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【S09:STORY】日常を歌うシンガーソングライター・尾上明範

ギター弾き語りシンガーソングライター、尾上明範(おのえ・あきのり)。東京を拠点に、栃木・千葉・埼玉・愛知・福井・島根など、日本全国のライブハウスや飲食店で歌っている彼の活動遍歴を聞いた。

「求められたら歌いに行く」スタイルが確立するまで

島根県出身の尾上は、父親がギタリストだったこともあり、音楽を身近に感じながら育った。自身がギターと歌を始めたのは2000年ごろ。高校へ入学したことがきっかけだった。

憧れはエリック・クラプトン。当時流行っていたJ-POPも好んで聴いていた。しかし、人前で演奏することは無かったという。

卒業後、ミュージシャンを目指して上京したものの「どうやって活動していけばいいのか、ライブハウスへの出演の仕方も分かっていませんでした」。試行錯誤しながら、何故かシャンソンやカンツォーネを歌っていた。

上京から約一年後、インターネット検索を通じて、渋谷の老舗ライブハウス・アピアのオーディションライブを発見。それからは渋谷近郊のライブハウスへ毎月のように出演し、ギターを弾き語るようになった。

07年ごろ、たまたま客で来ていた青年と意気投合。終演後にふたりで原宿へ向かい、路上ライブを行った縁で、『コトノ葉』というユニットを結成した。約10か月間の活動は、尾上にとって思い出深いものとなっている。

「彼はコブクロが好きだったので、よく一緒にやりましたね。でも『路上から成りあがりたい』と思っていた彼に大して、僕は『ライブハウスやカフェで演奏していきたい』という思いが強くなって。他にも色々あって、別の道を行くことになりました」。

ソロ活動に力を入れはじめた08年、アメーバブログの執筆を開始。当時の日記からは、四谷天窓.confort秋葉原秋田犬など山の手線沿線のライブハウスへ定期的に出演したり、ネット投票型のオーディションに参加したり、精力的に活動していた様子がうかがえる。

ライブの反省や、新曲の制作状況、ライブハウスでの新たな出逢い、バイトや日々の生活のなかで気づいたことなどが赤裸々に綴られたブログの様子が変わるのは、13年ごろ。投稿ペースが落ち着き、何気ない日常の雑記が減った代わりに、年末年始に『一年間の総括』や『来年への抱負』を語るといった「アーティストらしい」記事が増える。

これは意識的な変化だろうか。筆者が問いかけたところ、尾上は静かに頷いた。「そのころ、はじめて『ライバル』と呼べる人間ができたんですよ。出逢った瞬間に『こいつ天才だな』と思って。普通に友達だし、飲み仲間だし、でも『こいつには負けたくない』って相手でした。それまでは、なんとなく楽しく音楽をやっていたんですが、明確に目指すところができたんです」。そのアーティストこそ、工藤直也だ。

彼らは、秋葉原秋田犬にて自主企画イベント『マルチアングル』を定期開催。尾上、工藤をはじめとしたシンガーソングライター4人が集まり、毎回、一つのテーマに沿って曲を作った。約4年間に渡って16回ものイベントを開催した経験は、彼の音楽に大きな影響を及ぼした。

「あのころは尖ってましたね。『ぜってぇ誰にも負けねぇぞ』『全員ぶっつぶしてやる』なんて言っていました」と尾上は微笑む。

だが年齢を重ねて、現在はすっかり丸くなっている。「年を取ることはそんなに悪いことじゃないです。これからも、いい年の取り方をしたいです」。ますます円熟味をまして、カッコ良いおじさんになりたいと言う。

今の彼が語るところによると「表現者は発信するだけになりがちですけど、聴衆の気持ちを受け入れるというか、汲み取ることも大事だと思います。最近は『人情の大切さ』が身に沁みています」。

18年には、合計111本のライブへ出演。19年はその数を超える予定だ。

「求められればどこへでも演奏しに行く。行った先でまた新しい縁が繋がる。そんなことを繰り返しています。今年は特に、カフェや居酒屋での演奏が増えましたね」。

18年1月、栃木への遠征レポートとして書かれた彼のブログに、こんな言葉がある。「例えば自分の中にプライドがあるならば、こうして自分を求めて下さる方々の存在がそういった物を僕の中に形成してくれると強く感じるのです」。

ミュージシャンを夢見て、何も分からないまま上京した青年は、10年以上の活動を通して「自己完結のプライドはただのエゴだ」という境地に辿り着き、日本各地で演奏を求められるアーティストになったのである。

一期一会を大切に、安らぎの歌を届ける

尾上が頻繁に秋田犬へ出演していたころ、足繁く通ってくれる常連客がいた。彼は後に栃木へ移住し、那須高原でカフェの経営を始めると、「うちの店で歌ってよ」と尾上を呼んだ。それは初の栃木遠征となった。

そのカフェで尾上の演奏を聴いた客のなかに、たまたま、足利市でケーキ屋を経営する人物がいた。終演後、「うちの店でも演奏してよ」と声をかけられ、再度の栃木遠征が決定した。

そのケーキ屋でのライブに、偶然、お好み焼き店『いろり』の経営者が来ていた。彼は尾上を気に入り、「うちでも歌ってよ」と誘ってくれた。今では二ヶ月に一度、『いろり』で演奏することは、尾上の定期的なスケジュールに組み込まれている。

まるで物語のようなエピソードだが、一期一会のライブでお客さんの心を掴んできたからこその出逢いであり、チャンスといえるだろう。

「もちろん、まったく掴めない日もありますけどね」と尾上は笑う。「表現者って、どうしても自分の内面へこもりがちです。でも、こっちがオープンマインドでいれば、声をかけてくれる人は多いんですよね」。

様々な場所で歌っている彼だが、ライブハウスと飲食店では、ライブの作り方が全く違うという。

「ライブハウスでは、照明の色や光の加減で演出をしてもらえます。自然と世界観を表現できるので、好き勝手やっていますね。一曲『これを聴かせたい』と軸を決めて、メリハリをつけたセットリストを構築しています」。

一方、飲食店には照明がなく、お客さんとの距離も近い。

「僕のことを知らない人が大半なので、歌う前からの雰囲気作りが重要だと思っています。こっちからチラシを配りに行ったり、挨拶したり。予め存在を知っておいてもらうことで、より歌が伝わるような気がします。精神的な距離を詰めるというか」。

現在は音楽活動のみで生計を立てている尾上。ライブ出演を中心に、練習や曲作り、アーティスト仲間を通じて知り合った劇団への楽曲提供など、忙しい日々を送っている。活動は全てセルフプロデュースだ。

「こういうスタイルでやっていけるようになったのは、2、3年前からです。本当にありがたいことです」。

彼は自身の活動遍歴を振り返り、「確固たる意志に基づいて、ここまで来たような感じはしないんです。流れ流され、巡り合わせでやってきました」と言う。

今後の目標を聞くと、「やっぱり、アーティストたるもの、ワンマンライブをしてこそあるべき姿だなぁと思うので、それを軸にしていきたいですね」と意気込む。

「僕はまだ売れてない、世に出てない歌い手だけど、そこで卑屈になりたくはありません。活動への姿勢は、自分が理想とするところへ近づけていきたいです」。

20年1月25日には、幡ヶ谷36°5にてワンマンライブを控えている。タイトルの『Dot to dot』は、『点と点を繋ぎたい』というコンセプトそのままに名付けた。「来てくれた一人一人に、何かしらが繋がるようなライブにしたいですね」。

自分が表現したいものを表現できていること。音楽で食べていけていること。そういった意味で、満たされてはいると尾上は言う。

「でもやっぱり、憧れの人たちみたいになりたい。日本武道館で弾き語りワンマンをやりたいというのは、ずっと掲げている夢の一つです。もし有名になれても、きっと僕の普段の生活は変わらないし、やりたいこともあまり変わらない。それでも、大きなところで演奏したいし、色んな人に自分の歌を届けたいですね」。

彼が聴衆に伝えたい想いとは何なのだろうか。尾上は慎重に言葉を選びながら「『穏やかな時間、安心した時間を過ごしてもらいたい』という気持ちが強いです」。

小学生のころに転校を経験し、強い悲しみを覚えた尾上は、『出逢いと別れ』に着眼した曲を多く作っている。「二度と逢えなくなっても、歌にすれば、思い出を残せる」。そんな考えが、彼のアーティスト性の原点にある。

人生に疲れた人、時間を忘れて音楽を楽しみたい人に自分の歌を聴いてほしいと言う尾上。「どの日に来てもらっても満足してもらえるよう心がけています。お好きなタイミングで聴きに来てください」。

なんといっても彼は、三日に一度はライブをしている。あなたの生活圏の近くに彼が来た日には、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

text:Momiji

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