バカンス

バカンス(VACANCES)とは元々フランス語で空っぽという意味らしい、それが転じて富裕層が何もせずに過ごす時間を表すようになり、やがて一般市民が夏などに長期休暇を過ごすことを指すようになった。

本年度のGWは10連休となる。10連休を過ごす日本人のうちいったい何人が本来の意味でのバカンスを過ごすのだろうか?
せっかくの長期休暇だから海外旅行に行き、需要面の逼迫から値上がりした旅行代金を何とか取り戻そうと一日中街の観光名所を歩き回るのでは他人からの羨望は得られるかもしれないが、バカンスからは程遠い。
それよりも家でひたすら引きこもっているほうがバカンスと言えよう。

日本人は、いや現代人は誰も彼もより良い生活を送ろうと必死に努力している。しかし、彼らに真の意味でのバカンスが訪れるのは老後に年金暮らしを始めたときだ。そのときまで私が生き永らえられる保証はどこにもないし、年金制度が存続している保証もない。加えてその時、私は年老い過ぎていて身体的な自由も制限されている。
このまま生きていても俗世の全ての煩わしさから解放される日は永遠に訪れない。
それならば、私は今の地位をかなぐり捨ててでもバカンスを楽しみたい。新卒至上主義の日本で仕事を辞めて海外に行くことは、私のこれからの人生、キャリアを考えると損だろう。もちろん私のそういった選択を認めてくれる人はいるだろうが、彼らは私の帰国後の生活を保障してはくれない。
しかし、そのような損得で勘定可能な世界から飛び出して、自由な生活をしてみたい。ただ、一生自由な生活をすることは私には不可能なので、一年間だけだが海外で自由気ままに生きてみることにした。
だから、私はワーキングホリデーに行くことにした。そして、経済的観念から考えれば、英語圏に行って今後のキャリアにプラスになるようにすべきなのだが、それでは真の自由は得られない。もっとも、経済的なメリットがなく何の役にも立たない言語を話す国に行きたい。
そう考えた結果、スロバキアを選択した。ボヘミアンの語源となったボヘミア地方があるハンガリーとも悩んだのだが、スラブ系の美女と出会いたいという何とも低俗で人間らしい理由から、スラブの語源ともいわれるスロバキアにした。

このワーキングホリデーの目的は何にもない。ただ一年間サバイブするという人間本来の生存目的のみが存在する。言語も知らない、友人もいない、財布も限られている状況で一年間生き延びる。それだけだ。精神的にまいってしまい自殺する、経済的に困窮して餓死する、トラブルに巻き込まれて殺される、お遍路なんかよりも死のリスクは高い。だからこそ行くのだ。そこで死というものを直視することで、生の輝き、素晴らしさを再認識できると信じている。
そんなことをしないと分からない愚か者だと人は笑うかもしれない。しかし、笑う彼らは真の生的欲求を抱いたことがあるのか疑問だ。マズローの欲求階段説的に云えば、私の抱く生理的要求は最も低次なのだが、より高次の成長要求には際限がないことに気づいた私からすれば、低次のこれらの要求のみで十分だ。そして、それを自らの手で勝ち取りたいという自立心故なのだ。
青年の遅れてやってきた反抗期のようなものだ。
親に反対して自立したいのと同じように、私は今の日本社会から自立したいのだ。

私の心情についてはまだまだ吐露しきれていないが、今日はこれぐらいにしておきたい。

私はスロバキアにワーキングホリデーに行く。

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