言わせてください

「犬が好き」と言わなければいけない風潮に辟易している。


この発言だけが独り歩きしてやいやい言われてしまうのが非常に恐ろしいが、おそらく僕のnoteにそこまでの影響力はない。

もちろんやっているからにはたくさんの人に読んでもらいたいのだけれども。
これを読んでいる皆様におかれましては、よろしければ周りの方々にもおすすめしていただきたく存じます。


そんなことは今はどうでもよくて、とにかくこの世の中は犬が好きでないという人に対して厳しすぎると感じる。

なぜこんなことを言うのかというと、それはもちろん僕が犬を嫌っているからだ。


またこういうことを言うと、「路地裏で犬を蹴っているのではないか」「野良犬に石を投げつけているのを見た」などというありもしないことを、さもそれが真実かのように拡散する連中がいるので怖い。


それはともかく、僕だって最初から犬に敵意を持っていたわけではない。むしろ好意的に振る舞っていた方だと思う。

ではなぜ犬をこんなにも嫌っているのかというと、僕が犬の方から嫌われているからなのだ。
こんなに哀しい話はない。


以前のnoteで、犬に追われたが住宅街の角を三度曲がって撒いたという話をしたことがある。

今では笑い話どころか人生のハイライトにも十分に入り込んでくるインパクトのある体験談だが、当時小2の僕はこのことに大変なショックを受けた。


なぜこんなにも僕は犬に嫌われるのか?


頭を撫でようと思って差し出した手をガブリとやられたのならわかる。

あるいは、何か犬の逆鱗に触れるようなことをしたというのならわかる。


僕はただ、歩いていただけなのだ。犬など関係なく。

そこをあっちが勝手に敵意をむき出しにして、ご苦労なことに遠くから襲い掛かってきやがったのだ。

こう考えると哀しみよりも怒りの方がだんだんと沸いてきて、「そっちがその気なら!」となってしまった。

これが、僕が犬を嫌うことになった直接的な原因だ。



しかし僕は本当に犬に嫌われているのだと思う。

道端ですれ違った犬に吠えられるのは日常茶飯事。
飛び掛かってくるヤツもいる。

祖父母の家にいた年寄りのパグは、僕が近づいたときだけ素早く身を起こして臨戦態勢に入っていた。
今はもうこの世を去ってしまったが、保育園の頃はよくあの老犬に泣かされたものだ。

小学校の授業で、盲導犬が学校に来たことがある。
「盲導犬は大人しいので、犬が苦手な人でも触れますよ~」という説明があった。
その言葉を信じて近づくと、盲導犬は素早く僕の方を向いて「フーッ………」と威嚇し始めた。
飼い主のおばさんは「今までこんなことなかったのにねぇ」と言っていたが、僕は内心「これなのよ」と思っていた。



ここまであっちが嫌うので、僕としても無理に好いてやる義理はない。

それにもかかわらず世間の人々は「犬かわいいよ」「犬なんでダメなの?」「うちの犬は大丈夫だよ」としつこく言ってくるのだ。


彼らは何もわかっていない。
犬に嫌われた哀しい男のことを誰も理解してくれない。

だいたい、人が嫌いだと言っているものを無理やり押し付けようとして何になるというのか。
彼らは僕が「ゴキブリ?カラッと揚げたら案外いけるよ」と言ったら食べるのだろうか。
彼らは「犬は人間と同じだ」とよく言うが、彼らはお互いに嫌い合っている人同士を無理やり結び付けてその様を観るのが好きなのだろうか。

彼らは何もわかっていない。
行き過ぎた愛犬家は偽善者に等しいのだ。


僕は僕が好きなものを好きでいたいし、嫌いなものを嫌っていたい。
それと同時に、僕を好いてくれる人を好きでいたいし、嫌う人のことはどうでもいい。

僕は犬が嫌いで、犬も僕が嫌い。それ以上でも以下でもない。
だから僕のことは放っておいて、あなたたちは存分に犬と仲良くすればいい。それが当たり前の世の中になってほしいと切に願う。


ちなみに僕は、実家でヤドカリを飼っていた。

かつてそれぞれに犬を飼っていた両親が「犬は飼うと愛着が出るよ」と説得するのを力づくで止めて、近くの海で捕まえてきたヤドカリを飼っていた。

ろ過装置が壊れてしまったのでもう海に放してしまったけれど、水槽の中をのんびりと歩く彼を見ると非常に癒された。

ただ、それだけの話だ。


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