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互いの小さな声に耳を傾ける〜学生時代の部活動編〜

女性アスリートたちの声を社会に接続するクラブチームOPT UNITED。スポーツ界の「普通はこうあるべき」への違和感を抱き、より良い未来を見据えるアスリートが競技を超えて集まっている。
そんなOPT UNITEDでは定期的に、スポーツ界の「普通はこうあるべき」について、競技の壁を超えてアスリートが対話する場所「OPT CLUB HOUSE」を開催している。

OPT CLUB HOUSEの開催背景
「OPT CLUB HOUSE」は、スポーツ界に存在する「普通はこうあるべき」について、競技の壁を超えてアスリート同士が対話する場所。アスリートたちは、スポーツを通じて自己表現できる居心地の良さを知っている。ピッチの上では何者であっても肯定される、という経験を持つアスリートたちはとてもレアな存在だ。しかし、このアスリートたちの声がピッチ上でとどまっていること、それどころかピッチの上で肯定されることのないアスリートたちも多く存在している。OPT CLUB HOUSEは、その事実を可視化し、これまで聞かれてこなかった声に耳をよせる。対話を通して、自分を誇りに思う人や誇りに思い合える関係を、スポーツ界から増やしていくために。

二回目となる今回は、一回目の「スポーツ界に必要な対話とはなにか」が終了後、参加者から出てきた声を元に、「互いの小さな声に耳を傾ける~学生時代の部活動編~」をテーマとして開催した。

なぜ、「お互いの小さな声に耳を傾ける」なのか。今回のテーマを設定するにあたって、企画段階から参加してくれたメンバーの声を紹介する。

企画背景
学生スポーツを行う環境は、特有の秩序があり、特有の”当たり前”があるなと感じています。その環境下で自分らしくプレーできる人もいるかもしれないし、そうでない人もいるかもしれない。

だからこそ、学生時代に感じている/感じていた、”些細”(←本当は些細ではないはず)な自分達の声を拾い上げて、その場にいる人がお互いのちいさな話に耳を傾ける場をつくってみたいなと思いました。

そして、聴いてくれる人がいて初めて言葉になる声もあるんじゃないかと。今回の場を通じて、自分でも気づけていなかった自分の声に耳を傾け、学生時代の自分の声をもう一度あらためて聴くことが大切だと考えたため、今回のテーマを設定しました。

当日は年齢も職業も経験競技も異なる7名が、それぞれの部活動で感じていた、実はちょっと嫌だった、実は苦しかった、実は結構頑張ってた、実はおかしいと思っていた...など当時感じていた小さな違和感から話が広がり、なぜ違和感が生まれるのか、本質を問い直す2時間となった。

参加者
社会人、現役アスリート、学生アスリート、学生マネージャーほか。
本レポートではそれぞれの発言をA〜Gで仮置きしています。

部活動の「伝統」ってどうやってできるんだろう?

【Aさん】社会では当たり前とさている規則や風潮が、部活動にも部則や伝統として持ち込まれていることがたくさんあるけれど、誰しもが最初からそれを「当たり前」だと感じているわけではないですよね。この「当たり前」ってどのようにできあがるのだろう…?
多様性が溢れている現代のはずなのに、変わるべきところが古い考えのところって結構多い気がしますし、「進化すべき伝統」と「残すべき伝統」の区別が必要なんじゃないかと思います。時代に合わせてどんどん変化させていかないと、スポーツ界ってどんどん遅れて行ってしまうと思います。でも、根本的なところってどうやって解決できるんだろう...。

【Fさん】確かに伝統って言葉に縛られて、その先にいくことを諦めさせられてしまうことってあるなって思いました。

【Dさん】私はいわゆる伝統校の出身ではないため、わからないところが多いのですが、そもそも伝統はどうやって刷り込まれていくと思いますか?

【Cさん】私は部活動に入った当初おかしいと思っていたことを他の部員と話していて、その時は3割くらいの子は同意していたのですが、久しぶりに会ったら自分がおかしいと思っていたことをみんながやっていた、ということがありました。やっぱり環境に長くいることで内面化する部分もあるんじゃないかと思います。

【Eさん】とてもよくわかります。私はその変わってしまった人側だったことがある気がしていて。1,2年生の頃は反発していたけれど、ずっと同じ環境にいた結果、こうやって振る舞えば組織の中で評価される、素晴らしいって言ってもらえる...そういう組織に評価される喜びみたいなものを感じてしまって、気がついたら自分も伝統を語る側になってしまっていたことがありました。今思うとその時の自分ってありのままの自分じゃなかったと思います。

【Dさん】やっぱり、立ち止まる瞬間や場ってあまりないんでしょうか?

【Aさん】それこそ笑い話で終わっちゃう気がしていて。この伝統ってどうなんだろうって深掘りをすることはあまり話さなかったな。

【Fさん】やっぱりおかしいと思ったことに問いを立て続けることってパワーが必要なことだと思うんです。諦めた方が楽な風潮になったら、それこそ言葉を聞いてもらえない状況になる。その状況が苦しいんだろうなって思いました。

・時間的要因/外的動機付→価値観の内面化(自分軸→組織軸へ)
・組織の中で評価されることに喜びを感じてしまう

マネージャーって女性がやったらいけないの?

【Bさん】私の友人が所属する部活動の話ですが、この間初めてマネージャーを女性が務めることになったみたいなんです。なんで今までいなかったんだろうと質問した時、さらっと一言「シンプルに体力がないからじゃない?女性が入ると、恋愛ごとになりやすいし。」と言われ、ステレオタイプのイメージで判断することや、
それをさらっと言えてしまうことの怖さを感じてしまいました。

【Aさん】女性だからこう、男性だからこう、というようなステレオタイプの価値判断が内面化されていて、それをもとにジャッジされたり、自分の行動を無意識に押し込めてしまうことが多いですよね。

ミスしたら罰走するのってなんでだろう?

【Bさん】自分たちの少し前の学年から、「罰したからって許されることではないし、物事の解決にならない。」という話が上がって、ミスをした際に罰するということがなくなりました。(例:ミスをしたら全員でダッシュ→確認)

【Cさん】ミスをしたら罰があるからやるというのは本質からずれていると思いますし、罰があるから隠そうとする行為が生まれたり、本質ではないところで頑張ったりして、本当に大切な、なぜ起こったかや次どうすればいいかなどの根本の部分が忘れ去られてしまう気がします。ただ、罰することがなくなって、それが当たり前になると意識が緩くなっていく側面もあって、どこで線引きするのかの難しさを感じています。

内発的動機付けの重要性

競技中も先輩には敬語を使わなきゃいけない?

【Bさん】今所属しているチームは練習前のおしゃべりの場にいろんな学年がいたりして、先輩後輩を感じさせないのですが、チームスポーツだとプレー中敬語を使わないことが多いから、それがプレー以外でも共有されているのかなと思います。

【Cさん】それっていいですね。一概には言えませんが、個人スポーツだからか、掛け声で先輩に対して敬語を使わないといけなかったり、先輩に勝ってしまった時の空気を気にしてしまったりと、プレー以外のことで競技に集中できないことが結構あります。

【Gさん】心の安全性だったり、リラックスしている状態だったり、お互い助け合う空気があった方が結果にもつながりそうだけれど...。

指導者のご飯は生徒が運ばないといけないの?

【Aさん】今思い返せば、「指導者のご飯を運ぶ」「指導者の椅子を運ぶ」ことが当たり前になっていました。その中でも部員の1人が指導者の付き人のような役割を担っていましたね。

【Eさん】部活動っていう上下関係の中だと許されているけれど、俯瞰して「大人と子供の関係」で見るとすごい怖いことだと思うし、今の部活動は子どもを大人にさせるための場所って意味合いが強すぎるんじゃないかな。子どもが子どものままで競技を楽しめる場所って感覚がまだないと思います。

【Bさん】部活動だから許されてることって結構あるなって思いました。同じユース年代でも、学校の部活動ではなく地域のクラブチームだったらマネジメントや組織づくりなどは大人が行って、子供は競技に集中できる環境があるけれど、部活動などは組織を作ってくれる大人がいなくて、自分たちで作っていかないといけない。本来、子どもが背負うべきでない負担を、子どもたちが背負いすぎている側面がある気がします。

photo by Miho Aoki

マイナースポーツは指導者がいなくても我慢しないといけないの?

【Cさん】自分の行っている競技がマイナースポーツだからか、そもそも体制が整っていないんですよね。競技人口が少ないのでカルチャーができるほど人がいないですし...。

【Aさん】自分の行っている競技は当たり前にできる環境が整っていて、そのことに本当に感謝しないといけないなって思いました。すごいやりたいのに指導とか体制が整ってなくて思いっきりやれないってフェアじゃないですよね

【Cさん】確かにこれはフェアじゃないのかもしれないですね。言われて気がつきました。しょうがないって思っていました。私はその場所で競技を続けなくてドロップアウトしていますが、耐えられない人はそこからいなくなって、耐えられる人たちでその場が存続していて...言っていただいてフェアじゃないって気がつきました。環境や体制が自分に合わないと思った時に、別の選択肢があるっていいなと思いました。

指導者が圧倒的な権力を持つ部活動ってどうなのだろう?

【Cさん】やっぱり現在の部活動では、常に指導者の方が圧倒的で、選手は評価される立場だと思います。監督、コーチの価値基準で選手が行動するって構造は大きいと思う。監督やコーチの価値基準でいい選手にならないと、そのチームでのいい選手にならないし、その価値基準を自分にも適応して内面化に拍車がかかっていく印象です。

【Fさん】結果を残した人は長く残ってしまうから指導者の価値観は変わらなくて、時代が変わっていようが成功理論として押し付けて行ってしまうことがまだあるんじゃないかな。

【Aさん】この間、海外のチームでプレーしたのですが、海外のコーチングって上下関係というより対等関係だなと思いました。自分がいたチームは17〜19歳くらいの選手が多くて、難しい年代だと思うけど、みんなに対等で、一人一人に挨拶に行って目を合わせてコンタクトしていて、人として尊敬されているんだと思いました。ちゃんと向き合っているから人として尊敬されているんだろうなって。

【Eさん】人としてどう振る舞うのがいいのかを大人側が見せなきゃだと思います。人との関係の築き方や、関係性の暖かさなど、自分がやってほしいことをまずは自分がやろうってことを海外の指導者はやっているなと思いました。

photo by Miho Aoki

練習を休むことって悪いことなの?

【Aさん】海外でプレーしていていいなと思ったことは、みんな休みたい時に休むし、休むことに罪悪感がないんです。それを責めることもないし、お互い様って雰囲気で、いい意味で自分基準で、それがプレーにも出るんですよね。

【Dさん】自分基準でいれるっていいですね。気になったのですが、どうやってバラバラな個人をまとめているのでしょうか?私は現在保育園で勤めているのですが、集団で行動していると、どうしてもまとめないといけない時があって。そういう時、自分だけしたいことをしている子に対して、「周りを見て」ということに少し違和感を感じているんです。なので、どうやってそれぞれがやりたいようにやりながら集団としてまとまっているのか気になりました。

【Aさん】バラバラの個人を合わせるのが戦術とか監督の指示なのかなって。ある程度決まり事があってそれを前提にその時々、各々の判断でのびのびやっているんです。やはりある程度ベースがないとどちらにしろ動けないと思うので。周りを気遣ったり周りを見て行動できるのは、良いことだし素敵なことですよね。でもそれが強すぎて人間関係の問題や、誰かが我慢してしまうことがあるのではと思います。

【Bさん】休みたい時に休めるっていいなと思いました。実は少し前に部活動のことで頑張りすぎて救急搬送されたのですが、ルールで休んではいけないと決まっているわけではないけれど、自分の中で休んだら負けって価値観や、休んでいない頑張っている自分が好きって価値観が内面化されていたんです。だから、休みたい時に休めてそれを周りも許している環境って生きやすいなって思いました。休むことに抵抗があったり罪悪感を感じてしまう人って多いと思います。

【Fさん】海外でプレーしていて肌で感じたのは、自分自身を大切にすることや、幸せになることをみんな理解しているということです。その上で休むことや、怪我をしてでもやるかなどが自分の選択の上でできる。自分を打ち消してでも誰かのためにやることが楽しいと思い込んだり、自分に合っていると考えがすり替わることが日本だと結構あるんじゃないでしょうか。

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(小さな声から問いを広げる)トピックを抽象化すると?
スポーツを通して幸せになれる環境はどうしたら実現できる?

今日の皆さんの話を聞きながら、本質ってどこだっけ?と問うてみたり、客観的にみんなの意見を聴いて自分の声を聴くことの大切さを感じました。

今回出てきた話はきっと共感する人がたくさんいると思います。今回は課題ベースの話でしたが、次はどうしたら変わっていくか?行動ベースの話もして、その先につなげていけたら面白いと思いました。

OPTが目指すNEXT STAGE

■ふりかえり

対話の場では、当時感じていた実は〇〇だった話や、他の人の話を聞いて浮かんだ疑問などが交差し、当時の自分の声をもう一度、立ち止まって聴いたり、本質に立ち止まる時間となった。
参加したメンバーは場を通してどのようなことを感じたのだろうか。企画してくれたメンバーの声を紹介する

 自分自身企画に携わっていながらも、当日参加する直前は、正直「自分の言葉は伝わるだろうか」「自分の体験を話したいと思えるだろうか」などの不安を感じていました。

しかし限られた時間での対話ではあったけれど、1時間以上言葉を重ねて少しずつ互いに近づけているのではないかという感覚がありました。競技が違ったり、オンラインだったりと制約はあり、すぐにわかりあえるわけではないけれど、それでも互いに耳を傾けて丁寧に少しずつ対話することができたのはとても有意義だったと思います。すべてが伝わったわけではないし、すべてを受け取れたわけでは到底ないけれど、対話の可能性を感じることができた時間だったと思います。

 さらに後半では、少しずつ重い口を開いて、苦い体験を共有することもできるようになっていきました。私も自分の競技の環境を言葉にした際に「あなたの置かれていた状況はフェアじゃない」と他の競技の方から言葉をかけられて、その時初めて、自分の置かれていた状況はフェアじゃないのかもしれないと思えるようになり
ました。初めて会った違う競技の選手との対話の中で、自分を肯定するきっかけをもらったように感じて、とても心強いひとときだったと思います。

企画してくれたメンバーの声

■まとめ

対話を通して聞こえてきた声から、組織中心の環境の中で自分の感じていたことが分からなくなくなったり、組織に合わせた判断基準になっていく現状が見えてきた。
時代の変化に伴って価値観も変わる。スポーツの意義も時代によって変わるかもしれない。けれど、スポーツがなくならないのは、スポーツを通して感じる楽しさや幸せが普遍的にあるからではないだろうか。
どうしたらスポーツを通して幸せになれるか?そのための方法は時代によっても変わるだろう。今は特に転換期なのかもしれない。
しょうがない。と無意識に諦め内側に留めていた小さな声にこそ、次のステージへのヒントがあるのでは。
本質的なところを一度立ち止まってみんなで考えたり、その中で浮かんでくる自らの声を聴く時間や機会が必要なのかもしれない。
小さな声から問いを広げ、振り返ったり、整理したり、次の行動を考える場をこれからも耕してゆきたい。

編集: Kanami Oka



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