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「半自伝的エッセイ(21)」脳の性能

「R」のマスターが手術をするからと店の営業を任されてから数日してのことであった。以前からそこにあることには気づいていたのだが、店の仕入れなどの記録かと思っていたので、とりわけ興味があるわけではなかったファイルがあった。カウンターの後ろの足元の棚にざっと10冊ほどが立てかけてあった。

しかし、自分がカウンターの中に立つようになると、妙に気になり出してきた。というのも、ファイルの背がずいぶん色褪せていたことに気がついたからである。帳簿などの類のものであれば、何年もそこに置いておく必要はないだろうし、だったら別のものだろうと思い手に取ってみた。

中を見るとチェスの棋譜だった。10年ぐらい前のものから数年前のものまで、丁寧に綴じられていた。古い棋譜からめくっていき、頭の中でゲームを再現すると、たかだか10年ほど前のチェスなのに、微妙に今とは指し回しが異なることに初めは興味を引かれたのだったが、そんなふうに何十局と見ていくと、あることに気がついた。

どうもクイーンを最初に動かした方が負ける確率が高いということである。私はそれを研究してみることにした。しんちろう君がやって来る前だったから暇にあかせてすべての棋譜を材料にすることができた。ひとつのファイルに200局ほどまとめられていたから、8冊で2000局近くあった。そこでわかったことは、最初にクイーンを動かした側が負ける確率が6割以上あることだった。さらに、先にクイーンをどう動かしたかのパターンを細分化し、どのパターンだと負ける確率が高まるかを追跡していった。

すると、ある動かし方をすると、8割ほど負けになるパターンを抽出することができた。細分化の基準を少し緩めてみても、やはり先にクイーンを動かすと負ける確率が高くなる。これは鉱脈だと思われた。私はその鉱脈をどんどん深く掘っていった。この研究は私のチェスを強くしてくれた。しかし、しばらく前から頭の中に燻っていた疑念がまたもたげてきた。こうして研究を続けていくといつかメイトまでの手筋をすべて網羅してしまうのではないか? その時にチェスは楽しいものだろうか? 答えがわかっているゲームをやる意味や意義があるのだろうか?

この問いは杞憂に終わった。やはりチェスは究極のところまではわからない。かなり先の展開まで読めるようになったものの、残念ながらというべきか、その展開になることがどれだけあるかというと、おそらく30%もない。トッププレイヤーは別にしても、相当の棋力がある人でも最善手だけを指し続けることはない。何年か前からソフトやAIを使って研究もしているが、そうすると相手が最善手や次善手を指し返してくることを前提にすることになるわけなのだが、そんな理想的なというか、前もって研究しておいた手筋や展開が隅々まで再現されることは、非常に稀である。

だったらソフトやAIが示す3番目以降の手を相手が指すと前提して研究すればよさそうなものだが、生憎と私の脳の性能ではそこまで対応できない。ならばなぜチェスをやっているのか? 答えは簡単である。自分の脳の性能が高くないことを知るためである。

(文中の登場人物等は全て仮名です)


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