりたい。

「修学旅行っていらなくね?」論が最近出ているらしい。

まぁ最近に限らず定期的に話題になっている気もするが、修学旅行ってちゃんと学びの機会になってんのかね?ただの旅行じゃね?的なことをアタマの固い人が言っている印象はある。


浅はかですねぇ~。

修学旅行なんて、あった方がいいに決まっているでしょう。

というお話です。





僕は島根県西部の出身。

街行く人たちに「島根県といえば?」というアンケートをとると、ほとんどの人が顔をしかめながら「出雲大社…?」「松江城…?」「砂丘…?」などと絞り出すことであろう。

砂丘などとほざくバカタレはともかく、出雲大社や松江城などといったポピュラーな観光地は軒並み島根県東部に位置しているもので、栄えているのも東部。


では西部には何があるの?というと、しいて言うなら津和野ぐらいだがそれ以外は本当に何もない。

楽しい施設もなければ交通の便も悪く、空港はあるが東京行きの便は1日に朝夕の2本。
車を使ってもまず広島まで2時間、電車も平気な顔して数時間待たせるし、そもそも非電化。ICOCAって何?



そんな田舎の子どもたちが何を楽しみに日々の勉強をがんばっているかというと、他でもない修学旅行なのである。


小学校の修学旅行では福岡に行き、今はなきスペースワールドを堪能した。

田舎でも普通に1学年4クラスぐらいある学校もある(これでも少ないのかな?)が、僕の地元は過疎も過疎の地域なので同級生は全部で14人。
とりあえず絶叫系いきたい班とやめとく班に分かれてぞろぞろと練り歩き、いろいろなアトラクションに乗った。

一番はしゃいでいたのは先生で、到着するなり子どもたちを引き連れてザ・ターンに乗車。
人生初のジェットコースターがあの垂直落下で、楽しかったがあのときの先生のテンションは子どもながらに正直怖かった。



中学校の修学旅行は関西。

2日目の自由行動に向けては1ヶ月ぐらい前から3~4人ずつの班に分かれて行き先や交通機関を調べ、綿密に計画を立てて京都観光を楽しんだ。

…と言いたいところだが、僕は1日目の食事で何かまずいものを食べてしまったらしく、2日目に胃腸炎でグロッキーとなってしまったのである。

二条城で偶然すべての班が集結した(14人なので…)あたりまでは元気だったのだが、金閣寺で「海外からの観光客に英語で話し掛けて写真を撮ってもらう」というミッションを遂行したあたりから胃の様子がおかしく、映画村に着いた頃には冷や汗ダラダラ。
いよいよヤバくなり保健の先生が迎えに来てくれて病院に直行したが、せっかくの豪華な旅館の夕食もピンクのそうめん数本しか喉を通らなかったのがつらかった…


しかし薬が効いたのか、あるいは夜通しの死闘でウイルスを排除し切れたのか、3日目の朝には体力ゲージを80%ぐらいまで回復し、意気揚々とUSJに乗り込むことができたのである。

思えばあのときも一番はしゃいでいたのは先生で、スパイダーマンのアトラクションでは先生の「あぁ~~~~~っ!!!!!!」という悲鳴が絶えず響いていた。



多くの人にとって最も楽しいのは高校の修学旅行なのだと思うが、なぜか島根県の公立高校には修学旅行がない。

その代わりに自称進学校の我が母校では、関西研修という理系以外何も面白くない社会科見学の延長のようなものがあり、有無を言わせず2泊3日の旅に連行された。

とはいえ1学年5クラスあったので行き先もそれなりに選べ、研修先の大学と企業の選択肢の中にも文系でも多少はためになりそうな場所があったのは幸いだった。

僕は某大学の薬学部に行き、施設内にある薬草畑を見学。
「こんなのも摘んですぐ食べられちゃいますからね~」という言葉を信じてムシャムシャと口にしてみたが、ホテルに戻るバスの中でだんだんお腹が痛くなってき始め、部屋に戻るなりトイレに直行。

僕はどうも関西方面が鬼門らしい。




こんな風に、僕は旅行先で大なり小なりの非常事態を経験しているのだが、それでも修学旅行があってよかった、楽しかったという思い出の方が強い。


田舎に住んでいる子どもたちにとって、都会の空気を吸い、景色を見て、文化に触れる機会というものはそう多く提供されるものではない。
少々裕福な家庭に生まれたとしても、先に紹介したように交通の問題などもあるので、そんなに何度も何度もお金と時間をかけていろいろな場所に遊びに行くということは難しいのである。


「外の世界を知る」という意味では、修学旅行ほどうってつけの機会はない。


もちろんただ遊園地に遊びに行っているわけではなく、自動車やお菓子の工場見学、夜間中学校などにも行ったが、そういう「真面目にやらなければいけない場所」でも仲良しの皆と一緒に取り組むことができる時間というのは非常に貴重なものだったと思う。

おうち大好き、1人の時間がないとおかしくなってしまうタイプの僕でも、夜は皆とワイワイやりながらなんだかんだで楽しく過ごせた。

まぁ中学の2日目は別部屋に籠っていたし、もう1~2泊あったらどうだったかはわからないが。笑




大学時代、就活で東京に行った。


今まで画面の中でしか見たことのなかった東京タワーを自分の目で見たときには「これがあの!」と心が躍った。

せっかくなので登ってみようと思い、エレベーターに乗って日が暮れかけた展望台に降り立った。

故郷では絶対に見ることのできない数の灯りが夜空に浮かび始めた星々とともに窓の外を彩る景色は、たぶん死ぬまでずっと忘れられないと思う。

なんなら、なぜか「今日、自分は死ぬのかもしれない」という今までに抱いたことのない感情すら湧き上がってきた。
あのときの不思議な心の動きもよく覚えているし、今でも時折思い出して胸がいっぱいになる。



別に、すべての事柄から何かを学び取る必要なんてないと思う。

ただ、あの純粋な感動を、今後も1人でも多くの田舎の子どもたちに感じてほしい。

僕なんかがお偉いさんに何か言えるわけではないけれど、田舎で生まれ育ったガキの1人として、そう思う。




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