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【SSW25:STORY】正直に、丁寧に、あるがままを奏でる・岩坂遼

関東を中心に活動しているシンガーソングライター・岩坂遼(いわさか・りょう)。高校3年生からオリジナル曲を作り始めた彼は、精力的にライブハウスへ出演し表現を磨いてきた。ワンマンライブを行い、アルバムをリリースし、所属していた音楽事務所を離れ、改めて「自分らしさ」と向き合う彼の現在地とは。

表現欲求のままに

埼玉県出身の岩坂遼は、音楽に親しみながら育った。

「母が音楽好きで、よくピアノを弾いていたんです。僕も影響されて、幼稚園から中学1年生まで、クラシックピアノを習っていました」。

もっとも、子どものころは、それほど音楽に興味をもっていなかった。

当時の夢は、漫画家になることだった。

「特に浦沢直樹さんの作品が好きでした。暇さえあれば、自分でも絵を描いていましたね。本格的な漫画用のペンやインクを買ったり、雲形定規で線を引いたりもしてました」。

中学校に入ると、美術部に所属した。

「最初は、部活を楽しんでいました。でも、僕以外の部員が、全員女子だったんです。段々と、居づらくなってしまいました」。

同じころ、NHKで放送されていたドラマを観て、主題歌に起用されていた高橋優の『誰がために鐘は鳴る』に感銘を受ける。

「高橋さんの曲が流れると、すごく救われるというか、グッときたんです。それから、高橋さんとか、福山雅治さんとか、男性でギターを弾くシンガーソングライターの曲をよく聴くようになりました。のちに、高校に入るとくるりにも影響を受けます」。

自らギターを弾き始めたのは、中学2年生の夏ごろだ。

「結局、美術部を辞めてしまって、暇を持て余していたんです。父方の祖母に電話したら、『昔使ってたギターがある』というので、送ってもらいました」。

はじめは、とにかく好きなアーティストの楽曲をコピーした。

「MVを穴が開くほど見て、手の形やピックの持ち方、腕の振り方まで真似しました。歌い方も似せちゃったりしていましたね」。

高校へ進学してからも、写真部へ所属するかたわらギターを続けた。

「うちの写真部は、『文化祭の展示のために撮っておいて!』と指示を出されただけで、定期的な活動はなかったんです。だから、ひたすら家で、片っ端から色んな曲をカバーしていました」。

しかし、高校1年生の冬ごろから満たされない思いが芽生えてくる。

「カバーをしているだけでは、何だかモヤモヤが消えなくて、『曲を作るしかない』と決意しました。独学で、やっぱり最初は既存曲の真似をしながら、作曲に取り組みました」。

オリジナル曲が出来上がると、すぐに録音し、ライブハウスのオーディションに応募した。「憧れのアーティストが立っていたステージに、自分も立ちたいと思ったんです。初めて出演したライブハウスは、高田馬場にあった四谷天窓さんでした」。

高校を卒業し、都内の大学へ進んだことを機に音楽活動を本格化。毎週のようにライブハウスへ出演し、多い時は月に7本ものライブを行った。

「元々僕は不器用ですし、SNSでの売り出し方も分からなかったので、ひたすらライブをしていました。ライブハウスでお客さんをつけて世の中に出ていったアーティストたちに憧れていた、ということもあります」。

気づけば大学4年生となり、進路を選択する時期が来た。

「就活を始めるのか、音楽の道を進むのか。迷っていたとき、とある音楽事務所の方に声をかけてもらいました。よく話を聞いて、信頼できそうだと思ったので、二人三脚でやっていくことを決めました」。

コロナ禍のなかで、音楽活動を本格化

所属事務所と相談し、ライブハウスでの活動を一度休止したころ、コロナ禍が世界を襲った。

「当時は『事務所も決まったし、コロナ禍でも音楽活動の準備ができている。前進している』と思っていました。ただ、今振り返ってみると、しんどい部分もありましたね。ライブハウスで歌えていない、自分の作っている曲がどこにも届いていない感じに、だいぶ心が蝕まれていたと思います」。

そんな葛藤を乗り越え、2020年10月にアーティスト名を『岩坂遼』に改名。12月18日には、東京都渋谷区の音楽ホール・MUSICASAにて、1stワンマンライブ『岩坂 遼 ファースト・コンサート』を開催した。

「ずっと『まだワンマンをやれる時期じゃない』と思っていましたが、事務所の方に助言を貰って、一念発起しました」。

コロナ禍の影響で無観客となったこともあり、悔しさの残るライブとなった。

「自分としては、事務所に入って、プロデューサーの方についていただいて、着実にアーティストとして階段を上っているつもりでした。でも、いざ公に大々的にやろうとしても上手くいかない。外に向けて何もできていなかった、と気づかされました。コロナ禍による閉塞感も理由の一つでしたが、何よりもアーティストとして力不足を痛感したことで、次に向けて何をしていけばいいかが分かりました」。

自身の現状を思い知る機会となった。

大学卒業後は、ライブハウスでの活動を再開。

「ブランクがあったので、『こんな感じだったっけ』と戸惑いつつ、徐々に感覚を取り戻していきました」。

さらにファーストアルバムの制作を開始し、夏ごろから収録楽曲をシングルで配信リリース。ジャケットのアートワークや、MVの構成にも、積極的に関わった。

「デザイナーさんに仕事を丸投げするのは好きじゃありません。信頼できる方と、ディスカッションしながら、一つ一つ作り上げていきました」。

21年10月6日、満を持して、自身初のフルアルバム『α-アルファ-』を全国リリース。11月28日には、吉祥寺SHUFFLEにて、有観客初となるワンマンライブ『Ryo Iwasaka 1st Anniversary live「α-アルファ-」』を成功させた。

「吉祥寺でのワンマンでは、ピアノとバイオリンをサポートに入れて演奏しました。弾き語り一本でやってきた自分の曲が、新しいアレンジで生まれ変わったのは嬉しかったですね。多くのお客さんにも来ていただけて、それまでやってきた成果を感じられました。楽しい一日でした」。

同年10月には、日本最大級のライブショーケースフェスティバル・MINAMI WHEEL 2021に出演。新境地を切り開いた。

「それまで、東京以外の場所で歌ったことがなかったんです。初の遠征がフェスで、『誰も聞いてくれないんじゃないかな』と、少し怖かったです」。

アウェー感に苛まれながらの演奏だったが、思いのほか好感触を得た。

「ありがたいことに、『こいつは何者?」って感じで様子を見に来てくださる方々がいました。歌は届くと信じて、全力を出した甲斐がありました」。

アーティストとして大きな実りを得る秋となった。

年末から、新たなシングルの制作を開始。だが、体調を崩してしまい、22年5月にリリースを終えたあと、実質的に活動を休止することとなった。

「身体が気持ちについていかなくなったんです。ライブハウスで歌うのもやめてしまいました。音楽そのものをやめるつもりはなかったので、公には宣言していませんでしたが」。

同時期に、約2年間所属した事務所を退所する。

「一回、状況をリセットしたいと思いました」。

事務所を通じて多くの人と関わり、様々な助言を受け、期待を背負うなかで「自分はどんな音楽をしたいのか」ということが分からなくなっていた。

「アドバイスをいただけるのは、ありがたいことです。でも誰かの意見を聞いて、『たしかにそれは大事だな』と思って、それぞれ全部大事にしようとしていたら、自分にとって一番大事なことが分からなくなってしまったんです」。

自身の方向性を見直すべく、区切りをつけた。

ゼロからの再出発

体調が回復し、音楽活動を再開したのは、2022年10月ごろだ。

「はっきりとした目標は立てられないままでしたが、『とにかく始めてみよう』と思いました。シンプルに、自分らしく、ということを意識しました」。

月1~2本のペースで、ライブハウスへの出演を重ねた。

23年になり、少しずつ、手応えを感じるようになった。

「うまく言語化できませんが、『今日のライブは自分らしくやれたかも』みたいな、漠然とでも、実感できると嬉しいですね」。

知人の企画ライブへの参加も、良いきっかけになった。

「2月、4月、6月と続けて、知り合いの自主企画に呼んでもらいました。僕が改名する前、ひとりでやっていた学生時代に知り合った人たちと久々に会ったことで、何かを思い出した感覚があります。自主企画っていう、みんなのこだわりの強い空間だからこそ、当時を思い出したっていう部分もあるかもしれません」。

一人で考え込んでいても分からないことが、誰かと表現の場で密接に触れ合うことで、より明確になる。

「そういう機会が続いているのは、ありがたいですね」。

今後の予定を訊ねると、「しばらく楽曲のリリースが途絶えているので、作品としての音源と、それにともなう映像作品を増やしていきたいです。より皆さまに楽しんでいただけるように、僕の音楽をお届けできるアイテムを増やしていきます」。

岩坂を支えているのは、憧れてやまないアーティストたちの存在だ。

「彼らのライブ映像を見て、『ああ、自分もこんな風になりたかったんだ、なりたいんだ』って確かめる感じです。彼らの音楽やライブに感動したときの自分を思い出すことで、モチベーションを高めています」。

5年後、10年後、どんな自分になっていたいですか?と訊いてみた。

「まずは、音楽でちゃんと食べられるようになることですね。そして、僕の音楽を聴いてくれる人がたくさん増えていてほしい。仲間を増やしたいです」。

彼にとって、自分のファンは、仲間だ。

「僕が歌っているのは、‘仲間探し’みたいな部分があります。僕の楽曲を『良い』と言ってくれる人は、きっと同じ何かを経験したり、考えたりしたことがあって、共鳴してくれた仲間だと思うので。そういう人が増えると、嬉しいですよね」。

彼自身、まだ、自分のことをよく分かっていない。

「音楽活動をしていると、自分自身を紹介するというか、『僕はこうです』と明言することを迫られるタイミングが、結構あるんですよね。そのたびに上手く言えなかったり、取り繕うために本当の気持ちとズレたことを言っちゃうのが嫌でした」。

だから今は、正直にいよう、と決めている。

「分からないことは、分からない。決まってないことは、決まってない。今、音楽をするときには、全部正直に言おうとしています。だから、歌ってる時の僕のことは信じてください。ライブに来てくださる方も、みんな」。

まっさらな自分を偽ることなく、ただ歌いながら、前へ進み続けようとする彼の行く末を見守りたい。

text:momiji 

Information

ライブ物販にて2種類のデモ音源を発売中!

・CD_DEMO_20230204(収録曲:01.祝杯 02.お風呂のうた)
・CD_DEMO_20230610(収録曲:01.迷えない 02.祈り)

岩坂遼の新曲が聴けるのは今のところこのデモ盤だけです。 ぜひ手に入れてください!by 岩坂遼

YouTubeにてミュージックビデオ公開中

・「電柱に花束」( https://youtu.be/UOUHiRr73l0
・「洗濯機」( https://youtu.be/BEbIvUHJq_A

サブスクリプションにて楽曲配信中

お使いのサブスクにて「岩坂遼」で検索!

2023.8.5(Sat)
岩坂遼×すなまみれ「いま、ここ、おと、いろ」

[会場]Cafe muni(埼玉県蓮田市閏戸1808)
[時間]イベント開始13:00 ライブ開始17:00
[料金]¥1,000(+1drink)
[出演]岩坂遼,すなまみれ

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