楽しく仕事を効率化してたら思ったこと
みなさんは仕事の効率化してますか?
例えばエクセルの管理表があって、毎回同じような処理をするとします。そもそもエクセルなんて時代遅れやろ。という意見すらありそうですが、、、まあ、そういう定型作業があったとしたら、早く終わらせるためにエクセル関数やショートカットを勉強したり、もっと勉強してマクロ作ったりする人もいると思います。
仕事の効率化は、楽しい(個人的見解)
私はこの効率化する過程が好きです。
まず、調べて学んだことをその場で活かせる体験がお手軽にできるという楽しさがあります。効率化のために調べ出した機能とかをお試しで使ってみます。楽しい。人間は素早いフィードバックに快感を覚えるからだと思います。
当初の目的の作業時間も短縮できるので、仕事上での成果のアピールに使えることもあります。
ということで良い側面をとりあえず書いてみました。
効率化という名の地獄
一方で、最近仕事をしていて思うところがあります。効率化の裏にはおおきな影があることに気付きました。
大きな仕事であればあるほど、そして繰り返し行うことであるほど、効率化のターゲットとなります。それだけ効率化した時に時間(工数)の削減効果が得られますので。
また、こう言った仕事は、リスクを抑えるために、あるいは外注化するために、非属人化するために、仕組み化されます。ある程度のパターンとして標準化され、マニュアルが作られ、それを知らない人でも、いつでもできることを目指して手順に落とし込まれます。
大抵の大企業はこういった効率化、標準化によって完成されています。これは素晴らしいことです。企業にとっては、その仕組み自体が少ないリソースで価値を生み出す資産となります。
ただ、これは仕組みの中の人にとっては、工夫の余地が少ない、誰にでもできる作業ということではないでしょうか?特に効率化のため、機械やプログラムで自動化がなされていきます。出来の良い仕組みほど、自動化できない(あるいは自動化のコストに見合わない)作業を人間がやるようになっていきます。これは非人道的な雰囲気すらすることがあります。
こう言った完成された仕組みの中で働くのは一定の辛さがあります。
本当に極端な例を挙げます。
https://m.newspicks.com/news/4174768/body/
AI(というかディープラーニング)によって画像から動物を区別したり、病気を見分けたりできるようになりました。
これはとてもすごく素晴らしく便利なことですが、AIは魔法の知性ではなく、画像を判定するためには学習(事前に訓練用のデータを大量に読み込む)が必要です。記事では、学習データの答えをひたすら労働者が与え続けるだけの仕事をひたすら労働者がこなす、という事例が紹介されています。(例えば画像を見て、犬!や猫!みたいなものを仕分けしている)
機械に出来ない一見しんどい作業をひたすら人間がやっているということです。
これは極端な例ですが、外から見たら効率的でスマートなシステムでも中にいる人にとっては過酷な環境である、というのはよくある話なのかもしれません。
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