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木村先生。


青いエコバックをぶら下げてレジに並んでいつもの道を通って家に帰った。エアコンのにおいがした。Tシャツの芳香剤とエアコンのにおいが混ざる。


この家に引っ越してきたとき印象的だったのはこのエアコンの香り。掃除していないはずなのに、なんだかちょっといいにおいがする。
毎年、お世話になったエアコンと、Tシャツと、それらが混ざりあった。あの頃も、僕はこれと同じ匂いを嗅いでいた。光景が、あの時の気持ちが蘇ってくる。

今更、高校生の時の文化祭と、クラス担任だった木村先生のことを思い出した。

木村先生は基本的には寡黙で何事にも無関心な目的論者だった。
けれども、ものすんごい奇人だった。

職員室から教室までの歩数を毎日数えていたし、歩き出す足は常に左足。歩数と歩き出した足が違ったらその都度報告してきた。
夢は「世界平和」で、教え子のことを世界平和隊だなんて呼んでいる。
他にも、片づけられていないロッカーの上にあった私物を4階の校舎の窓から投げ捨てたり、毎日黒板にお気持ち表明の文書を書いていた。
やたらと「いつもありがとう」と連呼してくるから、「いつもありがとう」がクラスの標語になった。
「私が遅刻したら道端で死んでいると思ってください」と宣言していたくせに、3か月に1回くらいのスパンで普通に遅刻してきた

先生は基本的に物事の判断に私情を挟まなかった。どんな時も機械でロボットで宇宙人みたいな人だった。でも、印象的だったことが一つある。


文化祭になったとたんに人格が変わった。


高2の春のこと。

「君たちが本当にやりたいのはお化け屋敷とか屋台とか、そんな手垢のついたようなやりつくされたことなの?違うでしょ。3年生で飲食の屋台なんて絶対に出させないから。」






衝撃だった。

この人が担任じゃなかったら、きっと今の自分はいない。

今にしかできないことに最大限の価値を付与したいタイプの僕は、自分でいうのもなんだけど結構頑張った。(笑)

テーマは遊園地。2年ではコーヒーカップを、3年ではシーソーを作った。

設計図を作るのに本当に苦労した。ねじのサイズと車輪の大きさを間違えて、閉店間際の豊洲のビバホームに駆け込んだのは今でも色濃く記憶に残っている。寝過ごして東雲駅まで強制連行もされた。考えが違うやつと合わなくて1年間絶交したりいろいろ失敗もした。でも、やりたいことをやるために、クラスの連中も含め、土木関係の仕事をされている保護者の方や先生の力を借りた。

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幸運なことに結果として僕にとっての文化祭は成功したし、クラスの雰囲気がすごく前向きに良くなった。僕自身もそこから生まれた交流でそのあと助けられたし、同じ大学に進学した奴もその中に含まれている。

一年間絶交した奴とは、それまで以上にもっとお互いを理解することができた。3年の時、設計図はなんと彼がほとんど書いてくれた。彼とは今でも頻繁に連絡を取り合っている。
 

今でも覚えてる。授業の内容がホワホワして入ってこないあの時期。机を外に出して開放的になった教室。みんな騒がしい廊下。混ざったシーブリーズとジュースの匂い。ちょっと顔が火照ってるあの子。窓から顔を出して向こう側の校舎の中学生に向かって叫ぶ運動部。騒ぎすぎて担任に怒られ、お葬式みたいな雰囲気の隣のクラス。各クラスが好きな音楽を流してカオスだった。学校全体がお祭りのような高揚感に包まれたあの感覚と匂いを後輩たちが味わえていないのは、胸に苦しいものがある。

こんな時、木村先生は。自分のクラスの生徒になんて言ってるんだろう。

もうわからない。すっかり木村式思考法は僕の中で失われつつある。

僕は木村先生に胸を張って会いにいけるような毎日を送っているんだろうか。


設計図は今も引き出しの中にしまってある。



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大学生になり、今に至るまで、いろんな場所に行って、いろんな価値観を持つ人に会って、それの実現がどれだけ難しいことかどうかを思い知った。

誰かが多くの人たちのためにやっていたことが、一回の失敗で非難され執拗な攻撃を受けたことも分かった。
仲のいいフリをしているだけで、実は友人のことを都合のいいモノとしてしか見ていない人が意外にもたくさんいることも分かった。
そもそも人のことを、道具としてしか見ることができない色眼鏡をつけた人が世の中にあふれていることも分かった。
自分の人間としての価値を、見も知らぬ人に安売りして、いろんな大事なものを浪費している人がたくさんいるのも分かった。

これらに対してどう向き合っていけばいいのか、どう答えを出していけばいいのかよくわからない。でもそれを受け入れるということは絶対にしたくない。

悪い点に目を向ければ、お葬式になってしまうけれども、逆に言えば素晴らしい人たちにも、たくさん出会うことができた。彼らの姿勢に自分も学んだり、話したり遊んだりするのはすごく楽しいので、これからもどんどん関係を深めていきたいと強く願う。


 
木村先生、ひょっとしてこの記事を見てたりしますかね?
今度きっと会いに行きます。ご馳走してくださいね。

最後に、卒業に際して木村先生が贈ってくれた言葉で、このなんとも締まらない駄文を終わらせます。ここまでみてくれたひとはお疲れさまでした。
いつもありがとうございます。



人生の最も苦しい いやな
辛い 損な場面を
真っ先に微笑を以って
担当せよ



~玉川モットーより~

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