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【SSW05:STORY】「心」を大切に、小さな幸せを歌い続ける・近藤佑香

札幌市出身のギター弾き語りシンガーソングライター、近藤佑香(こんどう・ゆか)。幼いころから歌うことを愛する彼女が、地元でのデュオの活動を経てソロとなり、上京して現在に至るまでに経験した数々の挫折と再起の物語を綴った。

人と環境に恵まれ、音楽とともに育つ

三人兄弟の末っ子として、北海道札幌市に生まれ育った近藤佑香。好きな食べ物はかにみそである。

幼少期は、姉とともにモーニング娘。の楽曲を踊ることが好きだった。

「8歳くらいのころは、真剣にモー娘。になりたかったんです。オーディションの年齢制限に引っかかったこともあって、実現しませんでしたが」。

小学生のころは大人しい性格で、皆の前で意見を発表することが苦手だった。「1+1は?」のように簡単な問題でも答えられなかったという。

しかし、音楽のこととなると目の色が変わった。

「『帰りの会で歌いたい!』って手を上げたり、積極的でしたね。友達と一緒に、RHYTHMさんなどの曲をハモって歌いました」。自ら振付を考え、友達に指示を出すなど、プロデューサー気質も発揮していた。

5年生になると、一番の親友とユニットを組み、オリジナル曲を作るようになった。「彼女はピアノが弾けたので、私がメロディを歌うと、すぐに伴奏を考えてくれました」。

ユニット名は『流星〜ナガレボシ〜』。小学校卒業後、中1の終わりに佑香が遠方へ引っ越すまで、ふたりの活動は続いた。

進学や転校によって環境が変わっても、音楽への情熱へは変わらなかった。

「転校後は『いじめとかも怖いし、目立たないように過ごそう』と思っていましたが、各学年で一人だけ学校祭で歌えると知って、すぐ立候補しました。音楽の授業でも、筆記試験はダメダメだけど、実技では満点を取っていましたね」。

家では、インターネットで流行している曲を聴いたり、兄や姉が借りてきたCDを聴いたりしていた。

「姉はダンス・ミュージック、兄はBUMP OF CHICKENやMr.Childrenなどのロックバンドが好きでした。バランスよく色んな音楽を聴けたのは、ありがたかったなと思います」。

佑香が本格的に歌を習い始めたのは、高校2年生のころだ。特別進学コースに通っていたものの、大学で勉強したい学問がなく進路に迷っていたとき、高校の先生から「声楽の道に進んだら?」とアドバイスされた。さらに、卒業生でボイストレーニングに通っている人物を紹介してもらったのだった。

「はじめてボイストレーニングを受けてみたら、すごく楽しかったんです。月2回、ストレス発散にもなりました」。

もっとも、楽しいことばかりではなかった。

「ずっと『自分は歌が上手い方だ』と思ってたから、自信満々に歌ってました。なのに、リズム感とか音程とか色々指摘されて、グサグサきて、落ちるとこまで落ちました」。

そこで腐らなかったのは、生来の負けん気の強さゆえだ。

「落ち込むより、『上手くなりたい』という気持ち方が強かったんです。『この先生に習えば絶対上手くなれる』と思って、彼女が講師を務める学校へ行こうと決めました」。

それから卒業するまで、佑香はボイストレーニングの月謝の支払いと音楽専門学校の学費を貯めるため、アルバイトに明け暮れた。

専門学校を経て、本格的な音楽活動を開始

高校を卒業後、念願かなってMI JAPAN札幌校VIT(ボーカル)科へ進学。洋楽を中心に幅広い楽曲に親しみ、歌唱力を磨くとともに、作曲やアンサンブルの授業にも取り組んだ。

入学当初は、絢香の影響を多大に受けていた。「絢香が好きすぎて、彼女の曲しか歌ってなくて、物真似になっていました。ちゃんとした自分の歌い方ができるように、先生が考えてくれて。一緒にがんばりました」。

最も思い出に残っているのは、約一週間のハリウッド研修だ。

「現地の先生が『テクニックや音程はいったん置いておいて、好きな歌を楽しく歌えばいい』と言ってくれたレッスンがあって、心から『音楽っていいな』と思えました」と彼女は振り返る。

「絢香さんの『ブルーデイズ』を歌ったら、めっちゃ褒めてもらえました。『魂がこもってる』『感情が伝わる』と」。

その場の通訳者は、のちに佑香のCDを購入したという。

本格的な音楽活動を始めるきっかけとなったのは、キーボードや音楽理論、レコーディングなどの授業を担当していた講師から「ユニットをやらないか?」と誘われたことだった。

「ボーカル科だけでミニライブをすることになって、そこで演奏したのが最初でした。私が歌詞とメロディを作って、先生にアレンジをしてもらいました」。

こうして13年9月、歌とピアノのデュオとして活動開始。国内最大級のショッピングモール・サッポロファクトリーや、ホテルオークラ札幌などのステージを経験した。

「ライブハウスなどに出たこともないのに、いきなりメジャー志向というか、大きな場所で歌わせてもらいました。共演者は実力のある方ばかりで、どきどきしました」。

専門学校卒業後の14年4月には、1stシングル『じかんの中の君』をリリース。「こどものころにもオリジナル曲を作っていたけれど、ちゃんと音楽を学び始めてから作ったのは、この曲が最初でした。それまでは失恋など悲しいテーマばかりでしたが、はじめて明るい曲を書けたんです」。

だが諸事情により、同年7月、デュオでの活動は休止することになった。

ギター弾き語りシンガーソングライターへの転身

「デュオを休止して、空っぽになりました。あのころは『自分には歌しかない』って思ってたから。私の好きなものは歌だけだ、と」。

一時は歌が嫌いになるほど落ち込んだ佑香は、「音楽以外のことがしたい」と思い、紙粘土で小物を作ったり、アクセサリーを作ったり、お菓子を作ったり、様々な趣味にいそしんだ。さらに、親族が始めた刺しゅうの仕事を手伝い、minneでの販売やHP作りなどに携わった。

「結果として『そういえば小学生のころはお菓子作りが好きだったな』とか、私には好きなことが沢山あったんだって思い出すことができました」。その時間は、彼女を人間的に大きく成長させた。

とはいえ、完全に音楽から離れたわけではなかった。「カラオケにはよく行っていました。採点機能をオンにして、『どの曲も全国一位の点数をとってやる!』くらいの気持ちで歌っていましたね」。

さらに、活動休止から半年が経つころには、夜に見る夢の内容に異変が起きた。「突然ステージに立たされて歌う夢を、繰り返し、毎晩のように見ていました」。おそらくそれは、彼女の「歌いたい」という深層心理の表れだったのだろう。

P1_近藤佑香ライブ写真

そんな15年3月、デュオで活動していた時代の知り合いと久しぶりに連絡をとり、一人のプロデューサーを紹介された。「2時間ほど私の話を聞いてもらって、多くのアドバイスをいただきました」。

特に「弾き語りをやった方がいい」と勧められたことが転機となった。

「かつての私は、あまり他人に感謝ができない人間でした。たとえばギタリストの方にサポート演奏をお願いしたとき、演奏のミスが一つでもあったら舌打ちしちゃうくらい、自分にも他人にも厳しかったんです」。

だが、プロデューサーから「自分で苦労をしてみたほうがいい」と言われ、それまでの行いを省みることができるようになった。

「楽器は全然やったことがなかったんです。母が高校生のころに使っていたギターが家にあったので、たまに手に取って遊んでいたくらいでした。『弾き語りなんて絶対できるわけない』と思っていましたが、『やってみなきゃわかんないよ』とアドバイスされて、挑戦することにしました」。

いざ、ギターを持ってみると、多くの気づきがあった。

「『ギターが骨に当たって痛い』『立ったときと座った時で持ち方が違う』『指板を見てたら口とマイクが離れちゃう』など…。それ以来、ギタリストの方はもちろん、色んな人を尊敬できるようになりました」。

独学で猛特訓を積みながら、思い切ってTakamineのギターを購入。

「高価なものを買って、辞めるに辞められない状況へ自分を追い込もうと思ったんです」。

ギターを始めてから約二か月後の15年5月、縁あって知人の企画ライブへ出演。オープニングアクトとして10分間、初めて人前で弾き語りを披露した。

「オリジナル曲を2曲作って、譜面を見ずに歌えるところまで仕上げました。片方は『その道』、もう片方は無名の曲です。いつかどこかで名前を付けようと思っています」。現在でも、たまにライブで歌うことがある。

彼女は懐かしそうに当時を振り返った。「作曲はいつも相方に頼っていて、自分でコードをつけたことなかったので、大変でした。ライブが終わったあと、小さい女の子に『おつかれさま』って花束と手紙をもらった瞬間、号泣してしまって。ステージの裏でずっと泣いていました」。

張りつめていた緊張がようやくほぐれた瞬間だった。

こうして、ギター弾き語りシンガーソングライターとして新たな幕開けを飾った佑香は、人の縁に恵まれ、加速度的に音楽活動を展開していく。

まず初ライブの当日、観客の一人だったイベンターと知り合った。彼は佑香のために、音楽活動を始めたばかりの初心者を応援するライブイベントを企画してくれた。「その方のおかげで、ライブの本数が増えました」。

5回目のライブを終えたときには、ライブ会場のオーナーから「半年ワンマンをやらない?」と提案された。

「まだオリジナル曲は6曲くらいしかなくて、お客さんもついていない状態でした。でもオーナーさんの後押しで『やってみよう』と決めました」。

15年12月に開催した初のプチワンマンライブでは、目標だった30人の集客を見事に達成した。

11月ごろには、専門学校時代の歌の恩師でもある松倉サオリ氏と久しぶりに再会。近況を報告をしたところ「CDを作ってみない?」と声をかけられ、「作りたい!」と即答した。「嬉しくなって話が盛り上がって、『アルバムにしよう』ってなりました」。

それから約一年間、アルバム制作のための曲作りとレコーディングに加え、月2~3本のライブ活動、プチワンマンライブの開催やラジオへの出演などを重ねた。17年1月26日、満を持して1stアルバム『白も霧も』をリリース。レコ発ワンマンライブも成功を収めた。

上京、挫折、再起。「きっとずっと夢を見るから」

佑香が上京を決意したのは、アルバムが完成したときだった。

「CDを作る前、先生から『名刺代わりにしたらいいよ』と言われました。だからすんなり、『これを持って上京しよう』と。私は深く考えすぎると動けなくなっちゃうタイプなので『今、このままで行こう』と決めました」。

勢いのまま、17年2月に上京。「東京は怖いな、と思うこともあったし、どこのライブハウスに出たらいいかも分かんない。生きることにいっぱいいっぱいになった時期もありました」。

だが、悪いことばかりではなかった。札幌の人々からの評価が高まったのはその一つだ。「上京したからこそ『あの子、本気だったんだ』と思って下さったんでしょうね。歌のお仕事をいただけるようになりました」。

以降、帰省ライブはもちろん、札幌地下歩行空間でのMV上映、北海道の軽自動車専門店・クレタのTVCMサウンドロゴなど、地元での活躍が増えていく。もちろん東京でも、17年4月のライブを皮切りに、様々なイベントへ出演。音楽仲間を増やし、ファンも着実に集めていった。

だが18年10月、左第五中足骨骨折のため、ライブ活動の休止を余儀なくされてしまう。東京では初となるワンマンライブ開催予定日の約3ヶ月前のことだった。

「ワンマンのためにがんばろう、と意気込んだところでの挫折でした。『今度こそ音楽を辞めようかな』というくらい落ち込みました」。出演予定だったライブを次々とキャンセルし、楽しみにしていたプライベートの予定もなくなり、SNSを見ることさえ怖くなった。

どん底の状態から、佑香を立ち直らせたのは、自らのワンマンライブそのものだ。

「『ワンマンだけはやろう』と思ってキャンセルしなかったんですけど、本番一週間前にやっと松葉杖がとれた状態でした。歩くのもやっとで、『私は本当に会場へ行けるのかな?』と思っていました」。

リハーサルも行っていなかったが、前日にギターサポートの西村氏と打ち合わせをしたことで不安は解消されていった。「そもそも、人と会うこと自体が3ヶ月ぶりでした。『この曲良いね』と言ってもらったりして、歌うことの楽しさを思い出せました」。

そして迎えたワンマンライブ当日、久々にお客さんと会い、楽しそうに演奏してくれるサポートメンバーに囲まれて、「やっぱり音楽は楽しい。続けたい」と思ったと言う。

以後、19年6月の初バースデーワンマンライブ、12月のワンマンライブともに盛況のうちに終了。10月には1stアルバム『白も霧も』が完売し、代表曲の一つである『わたあめ雲』のカラオケ配信が開始された。さらに、コーエーテクモゲームスより発売された『ライザのアトリエ』にてイメージボーカル歌唱を務めるなど、19年は彼女にとって実り多い一年となった。

5年、10年後の目標はあるのだろうか。

「シチューのCMソングがやりたいですね」と佑香は微笑む。「あと、紅白で歌いたいです。小さいころからの憧れです。そこに至るまでの目標設定をどうしようかな……」。

彼女は言葉を切り、少し考えたあとで、「ラジオをやりたいと思っていたら、今度、井萩チャイナスクエアさんでメインパーソナリティをさせてもらえることになりました。またやりたいことができたら、どんどん口に出していきたいです」。

何よりも大きな願いとして、「一生歌っていたい。おばあちゃんになって声が出なくなるまで歌い続けたいです」と佑香は言う。

「いつかまた、音楽を辞めたくなるときが来るかもしれません。だけど、きっとまた毎晩ステージに立つ夢を見て、帰ってくると思います。おそらく、何歳になっても」。

ことわざでも、二度あることは三度あるという。

何度でも同じ夢を見て、歌い続けてほしいと思った。

Text:Momiji

INFORMATION

2020.06.27(Sun) open 18:00 / start 18:30
『yuka birthday live』

[会場]銀座MiiyaCafe(東京都中央区銀座6-3-16 泰明ビル4F)
[料金]前売¥3,000(+1drink) / 当日¥3,500(+1drink)
[出演]pf.宇川祐太朗 / perc.髙盛陽子

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