スポーツ界に必要な対話とはなにか
女性アスリートたちの声を社会に接続するクラブチームOPT UNITED。スポーツ界の「普通はこうあるべき」への違和感を抱き、より良い未来を見据えるアスリートが競技を超えて集まっている。
そんなOPT UNITEDでは定期的に、スポーツ界の「普通はこうあるべき」について、競技の壁を超えてアスリートが対話する場所「OPT CLUB HOUSE」を開催している。今回は、そんなOPT CLUB HOUSEの記念すべき第一回の様子を、レポート形式でご紹介していく。
スポーツ界には、なぜ対話の場が必要なのか
第一回目のOPT CLUB HOUSEのテーマ設定をしてくれたのは、OPT UNITEDアスリートである村上愛梨選手(ラグビー選手 / 横河武蔵野アルテミ・スターズ)だ。会の最初に、村上選手が、テーマ設定の背景について話をしてくれた。
スポーツ界は自分と似たようなカテゴリーの人が集まるコミュニティ
ー競技ごとのアスリートが自分の周りの環境をどのように捉えているのだろうか
(青木)心理的安全性は、所属するチームによって変わる場合があると思います。人それぞれのライフスタイルや競技との向き合い方によって、プレーする環境を選択することができないというのが日本の女子ラグビー界の現状なので、人によっては居心地の悪さを感じる場合もあります。前提として、選手たちは、社会人もいれば、大学生も混在しています。プレー環境は高いレベルが求められ、トップレベルの選手しかプレーができない環境です。所属するチームの方針によって、選手たちの心理的安全性が守られている場合とそうでない場合に分かれていると感じます。
(下山田)自分は友達も少ないし、どちらかというと"陰キャ"の部類に入ると思うのですが。そうなると、体育会特有のいじり文化だったり、テンポの掛け合いでやり過ごすコミュニケーションが合わなくてしんどいなと感じることが多くて。それと同時にその特有のコミュニケーションができる人じゃないと、スポーツ界では生きていけないような空気も感じてきました。自分のチームの中では、自分が望むような深い会話ができないのではないかと思っていた時期もありましたし、なんなら今もそう思っている節があります。
(石塚)競技人口は減っていくスポーツ界の中で、自分と似たようなカテゴリーの人たちで構築されているコミュニティに属しますよね。例えば陸上では、LGBTQに関してのカミングアウトした方は、サッカーやラグビーなどの方が多いなという印象です。競技歴が長くなればなるほど、「自分の周りにはLGBTQ当事者はいない」と言えてしまう環境になってしまいます。自分の目に見えてないもののことを「存在していない」と感じてしまうコミュニティは結構危険だなと思っていて、色んなバックボーンを持つ人たちと関わり、そこに存在しているということを目にする機会って実は貴重だし、意図的につくって行く必要があるなと感じています。自分も自覚しないと危険だなと思うことがあったからこそ、そう思うようになりました。
(青木)自分をさらけ出している人が周りにいるから自分もさらけ出せるなと思います。私自身もじんさん(村上選手のチームでの愛称)や元ヘッドコーチの存在はかなり大きいですし、本当にしがらみ関係なく話せていたなと。元ヘッドコーチはオーストラリア人で、ラグビーを通じて他国の人と交流することや、他国で住むという経験を持っていたからこそ、文化に囚われない多様な考え方を持つ人でした。そういった価値観を持つ人と長く接することで、自分自身も影響を受け同じような価値観を持ったと思います。
「アスリートはこうあるべき」という概念
ー環境に存在する「普通はこうあるべき」について。それぞれの視点から。
(石塚)「結果が出てないと発言しにくい」という風潮があると思います。所属するチームによってですが、陸上ではミーティングの機会は少ないです。社会人になってから他の選手と対話したという経験はあまりなく、同じ種目の人と練習する機会も学生の頃に比べたら減りました。なので、同じ種目の人たちが何を考え、どう競技と向き合い、どんな練習をしているのかも分からないです。こういったコミュニケーションの壁がある理由のひとつに「結果が出てないと発言しにくい」という風潮があるなと。競技をしている人それぞれにストーリーがあって、いい結果や優れたストーリーが表にはでているのに違和感があったし、すごく嫌でした。苦労した話や大変だったこと、結果が出ていない時期をどう過ごしているのかという話の方が、人のためにもなると考え、私はSNSでシェアしていました。ただ、自分を守るために話す時もあれば、守るために話さないこともありますね。
(青木)長くスポーツに携わっていて、社会がアスリートに対して向ける目って「こうあるべき」という思考がかなり強いなと感じます。例えば会社に雇用されて「アスリートは元気がある」「ハキハキしている」「体育会は営業職」など、人格や人間性、職業まで決められていると思います。こうした世間が抱く固定概念に苦しんでいるアスリートは多くいるんじゃないかなって。
(石塚)アスリートが取材を受けていると、負けた時も勝ったときも応援してくれた人に感謝の気持ちを発言しますが、それ以外の発言をあまり聞かないですよね。アスリートでもいろいろな人がいるはずなのに。でも発言しにくい空気感があるんですよね。つまり、感情や行動の制限がアスリートにはあると考えます。厳しい練習を実施するのは当たり前で、「人間性が優れている=結果」が出るという考えが浸透しているからこそ、それ以外の行動に対して反発や議論が起こるのかなと思います。なのに「やりたいことをやっている」と周りから思われているから、そのギャップが生きづらさを生んでいるのではないかなと。
(A)すべての自己表現が制限されていると感じる部分もあるし、制限されているとも気が付かない場合もありますよね。自分がしているスポーツは競技人口が少ないから、狭いコミュニティの中でコミュニケーションが完結していると感じます。どんな発信をしたらいいのか、目的や対象者が見つからないから、言葉を選べず、他競技と比べて多様性があるとは言えないなと気が付きました。
(石塚)チームがつくっているYouTubeチャンネルで発言した時に、「結果が出てないのだったら別に実業団でなくていいだろ」というアンチコメントをもらった時にそれについてすごく考えていて。結果が出ていないアスリート、それは自分が一番わかっているのですけど、じゃあ「結果が出ていなくてすみません」とか、他の選手と同じように沈没する・SNSに浮上しないと攻撃されないことはわかっているのですけど、それってなんかおかしくない?って思っていて。
母親になることを望んでいない人の生きづらさも、さっき話したアスリートの生きづらさの構造に似ていて。選択できない状況になっているのですけど、女性にとっては。女性はみな子を持つことを望んでいるみたいな。なりたくてなっているのでしょ?みたいな。産まれてからしんどい思いをしているとか、産まなくて後悔しているとか。産んでから後悔していると例え口に出そうとするもんなら母親として失格だとか、女性としておかしいとか。あなたが産みたいから産んだのでしょって言われてしまう。実はそうではないのに、制限された感情表現を周囲から求められているっていう意味では生きづらさの構造は似ている。その人たちを強気にさせるような事実っぽいものは、自分はやだなって思っています。
(村上)その事実をだれのせいにもしたくないのだけど、結構ラグビー界だと、協会の上の人たちがその事実を押し付けてきていて。それが選抜にも影響しているのだよね。それがわかっていて、一番上の監督の好き嫌いによって言葉を選ぶ選手がやっぱり多い。だからなんか、それが押し付けているように思いますね。
(石塚)チームに投資をしようと企業がなった時に、こういう選手を輩出しようという目標がないと、向上とか成長は生まれないから。やっぱりアスリートは結果を出すために頑張っているのだっていうものがなくなっちゃうと、そこに価値が生まれにくくなるというものもあるから。だから自分は結果が全てじゃないと思うけど、結果が全てと思っていないと結果って出ないと自分は思うし。事実っぽいものを100%批判したいと思っていないからこそ、小さめの声は無言になっていくみたいなことが起こっているのだと思います。
(岡)私はスポーツをみながら前向きで謙虚でいつも明るくてっていうようなイメージがあったのですが、「結果が全て」という側面で色々なことに制限があることを知って驚きました。スポーツには、純粋に人の体力や機能やコミュニケーションの限界を超えていくイメージがあるし、それはありのままでいられることが大事だと思うけど、事実、ありのままでいれないのはなんでだろうって感じますね。
わたしたちに必要な”対話"の場所とは
ー各アスリートが思い描く、自分たちに必要な対話の場所とは
(A)怒りをその人にぶつけたり喧嘩をするのは違うけれど、自分の中で怒りとして湧いてきたものは否定しなくていいなと最近思うようになって。以前、私が経験したことに対して「私は怒ってもいいと思うよ」って人から言われたとき、「あの発言はよくなかったから怒ってもいいな」って自分で思えるようになった経験があったんです。その経験から、ロッカールームみたいな場所が大切だと思っていて。傷つく発言をされた相手にその場では言えなくても「あれって違和感だったよね」「おかしいと思う」「怒ってもいいと思う」っていってもらえる場所があるかどうか。自分に言葉をかけてもらう、もしくは、言葉をかけることって、自分の気持ちをなかったことにしないためにも、相手がすぐ変わらない状況のときに必要不可欠だと思います。
(村上) (心も)全裸になれる場所って大切だよね。
(内山)ロッカールームだけにね。スポーツで起きている生きづらさって、他の世界とも同じことが多いと思う。だからこそ、スポーツが変わっていくことで、別の世界も変えていけるチャンスだなって。ロッカールームのように話す場所を、スポーツ界でもっと増やしていきたいですよね。
(青木)ロッカールームって、作戦を練る場所だし、ユニフォームを脱ぐ場所であり着る場所だし、戦いにいくスタートの場だし、お互いがどう思っているかも話す場所。負けても次につながったり、何かのアクションにつながる場所だなと思っています。OPT CLUB HOUSEは、参加者のアスリートはやっているスポーツはみんな違うけど、スポーツ界の「普通はこうあるべき」をなくすためにみんなで作戦会議をしているような感じ。そうやって、同じ目標があることで話せる気がする。
(村上)自分は、チームで心を曝け出すってことをしたい人だから、ちょけるしふざける(本当はふざけていないのだけど)。OPT CLUB HOUSEも取り繕うこともない感じがする。内山と下山田とその仲間たちの空気感っていうチームみたいな。
(石塚)自分なんかが話していいのかなって思っている人がいたら、こちらから投下すること。言葉を投下して、体験を共有していく。同じ話でもいいと思うのですよ。繰り返してメッセージを伝えることで、自分もこの話をしたかったって起爆剤になると思う。(OPTファウンダーの)下山田さんと内山さんが発言することを恐れていないということが、OPT CLUB HOUSEでの対話を呼び起こしている。
(るるか)私ってもともと感情を出すの苦手で、投下してくれる場にいく方が居心地がいいのですね。それがまさにOPTだったっていう。OPTと会ってからもう一人の素直な自分が出てきた感じ。この実体験を言語化できたら(OPTファウンダーの)2人のヒントにもなると思うんですけど。
あとは普段の仕事でもチームとして捉えて進めた方が居心地がいいなっていう発見もあって。そう考えるとここでの気づきって社会につながるな〜と思っていて、特に社会ってコミュニティを見つけるのが難しくて、自分の言葉を出せる場所がない人も多いかもしれない。逆にスポーツはコミュニティになりやすいから特権だと思っています。この場の気づきはここで留めずに社会にもつなげていきたい。
(B)自分のチームのみんなに「最近、悩んでいることない?」って匿名のアンケートを流したら、髪を刈り上げたら女子トイレに入りにくくなったという回答があって。今まで刈り上げてこなかったから、急にメンズライクになるとトイレでみられる目が変わったって。自分の所属しているサッカー部は深い対話ができる場だと思っていたけど、セクシュアリティにちょっと関わる分野だと言えなくて。サッカーの話だと自分の意見をばんばん言える子も、自分のことになると言えない子が多い。そんな選手も、対話の場をつくっていけたらなって思いました。
(下山田) 話し方を知らないのかもしれないからこそ、なんでも話せる場所が1つあると変わるかもしれないよね。
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スポーツ界において、自分たちが置かれている環境に対して本気で心から対話できる場所がないよね。そんな会話から生まれた第一回のOPT CLUB HOUSE。
今回は、スポーツ界の現状について思うことや、対話ができる場所がなぜないのかについて、競技を超えて思い思いに話しあう時間となった。これまで表には出てこなかった(出てこないようにされていたのかもしれない)声や、価値があるものとされず聞かれてこなかった小さな声を、OPT CLUB HOUSEを通して可視化し接続していくこと。
その声が、スポーツ界に「普通はこうあるべき」を変えていくきっかけになると同時に、業界を超えた「普通はこうあるべき」への気づきに繋がるように。