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アナログ万歳!デジタル万歳!


遅すぎることなんてホントは
一つもありはしないのだ
何するにせよ 思った時が
きっとふさわしい時

ブルーハーツの"泣かないで恋人よ"の歌詞です。

この更新も今、思ったから書いとるのです。

さて、

前回の初投稿でもチラッと触れましたが、

2019年の12月、大阪での作品展を終えた時点で、

4〜5年ほどほぼ毎日何かしら創り続けていたのもあり、頭を少し落ち着かせて自分の中の新たなイメージを発見し、一皮剥かせたいと考えてたらコロナショックになったと。

2021年10月の現在は爆発的だった第5波が沈静化し始めてる!?状況であります。

2020年の頭から俄かに気にしていた60年代から更に遡って1900年代はじめまで、自分なりにアートの歴史を紐解くことにしました。

ここで言ってる歴史ってのは、いわゆる西洋アートの歴史です。

随分前に主要な出来事や人物をまとめた年表 (西洋と日本両方とも照らし合わせたやつ) は手書きで制作していたので、それを見ながら細かく一つ一つ確認しました。

何でそこまでしなきゃならないのか?

これはやはり自身の創作がこのままだと限界が近いと感じたからです。

70年代のパンク、このシーンが生み出した音楽、人、デザイン、ファッションのイメージが強烈過ぎて、

パンクが最高、何でもかんでもパンクに味付けしてやるって進んできました。

が、

何か物足りなくなってきた。

ずっとパンク的なモノに依存してるのはどうなの?と。

そして、そもそもオリジナルパンクと言われる人達は何の影響を受けてパンクに辿り着いたのか?

ってのが始まり。

そこからは実に早かった。

検索の鬼です。

この便利な検索エンジンを使いこなすのもセンスですからね。

まず色々な言葉を知ってなきゃ、思い出せなきゃ全く拡がりません。それと底なしの好奇心。

大事なのは記憶力。それはある方なんでね、拡がる世界観が楽しい日々でした。

知らない事を知って、アレとコレが時空を超えて繋がっていく感覚に夢中になる。

そこに浮かぶイメージ群は既にパンクなんていう一つのジャンルなんてとっくに超越してたワケです。

西洋アートの歴史、それに付随した出来事や人物や思想や活動や運動、それに影響を受けた日本の芸術家、更に今に繋がる現代アートに至るまで、精査とはいかずとも大体の流れは理解出来たと思ってます。

気になる項目や、そこから浮かぶイメージ群は全て紙に手書きしながら、枚数はアレヨアレヨと増えていきました。

インプットとアウトプットが同時に行われていました。

紙に書くことによって、バラっと床に拡げても一目でアレやコレを享受出来る。

最終的にキャンバスなどにモノとして現すからこのやり方が合ってるんです、と思いたい。

が、しかし!

最近はこれ自体に古さを感じ始めてるのも事実…

コロナ禍になって、デジタル化の波が大波津波で来やがってます。

そもそも自分は、小学1年生の頃に初代ファミコン(ABボタンが四角の)を友達の家で初めて触ったあの日から、ゲームは苦手。

とりあえず買って、やるけど上手くないからすぐ壁にぶつかって辞める。

100%デジタル音痴。
だから初めて携帯電話持ったのも遅かった。
パソコン持ったのも遅かった。
スマホも遅かった。

いやはや、そんなもんに頼らずともハサミとカッターと糊、スプレー、ペンキがありゃカッコイイもん創れるんじゃい!近所のホームセンターで道具は全部揃えれるんじゃい!

と、頑固なアナログ野郎は見事に時代の波に飲まれながらも気付かないという恥ずかしい状態に。

2020年、いつものように、とあるイメージをコピーして、それを何度も何度も納得いく大きさになるまで拡大縮小をひたすら勘に任せてプリントアウトし、ダメだったら捨てるという全てにおいて無駄を解き放っていました。

コストも労力も大出血サービス。

紙を透かして見たい時は裸電球に紙を重ねてずらして見るというアナログ馬鹿な2020年。

裸電球辛いなと、拡大縮小コピー連打辛いなと、

そこで自分はまたホームセンターへ。

まだデジタル化に踏み出す考えが1mmも無い阿保。

なぜなら幼少期から刷り込まれたデジタル苦手意識が根深いから。

辿り着いたホームセンターにて、木材、白スプレー、乳白色のプラ板、蛍光灯、電源コードを買いまして、木箱の中に蛍光灯仕込んでプラ板で蓋して組み立てました。

これでようやく裸電球に透かして見なくて済みます。

拡大縮小コピーを繰り返さずに寸法測って1発でプリントアウト出来る!

って、つい去年の話です。

そんな状況を横目で見てる妻さま。

実はこの人、イラストレーターやフォトショップ使えるんですよ。

だから半分呆れとったのです。

何で教えてくれないかというと、デジタル音痴過ぎてすぐサジ投げがちで怒るから放置されとったのです。

そんな中、ちょくちょくフライヤーなどのデザインの依頼も来るし、Tシャツデザインの依頼も来るしで、それをコツコツとアナログ作業でやれないことはないけど、効率が悪過ぎるとはずっと思ってました。

んで追い討ちは、デザインをデータで下さいっての。

今までは何とかスキャンして、それを送って妻さまにイラストレーターやフォトショップのデータにして頂いておりました。

これじゃいかん!

流石に折れまして、とりあえず自分がやりたいことというのは、デジタル仕事してる人からしたらとんでもなく初歩的なチンカスな技術や処理ですんでね。

それさえ出来ればOKだったんで、今は自分がやりたいレベルは何とか、、、忘れやすいんでちょっと聞きながらとかなら出来る感じにはなったかな?!

たぶんまだデジタル処理能力は最底辺でしょう。

現代アートとは、やはり現代、つまり今の世相を暗に反映してるはずだし、

モノが無くても、デジタルのみの実体が無くともアートとして成り立つ時が来る?来てる?!でしょう。

音楽がソフト要らずのデータのみで成り立ってるのと同様に。

まだアート界はどうやら実体展示主義らしく、遅れてるようです。

ただ、人間としての存在や機能は変わらないから、そこはモノとして実体が残るものの方が強いとは個人的に思いますがね。

目で見てる素晴らしい景色を写真に撮っても、その感動が上手く写らないのと同じかなと。

パソコンだろうがタブレットだろうがスマホだろうが、あの画面、あの四角いフレームがクセもんやで。

バサっと様々なモノを拡げられないし、だからモノたちを一気に認識しにくい、だから記憶に残りにくい。

スクロールだと難しい。

でもデジタルネイティブ世代は何とも思ってないのかな?

そうなると脳の機能がもう別物だろうし。

VRなんてあるしね。
あんなゴツいのじゃなく、もっとお洒落メガネなレベルにまでなって、現実もバーチャルも意識レベルで瞬間移動するんだろうね。

例えば今掛けてるメガネとかにさ、

ボタン一つで、否、思っただけで景色がデジタル変換されて裸眼で見てるのと同じ大きさや認識が出来る感じで壁に貼ったメモ書きの紙群を見れるようになったら、もうマジでアナログ終わりやろな。

A Iが解析して、死んだ画家や漫画家の新作描く時代は来てるし、まだまだ四角いボタンのファミコン押してた自分らには想像すら出来ないレベルにまで発展するでしょう。

人類の進歩と調和って1970年の大阪万博のテーマがあってさ、

でも太陽の塔作った岡本太郎は人類に進歩も調和も無い!否定と矛盾だけだ!そしてそれらに挑戦することこそが人類のあるべき姿だと提示する為にベラボーな太陽の塔を建てた。

そしてあのベラボーな実体は今なおずっと建ち続けてる。

これから時代は進み、実体の無い世界が当たり前と捉える人間が多数を占めた時、

自分は生きてないかもしれませんが、死んで肉体という実体が無くても、デジタルの世界で意識も思考も残り、永遠に生き続けることも出来るなんてことも当たり前になるやもしれない。

今の時代の流れや風潮を否定するのは簡単、自分の中にある矛盾にモヤモヤして否定するだけでは只のヒネくれもん。

否定や矛盾の対象たち、それらを受け止めて取り込んで、飲まれながらも戦いながら進んでいかなきゃ創造の入り口にすら立てないのではないですかね。

遅すぎることなんてホントは
一つもありはしないのだ
何するにせよ 思った時が
きっとふさわしい時


まだまだしぶとくしがみついてやる。

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