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【S-Final:STORY】音楽で『楽しい』を創る・Smitch

東京都と埼玉県を拠点に活動しているクリエイター、Smitch(スミッチ)。あるときはシンガーソングライターとしてステージに立ち、またあるときはイベントを主催し、プロデューサーとして他者に楽曲提供することもある。多くの顔を持つ彼の原点は、高校の文化祭で実現できなかった『フェス』にあった。2021年に音楽活動10周年を迎えた彼が辿ってきた道のりを聞いた。

声優に憧れた幼少期と、高校での挫折

和歌山県和歌山市出身のSmitchは、典型的なテレビっ子だった。

「特に『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』や『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』『堂本兄弟』など、音楽を題材にしたエンタメが大好きでした」。

小学生時代は、アニメ番組に夢中だった。

「アニメは二次元だからこそ、どんなことでも表現できます。とても魅力的に感じました」。その世界を形作る『声優』という職業に憧れるとともに、上京を志した。

「自分の置かれていた環境に嫌気がさしていたこともあり、『大人になったら東京へ行って、声優になるんだ』と、夢見ていました」。

中学校では吹奏楽部に所属し、チューバを担当。高校では放送部に入ることができたが、アナウンスや朗読といった花形ではなく、裏方を担当した。

「同じ部の先輩に、黒瀬友紀さんがいたんです。最近はタレントのゆうこすさんがプロデュースするライバー事務所で活躍されている彼女ですが、高校生のころから絶対的な存在でした。『これは敵わないな』と感じて、裏方にまわりました。結果として、機材の扱いなどを学ぶことができました」。

しかし、高校3年生のとき、今に尾を引く事件が起きる。

「文化祭の実行委員に選ばれて、ステージのプランニングを任されたんです」。もともと音楽好きだったSmitchは、テレビ番組の人気コーナーなどを参考に、様々な企画を考えた。軽音楽部と吹奏楽部に声をかけ、コラボレーションを提案すると、反応は上々だったと言う。

「同級生はみんな『楽しそうじゃん』と言ってくれて、多くの人に賛同していただきました。ただ、企画を練っていくうちに、予算や時間の面で、先生と衝突するようになりました」。

企画の実現に向けて努力したが、先生の理解を得ることができず、とうとう実行委員の任を解かれてしまう。文化祭本番数日前のことだった。

「結局、ステージのプログラムは、先生が全て決めてしまいました。しかし、僕と先生の間のごたごたは、同級生たちには伝わりません。みんなには『Smitchに裏切られた』と言われてしまい、辛かったです」。

この一件は、彼の心に暗い影を落とした。

「『あと一歩のところで、やりたいことをできなかった』という悔しさを、今も鮮明に覚えています。『いつかリベンジしたい』と思いました」。

シンガーソングライターとして活動開始

高校を卒業したSmitchは、幼いころからの夢を叶えるべく、大阪の専門学校へ入学した。

「本当は、すぐにでも上京したかったんですが、なかなか両親が許してくれませんでした。1人っ子というのもあり、『20歳になるまではダメ』と言われ、東京ではなく実家から通える範囲での進学を決めました」。

毎日、片道1時間半かけて専門学校へ通い、発声の基礎からアフレコまで幅広く学んだ。しかし、学校での人間関係で躓いてしまう。「自分も関西人なのに、押しの強い関西人気質が苦手で、馴染めませんでしたね」。

上京への思いを強くした彼は、二年次のオーディションにて、首尾よく東京の声優養成所に合格。両親の許しも得て、2009年、上京を果たした。

時代は声優アーティスト全盛期。「歌唱力も磨きたい」と考えたSmitchは、養成所に通いながら、ボイストレーニングスクールにも通い始めた。

転機となったのは、翌年6月26日に開かれた、スクール主催の発表会だ。

「幼稚園のお遊戯会や吹奏楽部のコンクール、専門学校生での舞台などに立ったことはありましたが、ソロで、ライブハウスで歌うのは初めてでした。赤坂GRAFFITIという会場の素晴らしさもあって、感慨深かったです」。

のちに師と仰ぐことになる、ミュージシャンの三條場浩司氏と初めて顔を合わせたのも、この日だった。

「三條場さんと僕は、同じミュージシャンが好きでした。ボイトレの講師経由で、お互いの存在を知っていたんです。発表会のとき、ようやくお会いできて嬉しかったです」。

意気投合した二人は、音楽談議に花を咲かせた。

「僕は『もっと本格的な活動をしたい』と思っていましたが、どうやって始めればいいか分からずにいました。三條場さんに相談したところ、秋葉原にあるLive Garage秋田犬を紹介してくださいました」。

秋田犬を訪れたSmitchは、店のスタッフにブッキングライブへの出演を直訴。12月のライブに出演することが決まった。

さらに「自分のオリジナル曲がほしい」と考え、三條場氏に楽曲提供を依頼。アレンジと音源制作は、ボイストレーニングスクールの講師に協力してもらった。

同じころ、養成所のワークショップで知り合った男性とユニットを結成。10年12月8日の初ライブにはユニットとして出演し、自身初のオリジナル曲である『前へ…』などを披露した。

「当時から、音楽活動をするモチベーションの一つとして、『高校の文化祭でやりたかったことをやりたい』ということがありました。自分が企画して、主催しつつ、出演者として演奏もする『フェス』を、いつか開催したいと考えていました」。

以降、ユニットとしてライブ出演を重ねつつ、オリジナル曲を増やしていった。「音譜の読み書きはできたので、メロディを作って先生に渡して、コードを付けてもらっていました」。

しかし、ユニットでの活動は上手くいかず、11年5月に解散してしまう。

「これではいけない」とインターネット経由でメンバーを募集し、2011年9月、第二期として結成。だが、こちらも軌道に乗らず、2012年2月に解散となった。

「『メンバーを固定すると半年くらいで解散しちゃうな』という傾向が見えた時点で、自分のオリジナル曲は4,5曲に増えていました。『今なら、ソロでも30分のステージはできるぞ』と気づいたとき、『イベントをやろう』と閃いたんです。『お世話になっている人を集めて、一夜限りのイベントを開こう!』と思いました」。

『音楽を題材にしたエンターテインメント』-S FESの黎明期

かねてからの「フェスがしたい」という思いを反映して、イベント名は『S FES』に決めた。会場としてLive Garage秋田犬を押さえ、出演者を集めた。

「まず、第二期のユニット仲間に出演交渉をして、OKをもらいました。それから、いつも秋田犬でお世話になっている方や、当時よく通っていた東中野music shed yes!のオープンマイクで出会った方にオファーしました。ライブハウスでの繋がり以外のアーティストも呼びたかったので、地元の知り合いや学生時代から仲良くさせてもらっていた朝倉みぃ子さんにも声をかけました」。

2012年7月1日、遂に『S FES vol.1 ~GOING~』を開催。ライブだけではなく、イラストゲームやコラボコーナーなど、「音楽を題材にしたエンターテインメント」を実現させた。

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『S FES vol.1 ~GOING~』の出演者と撮影

「構想だけは高校時代からあったので、企画から実現まで、とても早かったですね。夢が叶って、楽しい一日でした。『これなら続けていける、よし、すぐに二回目をやろう!』と思いました。とにかくやる気に満ちていたんです」。

折しも、声優養成所を退所し、その道に見切りをつけていた。音楽活動に力を入れようと考えたのは、当然の流れだったかもしれない。

『S FES vol.2 -Sensation-』は、13年1月27日、同じくLive Garage秋田犬にて開催された。

「vol.2でも多くの出会いがありました。特に、サポートミュージシャンのスクオペア♪さんと知り合えたことは、大きかったです。今や音楽活動には欠かせない存在となっています。一回目に続いて楽しく、実りの多いイベントになりました」。

それでも、満足はできなかった。

「恩師でもある三條場さんに、S FESへ出てほしかったんです。自分の活動を認めていただきたい、という思いもありました。vol.2が終わったあと、ついに『がんばってるな。次は出るよ』と言ってくださって嬉しかったです」。

このとき、vol.3の会場を赤坂GRAFFITIにしようと決める。

「三條場さんが出てくださるなら、あの場所しかない、と。スケジュールを押さえました」。

Live Garege 秋田犬のキャパシティは全席最大40名だが、赤坂GRAFFITIは同90名である。単純計算でも倍以上の規模となるだけに、俄然、張り切った。

「vol.3は、vo.1とvol.2の要素を合わせたスペシャル版にしたい、と思いました。過去に出演してくださった方や、新進気鋭のアーティストさんにお声がけしました」。

各方面にオファーをしたところ、一度は引き受けてもらったものの、残念ながら出演一か月前に辞退となってしまった方もいた。

「タイムテーブルを組みなおすことになったので、さらにバラエティーに富んだことをやる方向に切り替えようと、じゃんけん大会を企画しました」。

こうして13年8月3日に開催された『S FES vol.3 -DREAM-』は、当時の歴代最高となる44名の集客を記録。大いに盛り上がったが、開演から閉演まで4時間半という長丁場になった。

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『S FES vol.3 -DREAM-』でのコラボレーションの様子

「多くの方がご来場くださり、出演者の皆さんには素晴らしいパフォーマンスをしていただけて、最高の一日でした。ただ、いろいろ詰め込みすぎましたね。『長い』という意見を多くいただきました」。

Smitchは、自身の3年間の集大成となるイベントを、みんなが満足行くようなものにしたいと考えていた。自分なりにベストを尽くしたが、完璧を目指していたからこそ、そこにたどり着けなかったことが悔しかった。

「そもそもとして、出演者1名に、開催一ヵ月前に出演辞退されてしまったこと。穴埋めとして企画したじゃんけん大会は、楽しかったけれど、時間が大幅に押してしまったこと。他にも、反省点がたくさんありました」。

彼にとって赤坂GRAFFITIは、本格的に音楽活動を始める契機となった、聖地ともいえる会場である。

「GRAFFITIでやるからには、100点満点のイベントにしたかった。だから『もう一度、今度こそ完璧なイベントをやるために、S FESを続けよう』と決意しました」。

しかし、そこからの道のりは、苦難の連続だった。

長く続いた低迷期と、再起

S FES vol.4を企画するにあたり、Smitchは「昼の部と夜の部の二部構成でやってみよう」と考えた。

「単純に、出演者が増えればお客さんも増える、という胸算用もありました。『昼・夜合計で前回くらいの集客ができたら、もう一度赤坂グラフィティに挑戦しよう』と思ったんです」。

コンセプトは『初の一日開催』。会場は、再びLive Garage秋田犬に決めたが、何もかも思うようにいかなかった。

「これまでお世話になってきたアーティストさんの多くが活動休止したり、引退したりして、オファーできない状況になってしまいました。自分の人脈をフルに生かそうと思い、初期のユニット仲間に声をかけたりもしましたが、本番一週間前に出演辞退されてしまいました。さらには、ライブハウスさんに変更後のタイムテーブルを提出し忘れてしまうという、とんでもないミスもありました」。

八方ふさがりのなか、14年4月19日に開催した『S FES vol.4 -PARTY-』。

「出演してくださった方々のおかげで、イベントは、かろうじて形になりました。でも、『もう二度とS FESには出ない』という声もありました」。

心が折れました、と彼は振り返る。

「頼れる人たちがいなくなった。残ってくれた人たちのことも、雑に扱ってしまった。これからどうしよう。途方にくれてしまいました」。

失意のうちに、上京してからずっと通い続けていたボイストレーニングスクールも辞めることになった。

「終わったな、と思いました。バイトばかりの毎日で、実家に帰ることも考えるようになりました」。

そんななかでも、オリジナル曲の制作や、オープンマイクへの出演、さらに知り合いのライブ鑑賞は続けていた。「何か起きるかもしれないから、何とかして音楽は続けよう、と思っていました」。

新しいボイストレーニングスクールにも通い始めた。「でも、当時の僕は、プライドが高すぎましたね」。

スクールで知り合った人々のライブは、「セットリストはすべて同じような曲ばかり」「ライブというよりは、派手な箱でのカラオケオフ会」「フライヤーと当日の出演者が3分の1違う」等、Smitchから見ると「よくこれで成り立つな」としか言いようのないものが多かった。

「こんなにクオリティの低いライブに対して、3000円プラス1ドリンク代を支払うなんて。『自分のやってきたS FESの方が、オリジナリティーもあり、クオリティの高いイベントだった』と思いました。S FESに出てくださるアーティストさんたちはオリジナル曲をバンバンやってて、楽器を生演奏するし、斬新かつ魅力的で、それでいてチケット代は2000円程度なんですよ」。

それなのに、どうして「もう出ない」と言われてしまったのか。

自問自答を繰り返したが、当時の彼には打開策を見つけられなかった。

どん底の日々から浮上するきっかけとなったのは、『Animelo Summer Live 2014 -ONENESS-』での、T.M.Revolutionこと西川貴教氏のステージだった。

「アニサマ10周年という記念すべき年に、J-pop畑出身のT.M.Revolutionが初日のトリを務めるなんて、批判も多くありました。でも西川さんは『アニメロとかJ-popとか関係なしに、ジャンルの垣根を越えて、日本の音楽をもっと広げていこう』とおっしゃいました」。

その言葉は、Smitchの心に突き刺さった。

「まるで、自分の思いを代弁してくれたように感じました。僕は『ジャンルの垣根を越えるイベントこそが最高のエンターテイメント』だと考え、S FESをやってきましたが、vol.4のあとは自信がなくなり、全てにおいて否定されているように感じていました。西川さんのMCに、本当に救われました。『また頑張ろう』と、勇気をもらいました」。

ちょうどそのころ、朝倉みぃ子氏から「Smitchに見てほしいアーティストがいる」と連絡があった。誘われるがままに足を運んだ池袋LIVE INN ROSAでのライブで、ピアノ2台の弾き語りユニット・call....it sings(コールイットシングス)と出会う。

「久しぶりに、感動しました。こんなに素晴らしいアーティストさんが、世の中にはまだいるんだと思いました。このチャンスを逃したくなくて、『次回のS FESに出てください』とお願いしました」。

立ち止まっていても仕方がない。もう一度イベントをやって、悔しさも何もかもぶつけて、やりきりたいと考えた。

「今の僕の最高をイベントにしたい!」。

そのためには、三條場氏と朝倉氏に揃ってS FESへ出てもらう必要があった。

「自分がこれまで進んできた道を作ってくださったおふたりに出演してもらうことは、『今の最高』を実現するために必要不可欠であり、再起への最大の鍵だと思いました」。

しかし、前回の結果があったため、なかなか首を縦に振ってもらえなかった。

「とにかく『出てください』と何度も懇願しました。最終的には、おふたりとも根負けして、『今回で最後だよ』と出演を承諾してくださいました」。

何が起きても、たとえキャンセルがでてしまっても、それが自分の実力だと受け入れよう。そんな覚悟を持って、2016年3月19日、秋田犬にて『S FES 2016 -Re build-』を開催した。

「S FESの第1シーズンの完結をvol.4として、第2シーズンとの橋渡しになったのが、5回目です。5周年Yearを迎えたS FES 2016は、文字通りの『再構築』でした。また、ここからのナンバリングは『Vol.〇』ではなく、西暦にしました」。

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『S FES 2016 -Re build-』でのコラボレーションの様子

約2年ぶりに開催したS FESは、約30名を観客を集め、無事に成功を収めた。

「楽しい時間を過ごすことができました。ただ、『これは自己満足だけじゃないのか?』という思いもありました」。

良いアーティストを集めて、自分もふくめてみなが良い演奏をして、でも、それだけでは足りない。もっと多くの観客に楽しんでもらい、盛り上がらなければ、良い『フェス』とは言えないと感じた。

「同時に、携わってくださった皆さんおかげで、再び活動するきっかけができたからこそ、『続けていきたい』という気持ちが溢れました。そのために、今後どうするべきか悩みました」。

オープンマイクへ足を運び、先輩アーティストたちに相談をした。多くのアドバイスをもらったなかでも、一番印象に残ったのが、Shiny’sの野村尚宏氏の言葉だった。

「野村さんとは、秋田犬のオープンマイクで出会いました。自分にとって最高のS FESだったvol.3と、思うようにいかなかったvol.4の両方に出演してくださった彼だからこそ、その言葉が、ひしひしと伝わりました」。

野村氏は「Smitchが面白いと思ったアーティストを集める、というのはいい。コラボレーションを行うのもいい。だが、そこに誰もが分かるはっきりとしたテーマがないため、ブレてしまう。何か一つ軸があれば、演者も、お客さんも、もっと楽しめるのではないか」と語った。

「たとえば、『バンド』とかいいよね」。

野村氏の何気ない一言が、新たな指針となった。

「フルバンドによるサポート演奏」という軸

2017年7月22日に渋谷七面鳥で行われた『S FES 2017 -Strikes Back-』は、希望する全てのアーティストに、フルバンドでの演奏サポートがついた。

「初の試みだったので、サポートを依頼したスクオペア♪バンドさんには、かなり無茶を言ってしまいました。申し訳なかったです」。

出演者それぞれにセットリストを訊ね、楽譜を集め、事前リハーサルを設定するなど、オペレーションも大変だった。

だが、確かな手ごたえがあった。

「何より、アーティストさんとWin-Winの関係を築けたことが大きかったと思います。言ってみれば、それまでアーティストさんにとって『S FESに出る』ことのメリットが薄かったんです。でも『S FESに出演すれば、フルバンドのサポート演奏が受けられますよ』となれば、話が変わってきます」。

普段は弾き語りやオケ音源で活動しているアーティストも、フルバンドのサポートによって、新たな魅力が引き出される。イベント全体のサウンドがまとまり、盛り上がる効果もあった。

「好きなことをやりつつ、そぎ落とせるところはそぎ落として、『バンド』という軸も得た。『これだったらいけるんじゃないか』と感じました」。

改めて、S FESの10周年に向けて、活動の継続を決意した瞬間だった。

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『S FES 2019 -Wonderland-』の出演者と撮影

「そこから始まった第2シーズンでは、先輩方のご紹介で、いくつも素晴らしいご縁をいただきました。特に、スクオペア♪企画で繋がったBOKRA and RENさんとは、親しくさせてもらうようになりました」。

ボイストレーニングスクールでも、新しい出会いがあった。

「今はpeonyというユニットで活躍されている、はるかさんとは、ボイトレの発表会で知り合いました。当時、彼女はすべてカバー曲だったし、オケ音源で歌っていました。でも、個性が凄かった。『こういうことを表現したい』というのが、歌はもちろん衣装やMCからも伝わってくるライブをしていました。『こんな子もいるんだ』と、目からうろこが落ちました」。

さらに視野を広げようと、活動範囲を広げた。

「知り合いのライブをどんどん見に行こうと決めて、18年と19年は、年間120本のライブに足を運びました。全てを否定せず、吸収できるところは吸収して。ジャンルも問わずいろんな所に顔を出しましたね」。

結果として、アーティストはもちろん、写真家や音響スタッフ、レコーディングエンジニアなど、幅広い分野に人脈を作ることができたと語る。

18年7月21日には『S FES 2018 -Music Parade-』、19年8月25日には『S FES 2019 -Wonderland-』を、同じく渋谷七面鳥で開催。いずれも大きなトラブルなく成功を収め、少しずつ集客を伸ばした。

「19年には、過去最高に迫る、42名のお客さまにお越しいただくことができました。『ようやくここまできた』と思いました。今なら、もう一度GRAFFITIに立てるぞ、と」。

だが赤坂GRAFFITIは、諸般の事情により19年5月に閉店してしまっていた。

「GRAFFITIの代わりにはならないけれど、2020年は、同じくらいの格のハコでやろうと思いました。先輩方にご相談した結果、渋谷にあるLOFT HEAVENで開催することが決定しました」。

20年初頭からのコロナ禍にも、彼は足を止めなかった。「LOFT HEAVENさんなら、ちゃんと感染対策をやってくださると信じていました」。

『S FES 2020 -Cloud Nine-』は、20年8月22日、有観客(収容人数制限)+生配信の形で決行された。

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『S FES 2020 -Cloud Nine-』の出演者と撮影

「最終的に観客は制限ギリギリの25名。配信でご視聴くださった人数と合わせて、過去最高の集客を記録することができました」。

S FES 10周年への思いと、さらなる未来に向けて

2021年には、自身の音楽活動10周年を記念したCDを発売。21年秋現在は、制作に軸足を置きながら、22年に開催する『S FES 10th Anniversary FINAL』に向けて準備を進めている。

「21年4月から来年8月までの1年4ヶ月を『10周年Year』として、様々なイベントを組んできました」。

21年5月には『Atmosphere Ⅱ』、7月には『くろす・さうんどⅣ』を、有観客(収容人数制限)+生配信で開催した。

特に『Atmosphere Ⅱ』では、ユニット活動第二期のメンバーでもあった南あゆむ氏が、約8年ぶりに『す☆るとるゔぇ』というユニットで参加。Smitch初のレコ発とあわせて、記念すべき一日となった。

「来年2月には、川口CAVALLINOさんで『Atmospere Ⅲ(仮題)』というアコースティックイベントを開催します。10周年企画も後半に入り、他にもいろいろ考えています」。

長年温めてきた構想を、いよいよ実行に移す。

「10周年記念の最後となる来年夏のS FESは、合計10組が出演する、丸一日のフェスを予定しています。お世話になった方々に『ここまでやれるようになったんだな』と思っていただけるよう、がんばります」。

さらに、2023年から先の展開も見据えている。

「『来年のことを言えば鬼が笑う』といいますが、僕はそれを考えるのが好きなんですよ。23年からは、S FESの第3シーズンに向け、また新たな人脈を作らなければなりません。まだまだ行ってみたいライブハウスもありますし、新規開拓していきたいですね」。

新しいイベントも立ち上げたいと考えている。

「たとえば各アーティストが持ち回りで主催を担当する定期公演みたいな。ぜひ、実現させたいですね」。

自身のオリジナル曲や、他者へ提供する楽曲の制作も進行中だ。

「よく、『Smitchって何がしたいの?』と聞かれます。『アーティストなの?』『イベンターなの?』って」と、彼は笑う。

「僕はクリエイターです。多くの人と協力して、色んな垣根を越えて、楽しいことがやりたい。そこは、高校生のころから変わっていないんですよ」。

そのためには、まず自分自身が、一人のアーティストとして面白い存在であるべきだ、と考えている。

「だから、イベンターに専念するっていうのは、違うんです」。

理想としているのは、西川貴教氏の姿だ。

「西川さんは、一流のアーティストでありながら、舞台、俳優、プロデューサー、コメンテーターとしても活躍されてます。滋賀県でイナズマロックフェスを開催して、県知事と会談しているかと思えば、『ベストボディ・ジャパン2020日本大会』で優勝している。ここまでジャンルにとらわれない人はなかなかいないですし、カッコいいですよね」。

憧れを自分の立場に置き換え、できることをやりたいと考えている。

「過去の経験があるからこそ、『失敗してもいいからやってみる』姿勢を大切にしています。自分の殻を破って、あちこちに顔を出して、場数を踏んで、人脈を作る。これからも失敗を恐れずに、チャレンジしていきます」。

彼の夢に終着点はない。「できるだけ長くS FESを、音楽で『楽しい』を創ることを続けていきたいですね」。

高校時代の小さな挫折が、壮大な夢とライフワークに繋がるのだから、人生は面白い。

text:Momiji photo:Lin-ya Kanzaki

Information

10周年CD 告知画像

2022.02.26(Sat) open 16:30 / start 17:00(予定)
『Atmospere Ⅲ(仮題)』

[会場] 川口CAVALLINO
[料金] ¥2,000(+1drink)  ※ツイキャス有料配信あり
[出演] Smitch / BOKRAandREN / 東京Love×2 / おかえり。/ 朝倉みぃ子 他
Support Musician:スクオペア♪ / 二田水優太 / 出井麻莉子

2022年夏『S FES 10th Anniversary FINAL -THE BEST-』開催!
Comming soon...

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