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【R13:STORY】シンガーストーリーテラー・彩葉永華

ピアノ弾き語りシンガーソングライターとして、小説家として、はたまた占い師としても活躍するアーティスト、彩葉永華(あやば・えいか)。彼女が現在の活動に至った経緯と、今後の夢に迫った。

星の数ほどの夢を描いた子ども時代

茨城県石岡市出身の彩葉永華は、躾の厳しい家庭に生まれ育った。

「ゲームもマンガも禁止で、自由がありませんでした。友達の家に行って遊んでいましたね」。

それゆえにこそ、想像の翼を大きく広げた。

「興味のあるものがとても多くて。将来の夢は音楽家、医者、小説家……他にも、たくさんありました」。

中学校では美術部、高校では合唱部に所属。様々な趣味を通じて、独自の世界観を育んだ。

最も大きな娯楽が、本を読むことだった。幼少期から図書館へ足繁く通い、ファンタジー小説、実用書、天文学の専門書、果ては医学書まで、ジャンルを問わず愛読したという。

「一番好きな本は、『星の一生』(著:藤井旭)でした」。

小学校高学年のころには、読むだけでなく、自分でも小説を書いていた。中学生になると、万葉集の和歌に心を奪われ、詩作に興じ始めた。

そんな彼女が初めてオリジナル曲を作ったのは、14歳のときだ。

「歌詞らしいものが書けたので、曲をつけたくなったんです」。

4歳からクラシックピアノを習っていた彩葉は、その分野では作曲をしたことがあった。しかし、ポップスの作曲は未経験。当時のオリコンチャートを調べ、流行の曲の構成を真似るところから取り組んだ。

さらに16歳でDTMを知り、お年玉を使って当時の最新MIDIシーケンスソフト『Singer Song Writer 6.0』を購入。独学で打ち込み技術を磨いていった。

「ライブハウスやスタジオのような、本格的に’音楽をやれる環境は、当時の茨城県内だと水戸市くらいしかなかったんです。

私が住んでいた地域は田舎だったので、一人でピアノを弾いたり、打ち込みをしたり、庭にあった資材を使ってスタジオを自作したり、身近なところで工夫して楽しんでいました」。

通っていた高校の教室や廊下でワンマンライブをしたこともある。

「教室で曲を書いていたら、同級生に『歌ってみせてよ』と言われて、『いいよ』と。打ち込みで作ったオリジナル曲の音源を持ち込んで、ラジカセで流しながら歌いました。あのころは、色々と怖いもの知らずでしたね」と、朗らかな笑顔で振り返る彩葉。まったく、凄まじい行動力である。

好きなことで生きるために、地に足をつけた道を探す

高校卒業後は、茨城大学へ進んだ。

「音楽で食べていくつもりだったので、進学したいとは思っていませんでした。でも、親から『大学へは行きなさい』と厳しく言われて。せっかくなら東京へ行きたかったんですけど、『県内じゃなきゃダメ』とも言われたので、せめて学費の安い国立大学を選びました」。

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通学のために水戸市へ通い始めた彩葉は、19歳のとき、初めてライブハウスへ出演。カラオケ音源を持ち込んでのステージは、思ったようにはいかなかったが、音楽への情熱を失うことはなかった。

約一年後には、大学の近くにあるアトリエを借り、毎月ワンマンライブを開催していく。「ブッキングシステムをよく知らなかったので、ひたすら一人で歌っていました」。

そのアトリエにピアノがあったこともあり、活動スタイルをピアノ弾き語りへ転換した。

「弾き語りの方が小回りが利くんですよね。ライブの途中でセットリストを変えることもできるし、予め打ち込みで作り込まなくてもいい、という利点を発見して。楽曲によってはオケも取り入れつつ、弾き語りを中心としたスタイルになりました」。

さらに一年後、転機となる出逢いがあった。

「インターネットでオーディション情報を検索していたら、MUSIC☆PORT JAPAN事務局のHPが一番上に出てきたんです。『なんだここ!面白そう!』と思って、すぐ代表に電話しました」。

以降、彼女はMPJを通じて東京都内でライブをするようになる。

「最初に都内で歌ったのは池袋のエールハウスさん。卒業するまで、月1くらいの頻度で東京へ通いましたね」。

しかし、茨城から東京までは、片道2時間かかってしまう。本格的な活動をするために上京したいと考えた彩葉は、大学卒業とともに、都内の一般企業へ就職した。

「一人暮らしをするのも初めてで、どのくらいお金がかかるか分からないし、ちゃんと両親が納得する形で出てきたかったんです」。

誰にも真似のできない『シンガーストーリーテラー』

上京した彩葉は、社会人として働きながら、ライブや制作活動に打ち込む日々を送った。

2010年には、ディファ有明でのイベントへ出演。プロレスリング・ノアの聖地としても知られた、最大収容人数1,823名の会場にて、ピアノ弾き語りを披露した。

さらに翌年、師事するボイストレーナーのニューヨークツアーに同行。現地のトレーナーに指導を受けたり、ライブハウスのオープンマイクに出たりと研鑽を積んだ。

本場のライブハウスの雰囲気はどうだったか?と訊くと、「やっぱり文化なんですよね」と目を輝かせた。

「日本と違って、街中にカラオケや居酒屋がないから、『音楽が聞きたい』『お酒が飲みたい』となったらライブバーやライブハウスに行くのが当たり前。向こうのライブバーはいつも満員で、ステージに上がっている人も総じてレベルが高かったです」。

芸名を『彩葉永華』としたのは14年のことだ。

「それまでは、名前の『永華』だけでやっていました。ただ、インターネットで検索すると中華料理屋さんしか出てこなくて」と彼女は笑う。

「しっくりくる苗字がなくて悩みましたが、『色んな言葉を色鮮やかに歌う』という意味で、『彩葉』を選びました。しかも画数を調べたら、吉と大吉しかなかったんですよ。完璧ですよね」。

15年には、活動範囲を神奈川県にも広げた。「仕事の都合で引っ越したら、徒歩圏内に3軒もライブハウスがあったんですよ」。

その縁から、夏祭り感たっぷりの『彩フェス』、自らがバーテンダーを務め、出演者は何かしら酒に関する楽曲をうたう『彩の酒場』などのイベントを主催するようになった。

こうした精力的な活動を展開しながら、20年現在までに、シングル、アルバムあわせて4枚のCDをリリース。

加えて、キーボーディストとして他のアーティストをサポートしたり、インディーズアイドルへ楽曲を提供したり、作曲家としても活躍中だ。

「私は『シンガーストーリーテラー』という肩書を名乗っています。聴いてくださる人の脳裏に情景が浮かんでくるような歌い方をしたいんです」。

彩葉の楽曲の一つ一つが、様々なテーマの込められた絵本であり、彼女はステージでそれを読み聞かせ、いや歌い聞かせているのだと言う。

「高校生のころに合唱部で『サウンド・オブ・ミュージック』などを歌った影響もあって、ミュージカル風の弾き語りになったのかなと思います」。

近年は、音楽以外の分野でも才能を発揮している。

「ずっと趣味で小説を書いてきましたが、20年1月からライフストーリー作家®︎を始めました。他にも、タロットカードなどを扱う占い師としても活動しています。音楽家、職業作家、占い師として、しっかり独り立ちしたいですね」。

ライフストーリー作家®︎は、文字通り、他者の人生を物語として書き起こす職業だ。たとえば結婚予定のカップルの馴れ初めを取材し、結婚式当日にパンフレットとして配布する。一生の思い出作りをサポートする仕事だ。「案件をこなしたら、見習い作家から認定作家になれるんです。今はコロナの影響で依頼も止まっていますが、早く認定作家になるためにがんばります」。

占い師として活動を始めたきっかけは、友人のシンガーソングライターで占い師の藍風くじら氏から「素質がありそうだからやってみない?」と誘われたことだ。

「私、昔から霊感があったんです。霊の姿を見たことはありませんが、嫌な雰囲気を感じるというか、ぞわっとすることがあって。他にも、予知したことがよく当たったり」。

心理学に興味を持ち、スピリチュアルカウンセリングや催眠療法を学んだ経験も生かしている。

毎月第一、第二日曜日には、八王子にあるLive & CafeBar Anthemにて『歌占Night』というイベントを行っている。

「お客さんにタロットカードを引いてもらって、対応した曲を歌ったりしています。準備が大変ですが、楽しいです」。

多彩な分野への興味・関心と、類まれなる行動力から導かれた、誰にも真似できないシンガーストーリーテラーの道を歩む彩葉。彼女がこれからどんな物語を見せていってくれるのか、楽しみである。

text:Momiji,Tsubasa Suzuki edit:Momiji

INFORMATION

1st CD『忘却カナリア』から最新作の『柘榴の春』まで、計4枚のCDをOfficial Websiteにて販売中!

2020.08.02(Sun) open 17:30 / start 18:00
[会場] 下井草Billy’s Bar GOLD STAR(杉並区下井草3-41-6)
[料金]¥1,500(+Drink)
[出演]KD/吉田タロー/彩葉永華/シラフ

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