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苦悩は解決しようとしないこと【母の苦悩を何とかしようとする子供心】

私は何度も失敗した
それが親密な人ほどそれは起きました

友人のがん、、、
私は必死になって彼女の”ために”付き添い、励まし、色んなアドバイスや「良かれ」と思って色々とやったことがありました

でもそのことこそが彼女を苦しめていたのだと後から感じて本当に後悔しました

なぜなら、そういった「良かれ」として行動しているのはイコールそのがんになった彼女を否定しているということなのです

がんはダメ、と言ってるし、がんになった彼女はダメ、という意味になるのです

私たちが本当にしなければならないのはただその彼女の隣で普段と変わりなく接することです

ただここに一緒に在ること

必死になってがんを治そうとしなくていい

でも、これをやってしまう理由があるのです
それはその痛みを感じたくないからです

彼女の痛みが痛いのです
でもそれは彼女の痛みであって私の痛みでありません
私の痛みとして感じてしまうのは理由があります

それは子供の頃、母親の悲しい顔を観るのが辛かったからです

子供は生きる上で大切で、大好きな親の悲しんだ顔を見るのはツラいですよね
だから一生懸命にそれを払拭させようとします
子供ながらに助けようとします

でも本当に助けてあげなくちゃいけないのは自分なのにね、、、
健氣なのです

でね、これを自分にもやってしまうのです

誰からか反応したその痛みを感じたくないのでどうにかして助けようとしてしまいます

でもそれは余計なお世話でして・・・

そこで境界線がおかしくなります

母の苦悩は母のもので私のものではありません

親しい人ほど近くにいるためこれをやってしまいます


もういい加減ここをわかっていたのにまたやってしまって失敗した経験があります

私は自分自身に「おい、今のお前じゃダメだからそれを解決せよ」と常にやっていたので親友が悩んでいるときにただ隣にいることができずに解決させようとしてしまい、彼女を傷つけてしまいました

彼女には彼女のプロセスがあり、ペースがあります

そのことで自分が自分にいつもそれをやっていることに氣づけました

とにかく母の苦しむ顔は観たくなかったんですね

大好きな人が苦しんでいる、、、何とかしたくなりますがこれは本来の愛ではない

自分が痛みを感じたくなくてやってしまっている

相手は苦しいはずです


本当にほしいのは「そうなんだね、苦しいよね」という共感で「そんなこと言ってないで早く解決しよう!」というのはダメというレッテルを貼っているような氣分にさせてしまうのです

苦悩は悪いものではありません

必要だからこそ起きています

苦悩があるんだね、と受け入れて一緒に感じる(相手の苦悩をわかろうとせず、自分が反応している感情、苦悩に意識を向けること)ことが一番の愛、優しさ、思いやりだということを毎回学ばせてもらうのです


相手に反応するものはすべて自分の中にあるのでそこにフォーカスすることが必要だということを周りから教えてもらっているんですよね

苦悩は悪者ではありません

苦悩があることをまずは受容していくことが大切なんです

パートナーでも友人でももしあなたが「何かしてあげたい」と想ったらご自身のために何かしてあげなければいけないメッセージです

いよいよ自分に向き合うときです^^

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