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自分自身に向けての時間を作った事により見えてきたもの。

祖母の死から1週間お休みを頂いた。
繁忙期にも関わらず、こっちの事は気にするなと言ってくれた職場に感謝の思いだった。

祖母が亡くなったこともあり、普段交流を持っている仲間達との通話も控えるようになって、部屋を片付けたり、一人でぼーっと回想に耽ったり、人という命に対しての漠然とした思いを巡らせていたりした。

葬儀を終えて、職場に復帰してからも、帰宅してからのプライベートな時間も以前なら毎日のように交流をとっていた仲間から身を引いた状態が続く。

その事自体も、私には驚きの流れなのである!
私は離婚をしてから数年間は、ただただ毎日を必死に生きることに必死で、自分に娯楽を与えることにも余裕が無く、仕事と家庭で日々が終わっていっていた。

ある時、息子が見ていたYouTube、ヒカキンさんがとても楽しそうにゲームをしているのを一緒に見た時、とてもワクワクしてゲームが苦手な私でもやってみたい!と思ったのだ。

息子が大きくなるに連れて、共通の楽しみがあるのも良いな!!と購入に至ったのである。


しかし、それは私の中の今までの溜まりに溜まった何かが怒涛の様に流れ出してしまったきっかけともなったのだ。


ママは、ゲームにハマってしまった。
お出掛けしなくても、お家の中でこんなに楽しい事ってあるんだ!!
何で私は今までゲームをしてこなかったんだろ~?!


特定のゲームを楽しむ中で、SNSなどを通じ友達が出来た。

今までの生活、仕事と家庭の繰り返しの日々に、寂しさを抱えていた反動で、依存的に仲間と通話を繋ぐ時間が増える。
ほぼほぼ毎日の様に通話を介して繋がっていることに安心感を得るようになってしまった私が居た。


【依存】


祖母の死から、私は自分自身に向けての時間をつくるきっかけも貰った。
何か必要なものが自分に入る為には、自分の中にスペースが必要だった。
これも今の私から見たら、とても理にかなっている現象であった。

日常の中で次第に自分に向かう時間を持つことが定着してきた頃。

夏の終わりに、私はあの日に感じた違和感に対して、改めて何故そう感じたのか考えるようになっていた。

私は、現代でいうHSPの気質を持っている。
Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)
繊細さんとも世間での認識は高まったものかもしれない。

私自身も、このHSPという言葉自体を知ったのはつい1~2年程前である。

昔から、場の空気を読みすぎる傾向があって、勝手に疲れるのである。
しかし、それは幼少期からそのような感覚があるから、周りの人も同じ様に感じているものと思っていた時期もあった。

だから私の感覚の中では…

「えー??何故今この人が既にこの表情(雰囲気)を放っていて、それをそう伝えたら絶対激怒するって分かるのにそうしちゃうの??」

とか

大勢で飲み会をする時などは、皆が楽しめるように全員の感情のバロメーターを管理するように、盛り上がっていない場所に飛び込み、自虐的なネタを含めて皆が笑ってくれるように動いたりと…


勝手に疲れてしまう行動を自分で取ってしまうのである。
(他にも山ほどあるが、また別の機会に)


誰しもが、そういったセンサーは勿論あり、相手の機嫌の良しあしが分かったりする。ただそれが過剰に働く気質、見えてしまっているからそれに対しての反応をしないと自分が見て見ぬふりをしている様で後味が悪いのである。

だから、その場の雰囲気【気】というものには、無意識ながらに幼い頃から敏感であった。


それを改めてフォーカスした時、今まで常に自分たちの周りにあるその【空気】・【気】というもの。

室内で誰かが叱られて怒られている時の【気】

イベント会場や仲間でその場を心から楽しんでいる時の【気】

放たれている【気】

ここには私達が視覚では感じ得ないだけで、実は沢山の情報があるのではという考えに流れついて行くことになったのだ。

あの日、祖母が亡くなった日の朝
確かに久しぶりの晴れた朝だった。幾分、いつもより空気も澄んでいた。

しかし、室内に入った時の目の前の心で感じる悲しみとは真逆の

温かで優しい穏やかな感覚

あの【気】の中には、
祖母からの幸せだったよというメッセージがあったように感じてならない。
それを私は【気】というエネルギーから肌を通して心で感じた。

私は霊能力者でもないし、魂の巡りがどうあるかも分からない。


ただ後に、祖母の娘である母と叔母が、祖母が亡くなる数日前に酸素濃度の管理も難しくなるから、施設に移る承諾を祖母から貰っていて、その話を進めだした事。

本当は自宅でこのまま逝きたいと冗談ながらに言っていた事。

施設に入ってしまえば、今の新型コロナ感染症の影響もあって、面会にも中々行けない。

最期を自宅で迎えられたことの想いが、その空気に溶け込んでいる様に思えてならない。


私は、依存から距離を置いた結果。
いつも目にしてきたものとは違うものが舞い込んでくることとなる。


続く


前のお話↓↓↓

https://note.com/recovery_space/n/n62d0682057fc

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