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思い出を愛して生きる

#note書き初め  というお題があって、昨年のうちに自分の来年の漢字一文字って何だろう?と思った時、なぜか迷いもなく「満を持して【愛】だな」と思った。
 思ったくせに、何でだろう?と思っていた。

 「満を持して愛だな」と思った私には、ある計画があった。
 ずっとそれを希望としてきた。

 でも、その計画、希望は、2024年の元旦早々に木っ端微塵に砕けた。


 元旦のお昼にわずかな年賀状が届いた。
 私はもう出さないことにしているので、まだ来るんだなぁ〜と犬の散歩を終えて、お雑煮を温めながら、何気なくパラパラと見たところで、年賀状だけで細々繋がっている知人からの、印刷の挨拶の横に書かれた手書きの一行に釘付けになった。
 見間違いかと思い何度も見るうちに、血の気が引き、ハガキを持つ手がブルブルと震えた。

 私の大切な人、私の希望の人、私の大好きな人が、5つも年下なのに、還暦を迎えることもなく亡くなったとの知らせ。

 昨年の秋に、癌のステージ4で余命2年の宣告を受けるも、3ヶ月も経たないうちに2023年12月6日に穏やかに永遠の眠りについたそうだ。

 彼に出会ったのは17年前、様々な経験を共にして、たくさん支え合い、あまり経験のなかった青春のような楽しさもいっぱい味合わせてもらった。
 彼からは、自由に生きること、自分らしく生きること、我慢し過ぎないこと、後悔しても前へ進むことを教わった。

 彼に出会ったおかげで、人が変わったように色んなことに挑戦して、人生を楽しんだ。

 でも、5年前、誤解が生じて会えなくなった。
 ショックが大きくて、どう生きていったらいいかわからなくなって、スリランカの高僧に祈祷してもらえるという、スリランカ名誉文化大使の友人のツアーに参加して、たくさんの新しい体験をすることで、どうにか乗り越えてきた。

 それでも、好き過ぎて嫉妬心が邪魔をしたり、傷つくのが怖かったりして、連絡をとることが出来ず、ズルズルと時間ばかりが過ぎた。

 でも、コロナ禍で地元に帰ってきてから、中学や高校時代の同級生たちとの縁が復活して、もう男だ女だとか関係なく、ただの友達と接する楽しさを満喫したら、彼とも友達として会えるようになるかもしれないと思い、年が明けたら気軽な感じで連絡してみようと思っていた。

 その矢先の訃報に、膝から崩れ落ちた。

 会えなくても元気にしているだろうと思えることと、もう二度と会えないという絶望は、全く違う。

 最初は信じられなくて、共通の友人だった人に電話をして詳細を聞いた時も実感がわかなくて、でも、時間が経つほどにボディブロウのようにダメージが深まっていく。

 元旦の夜は一睡もできなかった。
 もう一度会いたかった。
 生きている彼の温度を感じたかった。声が聞きたかった。
 涙が止まらない…。

 余命宣告されたのに、なぜ連絡してくれなかったのだろう?とは思わなかった。
 そういう人だから。

 私に会いたくなかったのかな?とも思わなかった。 
 なぜなら、信じられないかもしれないけど、クリスマスイブの夜に来てくれたから。

 クリスマスイブの夜、30年以上ぶりの金縛りにあった時、誰かがいることを感じた。
 10代20代の頃は、そこそこ霊感があって、不思議な体験をいっぱいしていた。
 でも、30歳で出産して以降は全くなくなった。

 久しぶりの金縛りだから、身体の疲れだと思いたかった。
 彼かもしれないという気がしたけど、そう思う事が怖くて、考えないようにした。

 でも、元旦に届いた訃報で、やっぱり…彼だったんだ…と思った。

 後悔に溺れそうになった。
 なんでもっと早くに行動を起こさなかった?
 悔やんでも悔やみきれない…。

 そんな身が引き裂かれそうな後悔と悲しみを癒してくれたのは、里帰りしている娘と娘の愛犬のおかげだった。

 そして犬と散歩する程よい疲れで、二日目はちゃんと眠れた。
 眠りはやはり心身ともの回復に繋がるものだ。

 あんなに後悔して、悲しんでいたのに、ちゃんと眠った朝は、少しだけど気持ちが前向きになっていた。

 私には、彼が作ってくれた沢山の愛しい思い出がある。
 以前こちら↓の記事で書いたように、思い出を愛して生きるのも、芳醇な生活だ。

 この↑記事の父との写真を撮ってくれたのも彼だ。

 彼は、両親の介護が始まった時、病院の送迎を手伝ってくれたし、いよいよ施設入居になった時は、親身になって一緒に施設見学巡りに付き合ってくれたし、亡くなった後は、遺品整理も手伝ってくれたし、一周忌を迎えるまで毎月通ったお墓の掃除も手伝ってくれた。

 どんどんどんどん沢山の思い出と感謝が甦ってくる。

 そうしたら、思い出を愛して生きていけばいい。そう思えるようになった。

 もう一度ともに生きるという希望は無くなったけど、思い出を愛して生きるという未来を思い描けた。

 本当に「出会ってくれてありがとう」って、心から思う。
 これまで、SNS上で彼のことを紹介したことは一度もないけど、このnoteは、娘と親友以外、リアルで繋がっている人は読んでいないので、最初で最後に、私の愛した彼を紹介します。
 12年間、共に支え合い、共に生きた人。

海が大好きだったSHO❤️

SHOへ

 出会ってくれてありがとう。
 貴方のおかげで、私の人生が生まれ変わりました。
 すっごくすっごく楽しかった!
 未来永劫愛しています。
 娘の希望であんまり早くそっちに逝けそうにないけど、絶対に待っていてね。
 来世でも絶対に私を探してね。
 そして、今度こそちゃんと結ばれて、最後まで一緒にいようね。

                 エツミより(彼がつけた私の呼び名)

 これからの私は、たくさんの大切な人たちが残してくれた思い出を愛して生きて、今目の前の人たちを大事に、ゆっくり前に進んでいきたいと思います!

 こんなにも私的な記事を、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。

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