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「半自伝的エッセイ(8)」青野流

チェス喫茶「R」の別部屋が閉鎖されてから表で指す人が当然増えた。私は人の対局を観戦するのが好きだったので横でよく眺めていた。すると興味深いことに気がついた。

別部屋で賭けチェスをやっていた面々の指し回しが微妙に違うのである。賭けているとどうしても負けない指し方になる傾向があり、攻めと受けの手のどちらも有望な局面では受けを優先しがちになるが、賭けていないと手が伸びるというか、積極的になるのだった。

その典型的な例が青野さんだった。青野さんは五十がらみの、一体何を生業にしているか不明な人で、風貌だけからするとチェスよりも将棋を指しているほうが似合いそうだった。青野さんとは別部屋で指したことが何度かあったが、とにかく安全第一でクローズドな展開にばかりなった。ところが、表ではどんどん駒を捌いてオープンな展開にしていた。まるで人が変わったかのようだった。

ある時、青野さんが息子だという男性を連れて店に来た。一見して知的な障碍がある風だった。
「藤井君、息子と指してやってくれないかな?」青野さんが言った。
私は少々戸惑いながら、
「もちろんです」と答えた。
しかし、心の裡では、息子さんはリハビリかなにかの一環で、こうして外に出てきて誰かとチェスでも指すのだろうと思っていた。

私が白(先手)を持ってクイーンズ・ギャンビットで進めていった。息子さんは完璧に受けて、攻め手を作ってきた。私はその頃すでに黒が何手目にこうきたらこうすれば自分が優位になるという筋を知っていたが、息子さんの指し回しはまるでスキがなかった。そして十八手目に私がよく知らない手を指された。その手を見て、比喩ではなく背中に汗が流れた。自分の勝ちは難しそうなことを悟った。その後はドローに持ち込む手を指していったが、最終的に私は投了した。二局目は私が黒(後手)で指したが、まったく勝ち筋を見つけることができなかった。

息子さんのスコアは軽く2000は超えていると私には思われた。そのことを後日、青野さんと話をした。
「そんなに強い?」
「相当強いです」
「そっか」と言って青野さんは息子さんの子供の頃からのことを話してくれた。
なんでもいいから夢中になるものを見つけてやりたくて野球や水泳やピアノや将棋や手当たり次第教えたが、チェスを教えたらもうその日からチェスしかやらなくなった。ルールを教えてから二週間もすると青野さんは息子さんに勝てなくなった。そんなに夢中になるなら大会に参加させてやりたいと思った。しかし、棋譜が自分で書けないのはまだ誰かが代わってもいいが、チェスクロックの操作を他の人にさせるのは対局をサポートしてしまうことになるので無理だと言われた。

私はそれからちょくちょく青野さんの息子さんと盤を挟んだ。息子さんから教わることは多かった。しばらくして私は息子さんを「師匠」と呼ぶことにした。最初はよくわからなかったみたいだが、青野さんに教えられたのか、「師匠」と呼ぶと嬉しそうな顔をするようになった。師匠と指した対局はその日のうちにアパートの部屋に戻ってすべて記録した。そして記憶した。

ソフトやAIが普及してから師匠の指し手を評価させてみた。すると、ほとんどすべての手が最善手だった。私が今ネット対局で指している手のいくつかは師匠から教わったものである。私はそれを「青野流」と名づけて愛用している。

文中に登場する人物等は全て仮名です。


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