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エコ旅の思い出 中国・桂林

「天下の絶景 桂林・漓江の流れに生まれた庶民レベルのの日中友好」
  桂林の命の川ともいえる「漓江」を訪ねた。以前の漓江下りの印象は、その幻想的な風景とは別に、残飯やゴミ、そして屎尿までも垂れ流しにしていた様子を見て見ぬ振りをしなければならないストレスがあった。まさか、今も? と今回の取材ツアーの重要な箇所にきた。そして、さすがに時代は変わっていた。乗船場付近にある総合調理施設は衛生管理を徹底していて、1日100艘(2万人)出航することもあるという遊覧船には計画的に調理された食材が運ばれ、残飯やゴミ、屎尿は下流の数箇所の回収場所に集められて、処理されるという。疑ってゴメンナサイ!と思いつつ、ほっとした気分だった。生ゴミは堆肥として使用され、その他の大半のゴミは埋め立てるらしい。「土地はたくさんあるし、土壌汚染の対策もしているから・・・」と説明してくれたが、この種の発表にはこれまで何度も抜け道があったので、100%素直に信じきれないのが悲しい。それでもよくなっている・・・。
 100人乗りの遊覧船では、2階展望デッキから両岸の石灰岩でできた山水画の世界を、時間を忘れて眺めていた。これは20年前も同じ。同じであることがすごいことだ。いや、もっときれいになったような気がした。
 対岸の急峻な山の麓にコンクリート造りの大きな家があった。その前で道路の補修をしている団塊の世代の日本人と出会った。日本から移住した林さんはそこで老寨山旅館 (ラオジャイ山旅館)という民宿を営んでいた。何年もかけて山頂の展望台までの登山道を独りで作り、和平亭という日中友好記念の東屋も作った。2002年にNHKで「桂林」が放映されてから泊り客も増えていたが、SARDSや鳥インフルエンザ騒動でその都度、閑古鳥が鳴いたと苦笑いしながら林さんは語った。移住したばかりの頃は、あからさまな嫌がらせを受けたが、ゴミを拾ったり、道を作ったり、そのうち、地元メディアで伴侶を公募してくれて、現在の妻をめとり、愛児喜多郎君が誕生して、中国の田舎に住む数少ない日本人として頑張っている。そんな林さんの噂を聞いて男女2名の若者が日本から手伝いに来ていた。
 近代化された中国。北京オリンピック、上海万国博覧会、広州アジア大会などなど急速に発展を続ける中国と日本との経済や文化交流はますます盛んになっている。しかし、靖国問題を含む戦後補償やエネルギーを巡る領土問題など、国レベルでの障害は多い。しかし、生活者の価値観は両国共通のところもある。山岳国家日本にはたくさんの川があり、川の恩恵を受けて豊かな生活を育んできた国民だ。せめて、里山の環境を守りながら、日々の暮らしを大切に生きる両国の人々の交流を進めていきたい。夏休みがてら、林さんが提唱する漓江の大掃除に参加してみたい。

あれから13年、新型コロナウイルス発祥地ともいわれる中国にはいまだに再訪できていないが、あの笑顔と風景が懐かしく、健在であることを祈る。

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牛で耕作

リ江下り

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そんなに長くない残りの人生、これからは、いかに自分が幸運な人間であったかを勝手に伝えたい。たとえそれがささやかな幸せであったとしても、それを誇ることでこれまでの恩人たちに謝意を表したい。