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私の思考が創り上げた感情世界が崩壊・解放された夜のお話

~前書き~

ちょっと勇気がいる。
何故かって?
別に人から嫌われることに関しては、大丈夫。
そう私自身は、今は大丈夫になってるから。

ただ、これから書こうとしてる事。
今もしも、メンタルの弱りが著しい方はこのページを閉じて頂きたい。
そして、時期が経って見てみようかな?と思ったくらいがまだ良いかと。

私がその夜、自分自身の気持ちとある意味での戦いをしたから、安易に見てしまうと、今の自分と重ねてしまって苦しくなる可能性があるから。

見たい方だけが見れるように、鍵的な意味合いで低額な有料にするべきかとも悩みました。

でも、書く目的はなんだ?と自答を繰り返し、私が経験し、感じた事を書くだけである事に変わりはないし、同じような経験をされた方に、自分と同じような人が居る、『大丈夫だよ』って伝えたいからです。

そう、ある意味でとても孤独感を感じる面も私にはあったのです。
でもそれ以上の安心感の中に何故だか居るのですが…。

私が検索をして同じような境遇の人を探したように、誰かの『安堵』に繋がる可能性、そして人の物事の捉え方が180度変わってしまった経緯を知りたい方、気付き、覚醒といったことに前向きな方はご覧になって見て下さい。





~本編~


数日前に、自身の幼い頃の記憶を辿り、自分の中で無邪気に『人の笑顔』が見たかったと教えてくれた私の中の私。

その時を境に、明らかに何かが少し違う気がするんだ。
でも、時間は変わらず過ぎて行くから、朝起きて、家事して、子供を送って、仕事をして…いつもの流れが変わらずある。

夜になり、PCの前へ座り動画を眺めたりしていた。

はっきり、何故それがふいに思い出されたのか覚えていない。

きっと…
数か月前であったら、気の合う仲間達と通話を繋ぎ夜の時間を楽しんでいた自分が思い出され、何故それを失ってしまったのか…虚しさが込み上げてきたのかもしれない。

私が通話のアプリを用いて、ゲームで個人的に仲良くなった人達、20代~40代と暇な時に気軽にお話出来る環境をと思って2~3年続けてきた場所があった。

ゲームは勿論だが、世間話から、相談話、作業中に耳が寂しいからと立ち寄ったり…とかなり自由度の高い場所でもあった。

でもやはり色々な人が出入りする分、トラブルも起こる。
私自身も、何度か揉めた事があった。


私的に、そりゃあんまりでしょ…。
私的に、それはナイんじゃない?
私的に、ハイでました、またこのパターン!(怒・悲)


と、数人とはお友達という関係を断ち、最後のトラブルでは私自身が、もうその通話スペースに行くこと自体に苦痛を感じたんだ。


寝るのが大好きで、布団に入れば3分待たずに眠りの中に落ちてしまう私が、数年ぶりに何とも言い難い怒りで寝れない日が続きだし、仕事中にも許せない思いに苛まれてくる。


でも、その怒りとは裏腹に私の身体はその通話スペースに入る事を拒絶しだした。そのスペースにクリック出来ない。
ポチッっていうワンアクションが出来ない。
涙が流れる。


自分が作ってきた場所なのに、自分が行けなくなる悔しさや、悲しみ…。


私は何故失ったのだろう?
大事に思っていた友達に対して、何で私はこんなにも許せない思いに掻き立てられるんだろう?
失いたくなかった。
本当はその友達も失いたくはなかった。


私の捉え方がおかしいのかな?
何がそんなに気に障ったの?


今までだったら、起こったトラブルに対して、自分の正論を掲げ見向きもしなかった部分にいつの間にか触れだした。


何がそんなに気に障ったのか…。
私が無意識に、「イラっ」と感じたものは何だったの?


いつの間にか静かに心の中に降りていっていた。

「○○ちゃんは…ズルい…」

なんでズルいと感じたの?

「私は長い月日をかけて… 友達を開拓していったのに…」

「美味しい実だけを選ぶように… 私の畑を物色するみたい…」

悲しかったんだ?

「私は40代でおばちゃんだし、20代の子と知り合いになるのにも、嫌われるかもってリスクを背負ってでも、お友達になりたかったから勇気を振り絞って声を掛けた…掛けたんだよ…」

うん、そうだったね…

「結局、私では無くてその先が目的なんだ…」

・・・

・・・

泣けちゃうよね。
わかるよ。


私の中で段々と何かが崩れていく怖さをも感じていた。


「私は友達を作るのが下手だから、地道に少しずつ関係を築かないといけなくて…」


なんでお友達を作るのが下手なの?


「小さい頃から、分かってた。」
「友達と一緒に居てもなんか浮いてるなって…」
「たまに仲良くなれる子はいたけど」
「どこか嫌煙されてた」
「伝わってきた」
「しょうがないから遊んでくれてるって」

少し出しゃばった子だったからかな?

「明るく活発にしてたら… お友達が沢山出来るかなと思った…」

そっか、ちょっと無理して自分作ってたのかな…

もう記憶にない程、対話を進める
進めれば進めるほどに、何かが壊れていく。


「〇〇しないと、そう思われちゃうから!」
「〇〇でないと、こうやって皆が思うから!!」
「○○じゃないと…      」


これは先日の明るい無邪気な私の中の私では無かった。


文字を読み進めるより
とても長い時間をかけて言葉として紡ぎ出していく。
苦しくて、言葉に出せなくなる。
涙が溢れ、ゆっくりちゃんとその時の感情を吐き出すかのように…。





最後に言葉になるかならないか
ただ濁音がダムの開放のように流れでた
言葉は意思を乗せて

「寂しかった」

と伝えてきた。




私自身で感じる、私の中の根底の思い。
その最後の言葉を出す辛さ、それを隠す為に私が今まで作り上げていった思考、行動、無意識に捉えている事。



教えてくれてありがとう。
そして、今までちゃんと気付いてあげられなくてごめんね。
と私なのに、私の中に居る赤ちゃんみたいな尊い存在に私自身から最大の愛を贈った。

「寂しかったよね」

ちゃんと私、気付けたから
大人になった私が、心の中に居る私を守るからって伝えた。


今までの私の感情による現実の見え方は
私自身が創り上げたものだった。

面白くない、憤りを感じる、人を羨む気持ちも、それを無意識に思わせる何かが自分の中にあって、それが私にはそう見えさせる。


何かが広がっていく感覚。
とても穏やかな世界が気づけば広がっていた。


私という存在。
私の心が映し出す世界。
心の鏡の世界。


目の前に起こる障害は、自分に向けてのサインであった。
気付きなさいと今まで再三現れてきたのにも納得した。
だって、気付かない限り、きっとずっとそれは現れるから。
自分を見つめて自分の嫌だな、ネガティブにに捉える部分と対話し本当の自分を見つけて、受容してあげる。


私との対話の中で、自分の怒りが発する起因の過程を自身で腑に落としているのと同時にそれは、周りの人も同じであると気づくことになった。


貴方という存在。
貴方という心が映し出す世界。
心の鏡の世界。


どんな世界が見えていますか?



私はこの日の夜に、人それぞれが創造主であること。
一人一人がとても尊い存在であると実感した。



私は水辺の凪の上に漂う船に乗ったように過ごす日々が始まった。
そして、様々なことが身の回りに起きてくる様になった。
それは次のお話でしていきたいと思います。

長い記事を最後までお読み頂きありがとうございました。























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