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17歳

日が沈んだあとの寒い夜道を自転車に乗って帰宅していると、いつも、高確率で、いや、必ずと言っていいほど高校時代を思い出す。


短く切ったスカートから出した生足に、刺さるような冷たい風。耐えきれぬほどの寒さを感じながら、でも耐えれてしまう。あれこそが若いという事なのだと、大人になってから気が付いた。あの頃の、太ももを突き抜ける空気の冷たさを、冬がくるたび私は何度も何年も思い出している。

学校が終わって、放課後街で遊んで、そして帰る。帰り道は、街灯がない真っ暗な河川敷の上を友達と話しながら、バイト代で買った白いBMを漕いだ。BMはサドルが細いしタイヤが重くて長い時間乗るのに向いてないけど、それでも毎日乗っていた。卒業間近か卒業した後か、忘れたけどどっかでパクられてなくなった。もっと大切にすれば良かった。
友達関係の悩み、将来のこと、恋愛のこと。どこにでもある、どの時代にも共通する、ありふれた女子高生の会話。17歳。
田舎道は星が綺麗だった。周りはとても静かだった。不自由さに守られていた。全部当時は、気付かなかったけど。

32歳の(あと2ヶ月ほどで33歳になろうとしている)私はもちろん短いスカートを履くことも生足を出す事もなく、BMではなく電動自転車に乗って、後ろに2歳の息子を乗せている。
大阪の道はとっても煩くて騒がしくて星とか全然見えなくて何のセンチメンタルもノスタルジーもサウダージも感じないけど、これが息子の故郷になるのだと思うとまぁ嫌いではなかった。

誰だって17歳だった時代がある。息子もやがては17歳になる。

先日高校時代の友達との月一ある集まりだった。
そこではやはり、高校の時の思い出話になる。会うたび同じような話を何度もする私達は、ひとたび解散すればそれぞれ全く別の生活を持っている。それぞれの持ち場で生きている。でも学生時代の楽しい思い出という共通言語がある限り、この先もなんとか関係を繋いでいけそうな気がする。

60歳になっても同じような話をしているのかもしれないと思うと少し楽しみである。

「学校は友達が1番大事。勉強できても友達おらんかったら意味ないもん。楽しいのが1番」

友達の中の一人が言った。
そう思う、と賛同しつつ、私は少し心に靄がかかったような気分になった。

確かにそうだった。高校時代は本当に毎日が楽しくて学校に行けない夏休みが嫌いだった。
勉強はできなかったし、運動も出来なかった。恋愛も拗れたり悩んだりであんまり上手くいかなかった。でも友達がいたから、そんな事どうでも良かった。どうでもいい、って思ってたら、商業高校なのにExcelもろくに使えないし、将来の事もあまり考えないまま卒業していた。受験勉強したくなくて、専門学校に逃げるような典型的なダメな学生だった。

それと同じように息子になって欲しいかと言われると完全にノーである。しっかり勉強して、なんなら勉強好きで、それなりの偏差値の学校で、自制心があって、将来の事もちゃんと考えられる17歳でいてほしい。でも同時に学校は楽しい場所であってほしい。友達とたくさん遊んで欲しい。

そう思う反面、果たして楽しさと勤勉さは両立できるのだろうかと不安になってくる。

昔ゴシップガールを見た時カルチャーショックを受けた。

いつもは夜遊びばかりして恋愛の事しか頭になくて酒を飲んで好き勝手やってるセリーナやブレアが、それなりの時期がくると自分の行きたい大学を自分で決め、将来を見据えた受験対策をしているのを見て裏切られたような気持ちになった。それまで勉強している素振りなど一切見せなかったくせに、だ。

以前誰かが言っていた。アメリカの学生は見た目はチャラチャラしてたり遊んだりしてるけどみんな自分がどうなりたいかはちゃんと考えてるし、勉強する時はするというメリハリを持っている、と。

個人的にもアメリカは日本よりもブルーカラーに対して見下した感情がやや強い気がする。それもひとつの要因かもしれない。

上記がアメリカのどの層の学生を指すのかも全く不明だが(アメリカは広いし格差もすごい)ゴシップガールを見た時に、なるほどこれか、と思ったのだ。めちゃくちゃカッコいいな。日本ではチャラチャラしていたり目立つ生徒はそれだけでも不良というレッテルを貼られやすい。だけど日本でも偏差値の高い進学校ほど校則が緩く、染髪自由というところも確かにある。そういう価値観がもっと広がればいいのに。見た目の派手さと、それが不良かどうかは別だという事。


みんな17歳を経験している。17歳だった事がない大人など存在しない。それぞれの人生にそれぞれの17歳がある。息子はどんな17歳になるのだろう。たった一度しかない17歳を彼は楽しめるだろうか。

12歳過ぎると親の影響はほとんどないと思っている。周り、特に友達関係で良くも悪くも変わっていく。私がそうだったからだ。何も子供だけではない。大人だってそうである。

息子が良い友達に出会う為にできる事が私にあるだろうか。こればかりは縁なのでなんとも言えないかもしれないが。

今は今でもちろん幸せだし、あの頃のように心が乱降下する事もまあ、ない。

もしかすると私はあの頃を美化しているのかもしれないが。
「幸せだった事がある」という記憶が今の自分を支えてくれるのではないかと思う。逆に辛い思い出は今の自分まで辛くする。(最悪トラウマになってしまう)

大切な思い出として17歳の自分を死ぬまで大事にしていこう。


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