見出し画像

有限会社二協金属 代表取締役:上坂慶一郎

会社名:有限会社二協金属
住所:北海道釧路市大川町6-24
代表取締役:上坂慶一郎
創業年:1946年(創業者:上坂政行)

【会社のあゆみ】

釧路市に本社を構え1946年に法人化となった有限会社二協金属は、創業76年を迎えました。富山県出身の祖父:政行さんが釧路市で自宅兼本社の個人商店のような形でスクラップ業を始めたのが最初でした。
「子どもの時の記憶で、釧路市大川町の本社のあたりで何か色々やっていた記憶はあります。機械など何もなかったので、今考えると手ばらしとかでやっていたのだと思います。自宅の隣に土場(作業場)があったような記憶があります」と上坂社長は当時を振り返ります。
「子どもの頃は土場においてあった廃車に入って遊んだりしていました。今考えると危ないのですが、それくらい身近にスクラップ業はありました。また引き取り業務などにもトラックに乗って一緒に行ったりして、本当に「楽しい遊び」という感じで、今の仕事には幼少期からふれていましたね」

画像1

【産廃業者への見方の変化】苦い経験から理解される業態への過渡期だった2000年前後

高校卒業と同時に入社した上坂社長は、今年で入社30年になります。「当時社長だった父・省三に「手伝って欲しい」と言われ、入ろうというよりは入らざるを得ないという感じで入社しました(笑)。当時の仕事はスクラップを拾ったり、仕分けしたりだったような気がします。そしてすぐに免許を取得して、スクラップの引き取りのトラックも運転しました。当時は鉄屑屋さんというか雑品屋さんの仕事はお客さんからあまり良い目で見られておらず、例えば「ゴミも一緒に持っていって」などよく言われましたね。鉄屑もゴミも一緒でしょ、という対応をされていました」と当時の苦い経験を語ります。
 
しかしここ20年くらいで、世の中における産業廃棄物関係の仕事、スクラップ業、リサイクル業への見方や意識の変化を感じると話してくれました。「やっぱり産業廃棄物という業種業態が目立ち始めてきた。我々の業界が産業廃棄物としてやっていくという頃からですよね、変わってきたのは。そのへんからお客さんの意識も変わってきたんじゃないですかね。2000年以降は何となく環境も世間の見る目も変わってきた印象があります」
その時に上坂社長が気を付けた点は”お客さんの言いなりになりすぎないように自分たちの仕事をすること”でした。

画像2

【会社の転換期】鈴木商会釧路事業所を経て、社長に就任

「2000年代前半に、二協金属で持っている土地の半分が高速道路建設のために買収されるという話になったのです。そこで二協金属の会長と鈴木商会の当時の社長が話し合って、二協金属をたたみエコジェネレーションという新しい会社を作ったんですよ。現在の鈴木商会釧路事業所を鈴木商会ではなくエコジェネレーションでやるという話で進んでいたのですが、様々な事情により鈴木商会の釧路事業所としてやった方が良いんじゃないかという話でまとまったようです。二協金属のほうも会長がまた事業を始めました。最終的にエコジェネレーション自体は鈴木商会釧路事業所の車部門・廃車部門を担当しようということになりました」と当時を語ります。

結果的に、上坂社長はエコジェネレーションの社長と鈴木商会釧路事業所の所長兼任という形になりました。元々二協金属でも自動車の解体をおこなっていたことから、エコジェネレーションで他社(車のパーツ屋さん)を吸収してそこの従業員を受け入れ、規模も大きくしました。パーツ倉庫のほかに、車の置き場ももう一ヶ所借り、最終的に在庫もおよそ500台を抱えるような事業に成長しました。
「今まで自分の会社しか知らなかったので、鈴木商会と一緒に仕事をさせてもらって視野が広くなったというか、こういうやり方もあるんだとかこういう売り方もあるんだとか、すごく勉強させてもらいましたね。自分で商売をやってみたいと思ったんですよね。それで二協金属の会長に相談したら、僕は1人でやるつもりだったんですけど、それだったら帰ってくれば良いんじゃないかとなり独立に向かいました」

画像3

【二協金属に戻る】すぐに社長就任、新たなスタート

上坂さんは二協金属に戻ってからはすぐに社長に就任し、新たなスタートを切りました。以前二協金属で働いていた従業員は鈴木商会に行ってしまったため、新規で従業員を雇うところから始め、元々あった作業場も高速道路で半分がなくなってしまったので半分の面積からのスタートでした。
また、重機や機械なども一から揃えなければいけなく、「金額がかかる重機や機械をそろえつつ、従業員も探さなければいけない。仕事も軌道に乗せなければいけないとかなり大変でした」と当時を振り返ります。二協金属自体の加工能力も落ちていたのですが、上坂社長の手腕や従業員の協力もあり、わずか半年で納得のいく元の稼働に戻りました。「まずは人を集めて、重機を購入してということですよね。僕も最初は常時現場に入って、大変でしたが本当にみんなで頑張りました」

【今後のスクラップ業】なんでも受けることはできない時代

「今までみたいな何でも言う事を聞く業種ではなく、ある程度お客様にも無理なことは無理と伝えること。単価にしても荷物にしても、何でも受けることはできないと言う事をお伝えしていかなければならないと思います。例えばスクラップに付着物があっても、お客さんが「このくらい良いでしょ」っていう感じもあると思うので。そういうことをきちんとしていかないとこれからの人が大変かなと思うんですよね。今北海道全体的に有価金属に付着している少量の不純物等については、付着分に応じた処理料金をいただくという方向で3年ほど前から取り組んでおります。

【会社の今後】

「後継ぎがいないので何とも言えないですが、設備投資もそんなにする予定はないです。個人的にはスクラップ業界は小さくなっていくんじゃないかなと思うんですよね。人口が減っていくことを考えて量的にも減少すると思いますし。鉄スクラップ屋さんとしてやっていくのか、産業廃棄物処理もやっていくのか、その辺がターニングポイントだとは思います。今支えてくれている従業員さんに仕事があったらまずはそれでよいと思います」

【鉄リサイクル工業会に一言!】

「やはりこういう団体は行政に対して何かを訴えていくという役割が大きいのかなと思っています。僕は個人的に、我々の業種って重機もたくさん使いますし、安全で環境に配慮した職場にするために、土地や建築に関して行政に働きかけていただきたいと思います」

【取材後記】鉄リサイクル工業会北海道支部 支部長

鉄リサイクル工業会北海道支部会員紹介第9弾は、釧路の二協金属・上坂社長にお話をお聞きしました。
個人的にも私の父が上坂社長のお父様である会長と公私とも仲良くさせて頂き、上坂社長とは私が高校生の時に一緒に海外旅行に行った思い出もあります。

昭和21年に法人として設立した二協金属。上坂社長は創業家に生まれ、子どもの頃からスクラップが身近にあり小さい頃はよく廃車の中に入って遊び、現場は遊び場でした。学卒後直ぐ二協金属に入社し、引き取り業務や選別業務に従事されておりました。
二協金属さんは金属リサイクルはもとより、早い段階から自動車解体にも従事され地域に貢献してきましたが、当時は廃棄物も鉄屑も同じ物と見られており、悔しい思いをたくさんしたと語ってくれました。

高速道路の延伸に伴い工場の立ち退きの話が出た際は、事業を停止し新会社立上げや鈴木商会の釧路事業所初代所長も務められるなど、変化に順応に対応されてきました。工場立ち上げや会社が変わる事による文化の違いなどで、大変ご苦労されたことと思います。
何より2006年頃は釧路でスクラップの船積みを行っておらず、札幌のメーカーまで輸送しており、体制も整っておらず車輌の確保も引き取り優先と、かなり苦労されたようです。
自分の会社ではなく勤め人を経験し、自分で会社を経営したい気持ちが強くなり鈴木商会を3年で退社、二協金属で再び事業を開始しました。
社長になってからは重機を購入し社員を一から採用して、なんと半年で元の規模まで取り扱いを戻したそうです。

今後について上坂社長は、過去の悔しい経験から全てお客様に従うのではなく自分の信念の元、欲しい荷物だけを仕入れようと考えていると語ってくれました。顧客が金属スクラップに廃棄物を混入させた荷物を購入する事があります。この場合混入した廃棄物は私たちが負担し処分します。
世の中の方にご理解いただきたいのは、金属資源と廃棄物は別物であるということです。
廃棄物は我々も処分費を支払って処分しなければいけませんし、本来排出先が処分費を負担するものです。近年廃棄物の処分料金も高騰しており、金属資源とは別に廃棄物が混入している場合は別途処分料金は頂戴しなければなりません。
金属は買い取り・廃棄物は適正な処分料金をお支払い頂き処分するということをご理解頂き周知する必要があります。
廃棄物が混入しない事は品質向上にも繋がります。
業界を上げて取組むべき課題と認識しております。
ご要望頂いた行政への働きかけもその地域によって事情は異なりますので、支部でも対応していきたいと考えております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?