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株式会社エキスパート(代表取締役:市川晃生)

会社名:株式会社エキスパート
住所:北斗市久根別5丁目95番地27
代表取締役:市川 晃生
創業年:2013年

【社長の経歴】

道南の北斗市にある株式会社エキスパートは、2012年5月に登記、2013年の3月から本格始動したリサイクル会社です。

社長の市川さんは北斗市出身。21歳から約11年間、地元のリサイクル会社であるクロダリサイクルで働いていました。その当時はシュレッダーから始まり、缶プレス、ELV(自動車リサイクル)の立ち上げを担当されていたそうです。
実はクロダリサイクルに入る前、Hondaで整備士をされていたという市川さん。「車両構造が頭に入っていた状態だったので、その複合でELVをやってみてという話になりました。」とELV立ち上げを任された経緯を教えてくれました。
「自動車をガスで切って壊して、整備士時代にやっていた“直すこと”の反対をやっていた感じです。リサイクル系とエンジンだけを取って輸出するという感覚は、ELVで身につきました。」

その後、ステンレス解体から非鉄全般を担当。ステンレス解体では、分析器を使って中身を細かく見るような『特金』を扱うようになりました。
市川さんは「特金を教わる機会が多くなって、特金関係が面白くなりました。そこから事務的要素も入ってきて、管理絡みのこともやって。なんとなくこの業界が見えてきた感じです。」と言います。
さらに「銅絡みも同じで、聞いたことがなかったような銅を成分分析器を使って、普段触らないものまで触れるような経験をした時に、この業界が面白くなってきました。」と業界ならではの魅力を語ってくれました。

【独立時の苦労】

独立のきっかけは、市川さんの知人がやっていた無料回収の事業を引き継いだことにあると言います。市川さんの知人の会社が事業の見直しをする際に、もともと知人の会社で働いていた従業員3名が、職を失わずに継続的に仕事ができるよう、市川さんは働きかけました。

「まずは産業廃棄物や一般廃棄物の許可申請をしないとダメだとなって。自分で勉強していたことがあり、知識はあったので。」と立ち上がった市川さんですが、「産業廃棄物は講習を受ければ許可を取れるような感じでしたが、一般廃棄物はどこに顔を出しても許可はやれませんと言われて。」とつまずいてしまいます。
さらに当時は北斗市に金属リサイクルを伴った一般廃棄物業者は一社も無く、市川さんは頭を抱えることに。
それでも市川さんは、北斗市を含め、周りの市町村が廃棄家電を函館市に持っていくしかないという現状を打破すべく動きました。
「家電を資源と考えた時に、北斗市にそういう事業者があれば還元できるよねという提案を北斗市に行い、最終的には北斗市から許可をもらえたのが現在の会社のスタートになりました。北斗市の雇用も生むし、税金も還元できるだろうという話で。」

許可をもらえることになったものの、次は工場の用意に四苦八苦。
「市からはそれなりの工場を用意してねと言われ探しましたが、工業区域がなかったので、最初は事業をやらせる土地がないとも言われました。」
工業もできる調整区域である現在の場所をなんとか見つけた市川さん。
「ここはたまたま塗料の保管庫だったんですよ。そのまま倉庫に使えるなというところから整備して。だから商売的な事業計画は『許可をおろしますよ』と言われてから、逆算して作り始める形でスタートしました。」

その後は無事に産業廃棄物・一般廃棄物の許可が下りたとのこと。
「家電はクロダリサイクルの頃から管理だけ携わっていたので、処理のルーティンは見えていましたが、実際にやってみると機械の操作が大変だと感じました。自分たちで事業に合う機械を買って、それに合わせて覚えるというのが。調べに調べて、機械を仕入れるのに山形県まで行きました。」
やはり独立後の苦労は多かった模様。市川さんは「卓上の計算とリアルは全然違い、事業計画通りには話が進まなかったことが大きかった。」とも話してくれました。
一般廃棄物と家電からスタートしたエキスパートは、現在では金属の売り買い、産業廃棄物の取り扱いまで行っています。


【社名の由来】

エキスパートという会社名の由来を訊ねてみると、ご自身のご家族にまつわるエピソードが。

「登記する時に会社名が全然思いつかなかったんです。僕の父親が七飯町で車屋の板金会社をやっていたのですが、僕が7歳の時に32歳で胃がん発覚から半年で亡くなって。その時から自分は会社をやるか、何らかの社長になるだろうと思ってはいました。縁があって話がきて、今の事業をやることになって。その時の自分が、父が亡くなった歳・亡くなった月と同じ32歳の5月だったんですよ。だから父の会社の名前とロゴをそのまま勝手に使って、勝手に世代交代みたいに。だから会社の名前もロゴも、亡くなった父親が考えたものです。」

一方で「"〇〇〇リサイクル”的な名前ではないので、最初はお客さんも『車屋さんですか?』という人しか来なかったです(笑)」と市川さんは笑いながら振り返っていました。

【会社の成長と集客】


独立時、営業経験がなかったという市川さんですが、どのように集客していったのでしょうか。

「チラシを配れば人が来るなという感覚しかなかったので、新聞の折込チラシとかを出しました。」と当時の集客法を教えてくれました。
結果は上々だったようで「効果はあったと思います。僕らの事業は一般のゴミを扱うことが多かったので、若い層よりも年配の層が多く、EC関係も携帯電話がガラケーからスマホになったばかりという時代だったので、ネットで調べてくるというよりは折込チラシで目に入る方が効果的だったのかと思います。」と語る市川さん。

さらに「チラシの中に検索の仕方を書いて、徐々にホームページに誘導するような切り替えもしました。結果ホームページに飛んできてくれる方が増えて、ホームページを見ながら電話をかけてくる人が増えましたが、それは今も変わらないです。ホームページ作りには当時から力を入れています。」と、当時からの工夫が今につながっています。

会社が軌道に乗り始めたのは、損益分岐点を超えた3年目くらいとのこと。会社が周知されてからは、サービスをどれだけ向上させるかに力を尽くしたと言います。法人の開拓に関しては、個人として利用されたことがある方にアプローチしたそうです。
「営業を回るというよりは、口コミでどれだけ広げられるかという部分に焦点を当てていました。顧客対応とか、パフォーマンス性。こういう風にすると安くするよとアドバイスしながら、顧客が利を得られるサービス提供を心がけていました」と市川さんは話してくれました。
最初は5人だったスタッフも、現在は正社員が7名、パート社員が6名、派遣社員が10名と成長しています。


【会社の強み】

会社の強みは『少数精鋭でやっていることから決定が早い』ところと『サービス』だと明言してくれました。
現在取り組んでいるのは”エンパワー化”だそうで、縦割りな会社ではなく横割りな会社づくりと、従業員一人一人がオーナーシップを持って決断・判断しながら会社を回していくという組織づくりの真っ只中とのこと。

「もともとそれを目標にしていたのですが、やっと形になってきたかなと。自分で何をするか判断して、目標に向かって走る。それに至るまでに何が足りないのかということをみんなで研究しています。」
会議や打ち合わせは月に一度程度で、基本的なコミュニケーションツールはLINEだと言います。

「このアナログな事業の中でいかにデジタル化するかということが僕の中の目標で、携帯とかパソコンをうまく駆使しながらコミュニケーションはよく取れている会社だと思います。LINE のグループが7つか8つくらいあって、そこで目標設定とか入荷出荷の量が見れたりとか、何をしたかという活動内容をリアルタイムに全社員で共有しています。一応日報も一日の終わりに紙ベースで書いてもらうんですけど、後から振り返った時の記録用という感じで、現場で起きたことはタイムリーにグループLINEでやりとりします。例えばトラックのテールランプが割れました、純正品は4万円だけどオークションで買えば5000円でしたのでオークションで買いましたとか。誰が何個ナイス(文章に押せるスタンプ)を取るか数値化しようと取り組んでいます。」

役員に評価されるよりも、スタッフみんなで情報を共有しながら自分たちを自分たちで評価するという仕組みを目指す市川さん。そうすることにより、社員同士の距離も近くなり、定着率が高まることを維持したいという狙いです。

【今後の展望】

「方向性としては、企業間で"エンパワー化"ができたら良いなと考えています。そのベースをうちで作ることができれば面白くなるかなと。その企業の得意不得意を共有できる仕組みがあれば全体が潤うと思います。」と今後の展望を語ってくれました。
「スクラップを扱う会社は置き場の量と収集するものの量で全てが決まりますが、うちの土地ではこれから先のことを考えると狭すぎる。土地を買って広げていきながら、マンパワー的にやっていくというよりは輪を持てばリスクも分散できるのではないかと思います。」

【鉄リサイクル工業会に一言!】

「会員同士で問い合わせフォームのような仕組みがあれば良いですよね」という提案が市川さんからありました。
「輪を作るという部分では、まさしくうちでやっていることなのかなと思います。僕は北斗市にしか会社がないですが、個人的なコミュニティは日本中にあるじゃないですか。そういうところから仕事を頼まれた時に、直接紹介してあげられるような仕組みがあれば、日本のどこでも仕事ができますよねと。例えば大阪の知り合いが家を解体したいんだけど、どうしたら良いとなった時に、大阪の業者を紹介したりとか。」

また具体的な困り事もあげてくれました。
「札幌の企業から機密文書の処分をお願いしたいという問い合わせが来たのですが、今の時点では繋がりがないので、うちで札幌の業者を調べて『ここでやってくれるのであとは直接やりとりしてください』ということくらいしかできず、丸投げで終わってしまうケースがたくさんあるので。それができるようになると商売の幅的には広がりますよね。」

最後は「田舎でこんな感じで頑張っていますのでよろしくお願いします(笑)みなさんで集まって飲みましょう!」と明るく締めくくってくれた市川さんんでした。

初の新幹線駅である新函館北斗駅がある事で知られる北斗市で事業を展開されているエキスパート。

【日本鉄リサイクル工業会北海道支部長後記】

今回はエキスパートの創業者である市川社長の話を伺いました。

市川社長は、北海道の大手リサイクル企業であるクロダリサイクルに21歳で入社。入社以来シュレッダーや自動車解体、非鉄金属、家電リサイクル等様々な分野を経験し、友人の資源回収を行っていた会社の社員を引き継ぎ事業を始められました。

事業を始める際に一般廃棄物の許可の取得を考えたそうです。この目線は普通の人にはありません。我々の業界は、仕入れに関しては許可を有していないので、買取するしかありません。

初めからそこが非効率だと理解していた市川社長は、北斗市に掛け合って何度も交渉を重ね、執念で一般廃棄物の許可を取得しました。普通はそこで満足しますが市川社長は違いました。市の家電リサイクルも自分の会社で処理を行いたいと考えました。まだ場所も設備もない中で、この発想は中々出ません。

この行動力の原点は、お父様も商売を行っていたDNAではないかと思います。お父様は32歳と若くしてお亡くなりになりましたが、市川社長と同じような行動力があり、粘り強い方であったのでしょう。行動すれば道は拓ける。

事業を行う最適な場所も見つかり、北斗市に一般廃棄物の許可を持ち、市の家電リサイクルを担う会社として、エキスパートが25年の時を経て再出発しました。

初めの苦労はやはり仕入でした。いかに知ってもらうかが重要で、新聞の折込チラシを活用し、一般客からの認知を高めていきました。
かなり効果的で、徐々に個人・法人共に顧客が増えていき、3年目で黒字化を達成しました。

市川社長の強みは決断力が早い事だと言います。決断して行動に移さなければ、何も生れません。実行に移す力は素晴らしく、見習わなければいけないと感じました。

少数精鋭で、常に社員間での日々の何気ないやり取りをSNSを活用して行なっており、そのやり取りの中で決定する事が多いそうです。

今後については、市川社長個人で全て判断するのではなく、社員に権限委譲し、決断を社員が行っていくエンパワー化していく予定とのこと。
働いている方は大きな判断、決断を出来るような会社を目指し、形にもなりつつあるそうです。

直近では、隣町にある会社をグループ会社とし、事業拡大にも取り組んでいらっしゃいます。規模拡大によって社員数も増えており、評価制度やインセンティブも作り直し、仕事やどうせやらなくてはならない事は楽しくやるような仕組み作りにも取り組んでいます。

北海道の玄関口から25年の時を経て復活したエキスパートは、第二の出発を機に今後も会社の拡大を続いていきます。


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