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【RS02:STORY】ありのままの自分を見せる『共感』の歌い手・未祐.

バンドから弾き語りまで、フリーな編成で活動する歌い手・未祐.(みゆう.)。6月に全国盤リリース、7月には初ワンマンライブ開催と、挑戦を続ける彼女の歩みに迫った。

『自分自身を表現したい』と思い続けて

埼玉県出身の未祐.は、音楽好きな父親の影響で、幼少期から歌謡曲に触れて育った。テレビもよく見ていたが、世間で話題になっている番組より、アメリカン・コミックのアニメを好んでいたという。

「海外のアニメって、制作者が本当に作りたいものを作ってる感じがダイレクトに伝わってくるんです。それが私の原点かもしれません」。

周りと同じことをやっていてはつまらない、自分らしいことがしたいという思いは当時からあった。

中学校では吹奏楽部に所属。打楽器担当となり、ドラムを練習するようになった。また、BUMP OF CHICKENの藤原基央の姿に憧れ、親にギターを買ってもらった。二つの楽器を通じて音楽にのめり込み、作詞や作曲にも取り組み始め、高校生になるとコピーバンドを結成した。

忘れられない景色がある。「高校の文化祭で、いきものがかりさんの『ノスタルジア』を歌ったら、何人かの観客が泣いてくれたんです。『私の歌で涙を流してくれる人がいるんだ。ステージに立つと、こんな景色が見られるんだ』と、感動しました」。

人前で歌う喜びを覚えた未祐.は、大学入学後、ギター弾き語りでのライブ活動をスタートした。

「当時は、ひとと一緒にやる自信がなくて。一人で完結できる『弾き語り』という形態を選んで、バラードばかり歌っていました。ただ、ずっと『これが本当に私のやりたい音楽なのかな』という違和感を抱えていました」。

働くことの大変さと、本当にやりたかったこと

手探りで始めた音楽活動は順調だった。地元のライブハウスやイベントに出演を重ね、憧れていた東京のライブハウスでも演奏できるようになった。YAMAHA music revolution(※16年に企画終了した音楽コンテスト)の埼玉予選大会で準グランプリを獲得するなどの成果もあった。

未祐.は、そうした活動と学業を両立させながら、進路について悩んでいた。
音楽仲間やお客さんから「音楽をやりたいなら、音楽一本で頑張らないと、プロなんて無理だよ」と言われたこともあった。

しかし彼女は『普通の』人のように、『普通に』就職することを選んだ。

「音楽の道の厳しさは、分かっているつもりでした。でも世の中の大勢、音楽を聴いてくれる人たちのほとんどが、『普通に』働いているわけですから。新卒じゃないと就職できない場所もあります。自分自身でそれを経験しないと分からないこと、作れないものもあると思いました」。

4年間の学生生活を終え、医療系の学位を得て卒業した未祐.は、病院へ就職した。当時の決断に悔いはないという。

しかし実際に社会へ出て働いてみて、どうだったか?と問うと、彼女は「大変でした」と苦笑した。

「就職前から分かっていたことではありますが、本当に忙しい職場で。心身ともにボロボロになって、歌うことさえできなくなりました」。

音楽への向き合い方が分からなくなった未祐は、救いを求めてボイストレーニングスクール・BOX VOCAL ACCADEMIAの門をたたいた。

そこで、転機が訪れる。

「素晴らしい先生と出逢いました。歌い方、パフォーマンスの仕方を教えていただくだけでなく、『未祐.が本当にやりたい音楽は、こうじゃないのか?』と、私自身も分かっていなかった部分を引き出してくださいました。音楽人生が180度変わりましたね」。

「その気持ち、知ってるよ」と伝えたい

恩師とともに自身を見つめなおし、やっと『自分のやりたいこと』に確信を持てた未祐.は、転職を決意。激務だった病院から、自分の時間を確保できる職場へと移った。

「正社員以外の働き方を選ぶこともできました。実際、音楽活動をしていると、アルバイトをかけもちしているフリーターの方や、契約社員、派遣社員などの方と沢山出会います。それでやっていけるのはとても羨ましいです」

「だけど私は、できるだけ『普通』の生活をして、大変な思いをして、それを反映した音楽を作っていきたいんです。元々、あまり冒険できる性格でもないので、しっかり働いて生活の基盤を持ちつつ、音楽をやりたいという思いもあっての転職でした」。

全てが整った18年、音楽活動を本格的に再開。サポートミュージシャンを入れ、バンド形態で演奏することが主軸になった。

「『私はシンガーソングライターです』と言うことに違和感があります。弾き語りで歌うこともあるけれど…。やりたい事を、やりたい時に、やりたい編成でやりたいだけです」と、未祐.は強い口調で言う。

活動再開後は毎日、1コーラス以上の曲を作っている。500曲近くあるオリジナル楽曲のなかで、バンド編成で演奏しているレパートリーは30曲程度だ。

月1~2本ほどライブ出演を行うだけでなく、島村楽器がプロデュースする全方位型ライブコンテスト『HOT LINE』へ挑戦したり、長野県で開催される野外ミュージック・フェスティバル『りんご音楽祭』へエントリーするなどの取り組みも行っている。

「私を知ってくれる人を増やすために、コンテストやフェスなど『外に出る』ことを重視しています。曲を聴いてもらわないと始まらないので」。

18年に出場したHOT LINEでは北関東・埼玉エリアファイナルに進出。好成績を残している。

「私の音楽の特徴は、良くも悪くも『私自身』をそのまま表現しているところです。だから10代、20代の女性には共感してもらいやすいんじゃないかなと思います」。

「初めての出来事を経験して、傷つくことが多い年代の子たちに『その気持ち、知ってるよ』と伝えたい。私がかつて様々なアーティストの作品に助けられたように、今度は私が彼女たちの救いになれたら嬉しいです」。

尊敬するアーティストは?と訊くと、槇原敬之とYUIの名を上げた。「槇原さんの楽曲、特に詞が好きです。シンプルだけど個性があって、ぱっと聞いて伝わる、まっすぐ届く歌に憧れます」

「YUIさんについては、渋谷公会堂でのライブを見に行って、大きな影響を受けました。今、ちゃんと『自分』が確立したと思えるからこそ、彼女が好きだと言えます。私もいつか渋谷公会堂のステージに立ってみたいです」。

未祐.の名の「.(ドット)」には、音楽活動を再開した際の「弾き語り時代の私とは違う。本当に自分のやりたいことをやって、完結させる」という強い決意が込められている。

彼女がどれほどの高みに登っていけるのか、楽しみに見守りたい。

text:Momiji photo:瀬能啓太

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