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[雑記]技術は絆さえも作り出す

皆さんは、「古沢政生」と言う方をご存知だろうか?
2003年から2010年まで、MotoGPにおけるヤマハのレース活動の指揮を執っていた方で、技術畑であり、GPを席巻したバレンティーノ・ロッシが絶大な信頼を寄せ敬愛した”戦友”とも言える人物である。

彼の寄稿に”徒手空拳の技術”というのがある。
彼は数学とコンピュータープログラムの技術者としても有名だったそうだが、

「レースの現場では何が起こるか分かりません。周到に準備したものが一瞬にして使えなくなることも、よくあります。こういう場面では直感が大きくものを言います。ただ、ここでいう直感とは、単なる山勘ではなく、理論と実際をよく勉強し、理解して、日ごろから修練を積むことにより醸成された知識と判断力でなければなりません。少なくとも、ニュートンの第2法則(F=ma)と、フックの法則(F=kx)だけで設計ができるワザと、最小二乗法で実験ができるワザを習得していなければならないと思っています。これらのワザを、筆者は勝手に徒手空拳の技術と呼んでみたのです。
頭の老化を防止するために、また、コンピューターを使えない時の危機管理として、さらにはコンピューターを本当に上手に使うためにも、徒手空拳の技術を磨く必要があると思っています。」

(一部抜粋)と、自らの能力向上(自己研鑽)の大切さを説いている。

GPレースに限った話ではなく公私で言える事でもあるが、常に何かと向き合い努力するというのは、非常に大変で困難なのは間違いない。余程意識が高くないと継続出来るものでは無い。そして、目的無しでは成し得ない。

彼は文中で「人間が便利な道具を手にすることによって、実はだんだん利口ではなくなっていく」事を比喩し、危惧している。

ミニ四駆も、毎日のように誰かが新たな発見をし、ギミックを考え、治具等を考え、時に治具等は商品化もされ、ギミックは主流化している。
それら自体素晴らしい事で、それを生み出し、形と成すまでの並々ならぬ努力と検証の上に成り立っている。
それらの恩恵に与るのも大事だが、私自身はあまり治具は持たず、ごく限られた道具しか普段使わない。ギミック作っても、一つとして全く同じ構造にする物はほぼ無く、大半がフリーハンドで、創意工夫するのが殆どだ。
確かに同じ物を同じように量産するのに治具は向いている。手軽で簡単だ。
私が治具をあまり使わないのは、先文中の比喩のように、頼り過ぎて”考えなくなる”事を嫌うからである。

分かりやすく例えると、フレキのシャーシを作る時、センターシャーシ一部を鋸で切り離して前後ユニット内を均し、加工していくわけだが、このシャーシの切り方やその後の加工で、動きや効果にかなりの差が出るのは何度かフリーハンドでトライした人ならもう分かると思う。
それらに治具を使えば毎回概ね同じになり、再現性からはそれで良いのだが、自分のマシンを走らせていくうちに問題点が浮上した時、大概の場合、問題点洗い出しの優先順位は下位になる事が多い。何故ならば、”治具で精度出してるからココでは無い”のような心理が働くからだ。

以前の記事にも書いたが、マシンは作成する上で「個性」が出るため、正確には走り自体も皆違う。また、本来同じ物を作っても全く同じにはならない。
治具を過度に頼るようになると「本当にコレで良いのか、もっと良い方法は無いのか。」と言った疑問や意識を少しずつ持たなくなる。そして改善点も見い出し難くなる。
個体差も相まって、同じような走りは出来ないのに、同じ加工で良いとならないのにである。
時折見かける、アイデア泥棒のパチ物治具等なら尚更な問題の話だ。何故その位置か、何故その角度か、深慮されていないからだ。「真意図らずは薄氷を歩くが如し」とも言えるだろう。
よって、治具というもの自体もよく考え、自分がしようとする事へ適時適切に使い分けする思考を磨くことも肝要と言える。


人間の感覚や能力は、いまだにコンピューターよりも優れていて、それを獲得するには人それぞれ歩みやレベルは違うが、考えて臨み場数を踏むことで向上する。
仮に失敗しても、それは立派な糧であり、特に考えずにやった結果より何倍も価値がある。
そうして得られる”無形の資産”こそが「徒手空拳の技術」、磨くべき技術であり能力である。

バレンティーノ・ロッシと古沢政生は全く異なった立場・スタイルでありながら、同じ目的の為に持てる技術と能力を研鑽し、危機を乗り越え、華々しい活躍と、去ってなおその後の2人の堅い絆さえも作り出した。

ミニ四駆は”世界最小のモータースポーツ”とも言われる。
本来は1人で全てこなす自己完結な競技であり趣味であるが、2人と同じように自己研鑽の目的の先に、無二の知己を得る事は皆にも有り得る。
少なくとも、いまだ道半ばの私でさえ知己を得る事が出来た。

自己研鑽という努力とひたむきさには、光るものとして周囲に共感を与え、光るものを持つ同士は惹かれ合う。
そういう意味で私は

”技術は絆さえも作り出す”

と思っている。

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