「女性らしく」在っていい
Osho瞑想
タントラの瞑想合宿へ行ってきました
今年はこの合宿にコミットをしようと決めて昨年から準備していました
タントラ瞑想に出逢ったのが2022年の2月23日。
自分を表現すること、生きる息吹を感じて「生きる実感」「悦び」を感じて、本当に救われたんです
本質の場でした
上辺っ面でうまくやろうとするのではなく、綺麗事にするのではなく、心と身体が統合していくような、自分を取り戻す場でした
そこからほぼ毎月、または2〜3ヶ月に一回開催されていた関東での会に必ず参加。。。
今年8月まですべて行き、7月と10月の合宿へも参加。
参加するたびに隠れていた自分、本性の自分に氣づいたり、痛い自分、普段絶対に出せない自分を出したり、感じることができるのは貴重な機会…
ここだけでしかできない人との関わりを体験していくプロセスは本来は日常でやらなければいけないことですが誰もがこれをできずにいますので本当に言葉にできないほど、「生」そのものだと感じることができる場です
自分でも忘れていた本来の自分と出会えて、本性を出せるのはなかなか難しかったりしますが一歩一歩、いまの瞬間の自分の氣づいていくことで徐々に自分に安堵し、くつろいでいけるようになっていきます
これが本来の人間の生きる姿というか、生き様そのものなのに社会ではそんな自分は出せない、、、ジャッジされる、ひかれる、マウント取られる、、、色々な恐れがありますが実際に嫌な想いやそんな道を通ってこそ、やっと表面的ではない本心や本性の自分が出てきます
封じ込めていた女性性
45歳ほどから女性として生きていいんだ!という解放が起きて、女性性開花のサポートを6年ほど行って来ていく中で、自分自身も常に向き合い続けておりました
別居、離婚、も経験…
歳を重ねるたびに若返り、生きる悦び、女性としての自信や女性として生きることが幸せになっていきました
が、深い深い部分の一番深いところ?のやはり男性との親密さ、、、
関わりの部分で自分でも大きく揺さぶられた、炙り出されたのです
特に今回の合宿で女性性を全肯定できていたと思っていた自分が覆り、全然許せてなかったんだことに氣づいたんです
合宿の前半であるパート1のとき、男性への嫌悪感や怒りがものすごくあることに氣づきました
パート2ではその段階を経て、だからこそだと想いますがそこが解放される扉がやっと開けたような体験となりました
女性らしさ、の本当の意味
「女性らしく」「女性らしさ」は一般に言われるようなものだと思ってしまいがちですが本来の「男らしさ」「女らしさ」とはみなさんが思っているような一般的なイメージのものではありません
人間が本来もっている性質の話です
ここを勘違いして「押し付けるな!」とついつい男女平等世代は思ってしまいがちですね(^o^;)
本来は以下のような意味なのです
Oshoがこれについて語ってくれている一文がありますので引用いたします↓
本来の女性らしさを受容できた
合宿中のワークで「女性」であることにくつろげていない自分が居たことを感じました
それは「女性」でいると「女性っぽさ」を出すと・・・
嫌な想いをした経験があるからずっと男性性でがんばってきてしまったんだな、と出てきました
深層心理で蓋をしていた深い部分なので簡単に書いてますが相当深い氣づき、腹落ち、、、でした
女性で居てもいいんだ!女性を出しても怖い想いや嫌な想いをしない、、、そう想えたら本当にホッとしました
すると身体の緊張が抜けて、防御が外れました
「柔らかくなったね」
と言われてすごく嬉しかった。。。
私はやっと本来の性である女性としてのポジティブな面で生きれる、自然体で女性として生きれるんだな、と安堵しました
男性への敵対心や嫌悪感が薄れていくのを感じたのです
これがOshoの言う「女性らしさ」なのだなぁ、と感じて今までにない心地よい感覚とジューシーな体験となりました
これ以外にもたくさんの氣づきがあったのですが・・・
それはまた別のnoteにて
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