幸せや不幸という言葉が遠くなった世界線
昨日、久しぶりにATMで通帳記入した。
今はネットで見られるから、以前のようにマメに記帳はしなくなった。
ネットでは見ていたのに、改めて印刷された数字を見て驚いた。
今年になってからのカード引き落としの合計がスゴイことになっていた。
わかってはいたけど、元は倹約家だった私としては驚いた。
今年に入ってから、驚くほど爆買いをした。
ゴルフクラブを全とっかえしたり、いずれ娘に遺せるからと自身に言い訳をして、今まで欲しくても買わなかった貴金属やバックや靴を、迷うことなくネットで買った。
それは買い物依存症かと思ってしまうくらい。
奇しくも昨日の朝、娘との電話の中で言われた。
「お母さん、最近いっぱいアクセサリーとか買ってるけど、幸せそうに見えないよね」と…。
さすがに娘だ。鋭いとこを突いてくる。
昨日の投稿で↓
【人生にはそれぞれ抱えている石ころがある。
幸せそうな人のポケットにも重い石が入ってるんです】
という韓国ドラマの中の言葉を紹介したけど、たぶん今の私のポケットには穴が空いていて、それなりに抱えていた重い石は、その穴から全部溢れ落ちたようだ。
そして、欲求を満たした筈の幸せも、その穴から溢れ落ちていく。
私は今、とても恵まれている。
客観的に見て、とても幸せだ。
でも、心のポケットに穴が空いているから、欲しかった購入品を手にした瞬間は、とっても嬉しくて幸せだけど、すぐにその幸せも溢れ落ちてしまう。
そして、もっともっと心を満たそうとした形跡が、昨日ATMで記帳された。
【死】というのは、圧倒的な不在だ。
会えない事実が同じでも、どこかで生きていると思える事とは、全く違う。
しかも、心の準備が全くなかった訃報、期待していた未来が突然なくなるという事の心の穴は、思う以上に大きい。
それでもね、なぜか引き寄せるのか、Xでは、大切な人を亡くした人達の言葉が、たくさん流れてくる。
それは、私の穴なんか小さいと思えるくらいの、突然ブラックホールに放り出されたような、なんでそんな試練が?と思えるような、胸が潰れそうな経験をされた方々がいる。
でも、【死】というものが、遺された人に残す衝撃を知っているから、這いつくばってでも生きていこうとされている。
そうやって、心にブラックホールを抱えて生きようとする人には、もはや幸せとか不幸なんていう言葉は、まるで砂漠の蜃気楼のようなものかもしれない。
小さな穴を抱えた私でさえ、そんな言葉は、遠くの景色だ。
幸せとか不幸とか考えられるのは、心に穴が空いていない時だけかもしれない。
でも私はやっぱり恵まれているから、訃報を知る前にハマることができたゴルフという趣味がある。
あんな小さなボールを、早く小さな穴に入れるために、たくさんの時間やお金を使って、全集中して一喜一憂している時間に、心救われている。
孤独でも…不幸じゃない。
もう少し時間が経ったら、穴が空いたままでも、きっと幸せを感じられるだろう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました⛳️
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