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最後の1行が超大事。『俺が読む意味』

 ここで僕は、知識、論理、哲学、その他諸々の情報を取り入れるにあたって、自分の守るべき位置と、それらを取り入れる理由や意味を明確にしておきたい。他の人の言葉で、自分を見失うのだけはごめんだし。

 まずもって、僕は理屈、社会、その他諸々、外部から後天的に得るものに特に意味はないと言い切る。ここで勘違いしてほしくないのは、理性だけに意味がないと言っているわけではなく、先天的に得た感性にも意味がないのだ。ただ、僕が言いたいのは、「今の社会が理性に対して期待している相応の価値」なんていうのは、「今の社会が全く期待していない感性の価値」と同じくらいにないのだということである。意味を与えるのはいつも人間の後工程。意味なんてなくても地球は回ってたし、宇宙も存在したのだから。

 ただ、僕が生きている間はそうも言っていられない。僕はまだ読んだことないが、どうやら哲学界の大御所さんが「神は死んだ」というように、神の死んだ世界の中で活力的に生きるには、死んだ神の代わりとしての意味が必要なのである。言わば、「生き甲斐」だろうか。

 僕は自分の深い「悲しみ」によって死の縁を歩いていたわけだけど、そこにたまに訪れる些細な「嬉しみ」は、黒板に打った白い点のように、ただ眩く映えた。そのコントラストから感じた「美」だったり、周りのみんなの「愛」で、死の縁を乗り越えた僕は、全ての絶望や希望を感性から得てきたことに再認識した。感性から得る幸福感こそが神の代わりなのだと、生きる意味なのだと。そこからはもう、「理屈なんかじゃ人間どうにもならんのな」って、そんな感じ。

 さて、そんな感性第一主義の僕と喧嘩をすることになるのは、いつもきまって理性である。ラスボスだ。ほーんとにこいつは鬱陶しくてはっ倒したくなる。1話で倒せるなら倒してやる。

 …でも喧嘩と言うんだから、人生のラスボスと言うんだから、漫画みたいに見応えのある、バチバチに効くカッコいい攻撃をかましてやりたいじゃないか。

 だから僕は、敵の内面を知る。敵の能力を知る。敵の強みを知る。敵の弱点を知る。そして詰めの甘いひとつひとつに、人生という漫画でトップレベルに映えるパンチを、何発も何発も打ってやる。

 理性という敵を知るために、僕は情報に相槌を打ち、腑に落とし、飲み込む。全ては上記のためだということを、ここに留めておく。まさかないとは思うが、理性に飲まれるようなことはないように。そう、ニュースも本も勉強も手段でしかない。ここまで来れたことに他人の干渉は関係がなかったわけではないが、今の生き生きとした僕が大事にしているバイブルは、紛れもなく「俺」でしかない。

 そして最後に。絶対に忘れないでくれ。もし、理性に対抗するに足る程に知識をつけたのなら、それまでの本は全て燃やすのだ。それまでの全てを忘れるのだ。それで、俺が勝ったことだけを覚えていればいい。感性にだけ満ち満ちていればいい。

 覚えてきた全てを燃やすのだ。

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