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不足と強みと越えられない壁~『しろいやさしいぞうのはなし』

『しろいやさしいぞうのはなし』
作・絵:かこさとし
復刊ドットコム/2016年

ここ最近「ダイバーシティ」とか「個性」とかを尊重しましょうというお題目をよく見かける。立派なお題目だと思うけれど、「尊重」とは具体的に何なのか、とにかく褒めたたえることなのか、相手の一切を否定をしてはいけないことなのか、というHOWの部分はあまり聞こえてこない気がする。
多分、みんな手探りなんだと思う。
そもそも何のために尊重しなきゃならないのか、が語られているのか、やや心配だ。

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個性が尊重されるべきなのは、何もここ数年の話ではない。

『しろいやさしいぞうのはなし』は昭和60年(一九八五年)偕成社絵本『ぞうのむらのそんちょうさん』の復刻版であり、その作品は昭和28年の乾信一郎先生の動物小説集『からし卵』の象の物語がもとになっているというから、半世紀以上前の話がモチーフとなっている。

主人公はおしゃべりも走るのも不得手な白い子ゾウ。嗅覚が人一倍敏感な子ゾウは山火事の匂いに誰よりも早く気づき、仲間に知らせて避難をさせる。しかし足が遅い子ゾウは、彼を守ろうとする母親と共に逃げ遅れてしまう。母親はその身を犠牲にして子ゾウを守り、やがて青年となった子ゾウはみんなを守った功績と優しい性根を称えられてゾウの村の村長となる。

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「どんなにダメに見える子にも長所はあるし、それを活かせる世界って素晴らしいですよね」

この本をそう読み取ったならば、おっしゃるとおり、だと思う。
ただそれだけだとしたら、あまりにも理想論的だとも思う。

誰にだって不足や欠けはある。それを埋めて「平均値化すること」が教育なのか、はたまた「強みを見つけて伸ばすこと」が教育なのかは今もって社会の軸のグラついた課題の一つだ。
「偏差値教育はよろしくない!それよりも長所をいかすことこそ、今の社会に欠けているんだからそこに力を入れましょう!」という教育関係者は多数お見かけする。

ただ個々が持つ「長所」とやらにあまり絶対的な幻想を抱かない方がいいとも思うのだ。一人一人の長所はそんなに万能ではないのだから。

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この本では子ゾウの「強み」である嗅覚が多くの仲間を救った。しかし同時に、彼は自分自身の「不足」が原因で大事な母親を失っている。
作品内では生き残ったゾウ達が母親像の愛情と勇気を称え子ゾウの能力を認めるというハッピーエンドで終わっているけれど、ここには描かれていない子ゾウの心境を思い描くとそんなに単純な話ではない。

確かに子ゾウの嗅覚がなければ、山火事で愛する母はどのみち命を落としただろう。しかし、だからといって「仲間のゾウを救った分、彼は救われました」といえるだろうか。

幼く弱虫な子ゾウのことだから、他の誰かが生き残るよりも、とにかく母親に生きていて欲しかった、と思っていたとしても無理はないはずだ。

ぼくのあしが みんなみたいに はやければ
おかあさんは たすかったかもしれない。
ぼくのせいで おかあさんはしんじゃった…。

もし子ゾウがそういって悲しんでいる時に「個性を尊重しましょう」という教育方針にどれだけの力が宿っているのだろうか。
子ゾウより長く生きてきた先輩が語るべき言葉として、そもそもの土台があまりに脆弱で薄っぺらさすら感じるお題目だ。

長所を伸ばしたところで、それでも越えられない現実の壁というものがある。理不尽な哀しみや苦痛は必ず人生に訪れる。
そのことを踏まえて、それらを乗り越えるために、やっぱりあなたの個性が必要だったんだと手を差し伸べられる言葉を添えられなければいけない。それこそが聞こえてこないHOWのヒントであり、ぐらつく軸を支えるものになるのだと思う。

わたしは母親を失った子ゾウにどんな言葉をかけてやれるのか。
子ゾウよりも少しだけ多く、苦味や痛みを知っている大人だから語れる真剣な言葉を探る必要がある。

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